第八話
陰陽少属(1)
日が暮れはじめた頃、安倍晴明の屋敷を訪ねてきたものがいた。
「こちらは陰陽少属であられる、安倍晴明様のお屋敷でしょうか」
その青年は、応対に出た晴明の家人にそう告げた。
「少々お待ち下さい」
家人はそう伝えると、部屋の奥で書をしたためていた晴明に客人が来たことを伝える。
その知らせを聞いた晴明は「おや」と思った。
普段であれば屋敷に誰かが訪ねてくる際は、橋の下などに潜んでいる式人が事前に情報を晴明に伝えることが多いのだが、今日に限っては式人は晴明のもとに現れなかったのである。
筆を置いた晴明は、立ち上がると客人を待たせている間へと移動した。
「私が安倍晴明であるが」
「
青年は礼儀作法をしっかりと身につけているようで、一礼してから文の入った木箱を晴明へと差し出した。
「おお、兼家様のところの」
晴明はそう言いながら、兼家からの文を確認する。
青年は兼家のところからやって来たということは、兼家の従者である源
確認したその文は、間違いなく兼家からのものであった。兼家は現在、正三位に昇進し、中納言兼、右近衛大将兼、春宮大夫という役職についており、朝廷の中核を担っているといっても過言ではなかった。
兼家からの文には、屋敷に顔を出せといったことが書かれているだけであり、なぜ晴明を呼び出したいのかといった内容などは一切書かれてはいなかった。
面倒な御方だ。晴明は内心そう思いつつも、使いとしてやって来た、この若者に興味を抱いていた。
牛車は兼家が用意していた。頼光は共に牛車に乗るわけではなく、その脇で警護するため馬に乗っている。晴明は頼光に話しかけるために牛車の御簾を上げていた。
「名は何と申されるのか」
「私でございますか」
青年は驚いた顔をしてみせた。その表情は、まさか自分の名を聞かれるとは思ってもいなかったといったものだった。
「
今度は晴明が驚いた顔をする番だった。
源頼光といえば、藤原兼家の従者である源満仲の長子であり、武勇に優れているということで最近よく名を聞く者だった。
「どうかなされましたか」
「いや、まさかあなたが頼光殿であったとはな。よく顔を見せてくだされ」
晴明はそう言って、じっと頼光の顔を見る。晴明は陰陽道の占筮以外に、人相を見ることも学んでおり、その人相占いはよく当たると内裏内でも評判が高かった。
「うむ」
唸るような声を晴明はあげる。
頼光は少し不安げな顔をしてみせながら、晴明の言葉を待っていた。
「素晴らしい相の持ち主ですな。下の者からはよく慕われ、上の者からはよく可愛がられる。そして、何よりも芯の強い御方だ」
晴明は自分の見たことをまとめるようにして頼光に伝えた。
「本当ですか。ありがとうございます」
嬉しそうにいう頼光の顔は、まだ幼さの残る青年のものであった。
兼家の屋敷に着くまでの間、晴明と頼光は色々と語り合い、意気投合していた。
晴明が兼家の屋敷に入っていくと、そこで頼光は去っていった。また別の仕事があるということだった。
「来たか、晴明」
その日の兼家はどこか不機嫌であった。
「どうかなさいましたか」
「ちょっと面倒なことがあってな。お前に調べてほしいのじゃ」
「なんでしょうか」
晴明がそう言うと、兼家は従者に小さな木箱を持ってこさせた。
「これを見たことがあるか」
それはどこにでもあるような木箱である。
どういうことだろうか。晴明が困惑していると、兼家の従者が木箱の蓋を開ける。
すると中から一枚の白い紙が出てきた。その紙は人のような形に切り取られており、晴明はその紙に見覚えがあった。陰陽道の儀式で使用する
形代は主に祓えの儀や祈祷の際に人間の身代わりとして使うものであり、これに穢れや、罪、災いなどを移して、川などに流すものであった。
しかし、これには別の使い方もある。それは狙った相手に呪術を施す使い方であった。人形に相手の髪の毛や衣服の一部などを着け、その相手に見立てて呪いをかけるのだ。
これはどちらなのだろうか。晴明は慎重に見極めるようにしながら、その人形を観察した。
「これは、どちらで」
「今朝、屋敷の入口に置かれていたそうだ」
「これの中身を見たのは?」
「私と兼家様だけです」
そう答えたのは箱を持ってきた従者であった。
晴明はちらりと従者の手を見た。それは
「これは、
「なんだと!」
「その箱の中に入っている包み紙のようなものを広げてごらんなさい」
晴明は、兼家の従者に指示をした。
兼家の従者が指示通りに、木箱の中に入っていた包み紙を取り出して広げてみると、そこにはひと束の髪の毛と呪術で使われる
「こ、この毛は誰のものじゃ」
狼狽えたような声で兼家が言う。
「わかりませぬ。ただ、こちらの札には呪いたい相手の名が書かれているかと……」
その晴明の言葉に、従者が恐る恐る札を広げた。
「見ぬぞ。わしは見ぬ」
兼家は大声を上げると顔をそらした。
広げられた札には、間違いなく兼家の名が書かれていた。
晴明は、従者に目配せをするとそのままその札を自分の懐へと収めた。
「ご安心下さい、兼家様。札には誰の名も書かれてはおりませぬ」
「まことか」
「はい。しかし、呪符は危険なもの。私が祓えの儀をおこないます」
「うむ。よろしく頼むぞ」
兼家の言葉に晴明は仰々しく頭を下げると、祓えの儀の算段を従者とはじめた。
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