道摩法師(3)

 闇の中で何かがうごめいた。

 衣擦れの音がし、月明かりの下に布作面ふさくめん水干すいかんといった姿の者が姿を現す。


「気づいておられましたか、晴明はるあき様」


 親しげな声。その声は、かずらの道真みちざねのものに間違いなかった。

 道真は数年前まで陰陽寮に仕える陰陽得業生であり、晴明の陰陽道の弟子のような存在でもあった人物である。


「私が気づかぬわけがないだろう、道真」

「失礼いたしました」


 道真は頭を下げる。布作面を被っているため表情を読み取ることはできないが、声から察するに道真は以前と変わらぬ様子であった。


たびの噂を流したのも、お前の仕業か」

「元方の怨霊にございますか」

「そうだ」

悪霊あくりょう民部卿みんぶきょうの方がよろしかったですかな」


 道真の声は笑っていた。それは道真が噂を流した張本人であると告白しているようなものだった。


 悪霊民部卿というのは、藤原忠文ただふみの怨霊を指す言葉であった。忠文は藤原式家の人間であり、中納言だった。平将門が反乱を起こした際に征東大将軍として討伐に向かったものの、忠文が東国到着前に他の者により平将門が討伐されてしまったことから、朝廷より恩賞をもらえなかった。また、その後に起きた藤原純友の乱では征西大将軍に任命されたが、この時もまた戦功を上げることが出来ず恩賞を手にすることができなかった。その後、忠文は民部卿となり『宇治民部卿』などと呼ばれたが、二度の討伐の際に朝廷が恩賞を出さなかったのは、当時大納言であった藤原実頼が手を回したせいだと逆恨みしていた。病に倒れ、没した後もその恨みを忘れることができず、怨霊となったとされている。実際、忠文の死後すぐに実頼の娘であった述子(村上天皇の女御)と長男の敦敏が相次いで亡くなっており、これは忠文の怨霊のせいだと噂になった。そして、その実頼の姪に当たるのが帝の母である藤原安子であり、兼家の姉であった。


「悪いやつよ。どこぞで、そんな悪知恵を磨いた」

「これは晴明様の教えですよ」

「馬鹿なことを言うでない。私はそのようなことを教えた覚えはないわ」


 晴明は笑ってみせる。だが、心の中では手強い相手が敵についたものだと思っていた。かつての愛弟子、それが葛道真であった。晴明は陰陽道に関することや、陰陽師としての振る舞い方など様々なことを道真には仕込み、時には陰陽寮内で自分の式人のような役割もさせており、陰陽師としての表も裏も知る一人だった。


「播磨に帰ったと聞いていたが」

「ええ。播磨に帰って、静かに暮らしておりました。しかし、私を平安京みやこへと呼び戻したお方がいらっしゃるのです」

「その者の名を教えては貰えぬのだろうな」

「言えば私が殺されてしまうでしょうから、たとえ晴明様であっても教えられませぬ」


 そう言って道真は笑ってみせた。


「まあ、良い。道真、お前は陰陽法師になったというわけだな」

「はい。本日はそのご挨拶にでもと思い、参上いたしました」

「なるほど。道真がどのように生きようとも、私には口を出す権利はない。ただ、私の邪魔をするようであれば――」

晴明はるあき様も歳を取られた。以前の晴明様であれば、悪意を持った私がここまで近づくことは許さなかったでしょう」

「何が言いたい、道真」

「そのままのことですよ。それと、私はもう道真みちざねではありません。道摩どうま、そう名乗っております」


 道真改め、道摩はそれだけ言うと、すっと闇の中へと姿を溶け込ませて消えた。

 面倒な男が敵についたものよ。晴明はそう思いながら、道摩が消えていった闇をみつめていた。


「晴明様。すみません、見失いました」


 しばらくして戻ってきた式人が晴明に声を掛けた。後を追ったが、道摩を見失ったのだ。

 さて、どうしたものか。晴明は悩んでいた。敵対するのであれば、殺してしまった方がいいだろう。だが、道摩を殺すのは難しいだろうし、殺すのは惜しい気もしていた。何と言っても、道摩は晴明にとって可愛い弟子だったのだ。


「道摩法師か……。まあ良い。やつのお手並み拝見といくか」


 再び雲の中へと姿を消してしまった月を見上げながら、晴明はつぶやいた。



 第六話 道摩法師 了

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