呪詛の祓え(7)

 闇の中で動きがあった。

 庭の灌木が揺れ、小さなうめき声のようなものが聞こえる。


「晴明様」


 暗闇の中から式人が呼ぶ声がする。


「どうした」

「侵入者を捕らえました」


 そう言うや否や、式人がふたりの男女を晴明の前に引っ張ってきた。

 どうやら、屋敷に忍び込んできたのは、この二人のようだ。ふたりは狐の面と布作面をつけており、顔は見ることが出来なかった。


「取れ」


 晴明は式人に命令して、ふたりの面を剥ぎ取らせると、灯りを近づけて侵入者の顔をよく見た。

 見たことのない男女だった。男の方は中年であり、頬から口にかけて大きな傷痕があった。女の方は目が大きく、その目で晴明のことを睨みつけていた。


「何用じゃ」


 そう晴明が言ったが、ふたりとも口を噤んだままであった。


「口が聞けぬか。まあ、良い。ここが安倍晴明の屋敷であると承知の上で忍び込んだのだな」


 やはり、ふたりは口を開こうとはしなかった。

 仕方なく、晴明は持っていた剣を男の首元に突きつけて話を続ける。


「この安倍晴明が式神を使役しているという話を知らぬのか。ちょうど、にえを捧げなければならない頃だと思っていたのだ。口が聞けぬようであれば、贄にするまでよ」


 晴明はそう言うと、剣を振り上げた。


「ひぃ」


 男が小さく悲鳴を上げる。

 それと同時に式人が持っていた布袋をふたりの頭にかぶせた。

 男の方は何が起きたのかわからないようで、得体のしれない恐怖感に包まれたのか布袋の中で大声をあげた。


「ま、待ってくれ。頼む、待ってくれ、話す、話すから」


 闇というのは、恐怖感を増大させる。特に望まぬ闇を与えられた時などは、その効果は絶大であった。

 晴明は男の方だけ布袋を外させた。女の方は布袋を被せたままである。男の叫び声は女にも恐怖を伝染させたらしく、女は手足が縛られた状態で悲鳴に近い叫び声をあげながら、芋虫のように身体をくねらせている。


「もう一度聞こう。この安倍晴明に何のようだ」


 男の瞳の中を覗き込むようにして晴明は問いかけた。

 すると男は何かの術に掛かってしまったかのように、素直に口を開く。


「河原にいた女童をお返しください」


 やはり、この者たちはあの女童を奪い返しに来たのだ。


「ほう。なぜ、返してほしいのだ」

「あの娘は、かんなぎにございます」

「巫?」

「はい」


 巫とは、神に仕えるもので、神意しんいをうかがったり、神降ろしといったことをして神に自分の身体を貸し与え、お告げを伝えたりする役目をする者のことであった。


「では、なぜ河臨祓などを行おうとしておったのだ」

「あれは巫の身を清めるための儀にございます。巫は一定期に穢れを流さなけれたならないのです」

「では、お主たちはなぜ顔を面などで隠す」

「巫に憑いた穢れに、顔を見られてはならぬからです」

「なるほど」


 男が嘘をついているようには思えなかった。巫は神を自らの身体に降ろす前に身を清めたりする必要があるということは、晴明もよく知っていた。

 これはどうしたものか。そう考えていると、どこからともなく鈴の音のような甲高い音が聞こえてきた。

 この世のものとは思えぬ気配を感じ取った晴明は、その音が聞こえた方へと顔を向ける。

 すると、そこにはあの女童がいた。


「その者の申すことに間違いはないぞ、晴明せいめい


 女童はそう晴明に告げた。その声は『ちー』と名乗った時の女童の声とは違い、透き通った大人の女の声であった。それに晴明は、女童に自分の名を伝えた覚えはなかった。屋敷の中では、誰も晴明せいめいとは呼ばない。皆、晴明はるあき様と本当の名で呼ぶのだ。


「か、巫様」


 男は女童の声に恐れ多いものを感じさせるようにつぶやき、地に頭をこすりつけるように低くする。そして、先ほどまで暴れようとしていた布袋を被せられたままの女も、同じように頭を地につけた。


貴女あなたが巫ということは、間違いないのですね」


 晴明はそう女童に問いかける。

 基本的に晴明は、あやかしや物怪といったモノを信じたりはしていなかった。しかし、陰陽道に関わっていると、このようににわかに信じられない出来事に遭遇してしまうこともあるのだ。


は巫ではない。巫はこの女童のことよ。我は女童の身体を借りているに過ぎない」

「では、貴女は誰なのでしょうか」

「誰でも良い。この地の者とでも思えば良い」

「私は、貴女方の儀を邪魔してしまったということですね」

「そうではあるが、そなたの行いに間違いもない。娘を救おうとした気持ちはわかっておる。安倍晴明、何か困ったことがあれば我が力になろう。その時は、北西の星に願うと良い」


 それだけを告げると、女童はその場に倒れた。

 晴明は慌てて、女童に駆け寄る。

 すると女童は寝息を立てて眠っていた。

 晴明は式人たちに男と女の縄を解かせると、ふたりを屋敷へとあげて休ませ、他の者たちも屋敷へと連れてこさせた。

 巫の従者たちに酒と食事を与えながら、晴明は様々な話を聞き出した。晴明という男は知りたがりであり、そして研究熱心なのだ。自分が知りたいと思ったことは、とことん調べる。晴明は、陰陽道についてはもちろんのこと、自分が興味を抱いたことについても調べなければ気がすまないたちなのだった。


「そういえば、これはどういう意味なのだ」


 晴明は葛籠に貼られていた札を見せた。例の九字が描かれた札である。


「こちらは、とある陰陽法師にいただいたものです」

「ほう、おぬしたちは、陰陽法師とは違うのか」

「我々は違います。我々は巫様にお仕えする者であり、陰陽法師のような術などは使えません」

「では、その陰陽法師というのは」

「名前はわかりませんが、播磨国はりまのくにでお会いしました。布作面をつけられたお方です」

「ほう」


 話を聞きながら、晴明の頭の中にはひとりの人物が浮かび上がっていた。



 第五話 呪詛の祓え 了

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