呪詛の祓え(5)

 しばらく鴨川沿いを歩いたが、先ほどの男が言っていたような市女笠の人物に出会うことはなかった。もしかしたら、諦めて洛中に戻ってしまったのかもしれない。


 足に疲れを覚えてきた晴明は額に吹き出してきた汗を拭うと、河原にあった大きな石の上に腰をおろして、少し休憩をすることにした。炎天下の中を歩き続けたせいもあり、疲労困憊だった。


「これ、晴明。このような場所で何をしておるのだ」


 声をかけられた晴明が顔を上げると、河川敷から少し離れたところに一台の牛車が止まっているのが見えた。そして、その牛車の屋形部分に付けられている小さな窓からひとりの男が顔を覗かせている。

 そこには見覚えのある顔があった。その顔を認めた晴明は慌てて立ち上がると、牛車へと近づいていく。


「これはこれは、兼家様」

「久しいの、元気であったか」

「はい。兼家様もご健勝なようで」


 藤原兼家は、この年に左京さきょう大夫たいふの職に抜擢されていた。

 左京大夫というのは、京職みさとづかさと呼ばれる京内の司法、行政、警察を行った行政機関のことであり、その京職の長官である大夫の役は右京と左京で二人存在している。


「このような場所で、一体何をしておるのだ」

「ちょっとした人探しをしておりました」

「ほう。それはご苦労なことだ。どうじゃ、ちょっと乗らぬか」

「よろしいのですか」

「ああ、お前と話したいこともある」


 兼家はそう言うと、牛車の周りにいた武士もののふたちに命じて、晴明が牛車に乗れるよう階段を出させた。


 左京大夫ともなると、牛車の周りには警護のための武士がついていた。特にこのところは、洛外、洛中問わずに強盗事件などが頻発している。貴族たちはそういったことから身を守るためにも武士たちを雇い入れたりして、警護させているのだ。噂では、兼家は自分や家族の身辺を守らせるためにみなもとの満仲みつなかのところにいる武士たちを雇い入れているそうだ。満仲のところの武士は手練れが多いと評判の武士たちであった。


「お話とは何でございましょう」


 牛車に乗り込んだ晴明は、兼家に問いかけた。

 屋形の中は広く、乗り心地も良かった。そして、こうの良い匂いが漂っている。

 兼家は屋形の簾をすべて降ろさせると、先ほど顔を出した窓も木板を閉めてから、声をひそめるようにして話し始めた。


「帝のことじゃ」

「と、いわれますと」


 晴明も兼家に釣られるようにして声をひそめる。

 二人きりとはいえ、帝のことを口に出して話すなどというのは、とてもはばかられることであった。


「このところ、病に伏せられておる」

「なんと……」

「そなたの陰陽の術でどうにかならぬか、晴明」

「帝の病の原因について占うことは可能ですが、一介の陰陽師では帝のお顔を拝むことも出来ませぬ」

「そこは大丈夫じゃ。帝は我が義兄。私が紹介をすれば、お前もお目通りが叶う」

「なるほど。帝はそれほどに、お悪いのでしょうか」

「姉上の話では、ここ数日寝込んでおられるとのこと」

「なんと。ではすぐにでも占いの支度をせねばなりませんな」

「いや、そんなに急がなくともよい」


 兼家はそう言うと手に持った扇子で自らの膝をピシャリと叩いた。

 なにか兼家には考えがあるのだろう。晴明はそう考え、口を挟まなかった。


「明後日に私の屋敷に参れ。共に内裏へ行こう。帝に会えるよう話を付けておく」

「承知しました」


 晴明はそう言って頭を下げると、牛車から降りようとした。


「待たれよ。そういえば、人を探していると言ったな」


 兼家が晴明を引き止める。


「はい。市女笠を被った女性を探しております」

「ほう。河原にそのような女がいたというのか」

「見たという者がおりまして」

「なぜ、探しておるのだ」


 ただの興味本位で聞いているだけなのだろうか。それとも何か気になることでもあるのだろうか。なぜ兼家がこの件に興味を抱いたのか、晴明は疑問に思いながらも話を続けた。


「その女性と私の探しているものが同じように思えたからです」

「なんじゃ、複雑な話なのか」


 眉間に皺を寄せ難しい顔をしながら兼家は言う。


「複雑といえば、複雑な話ですな、これは」

「では簡潔に話せ」


 最初は冗談でも言っているのかと思ったが、兼家は真剣な顔をして晴明の顔を見ていたため、晴明は事のあらましを兼家に話すことにした。

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