呪詛の祓え(2)

 羅城門を抜けて洛中に入った晴明が朱雀大路をまっすぐ朱雀門に向けて歩いていると、すれ違いざまに若い女が声をかけてきた。


「三人がつけてきています。男ふたりと女がひとりです」


 女は晴明の式人である。その声は晴明にだけ聞こえる程度の小声であった。


 子を抱きかかえて歩くというのは、とても大変だった。息子の吉平よしひら吉昌よしまさがこのくらいの頃はよく抱きかかえて遊んでやったりしたものだったが、あの頃は晴明ももう少し若かった。さすがにこの年で子どもを抱きかかえたりするのは、腰への負担も掛かりしんどかった。


「次の辻を曲がってください。代わりの者が控えております」


 また別の者がすれ違いざまに伝えてきた。晴明は何人もの式人を京中に潜ませているのだ。

 指示通りに辻を曲がると、小さな小屋に引き込まれた。そこには晴明と同じくらいの背丈の男がおり、晴明と同じ直垂に小袴という姿で、背には葛籠を背負っていた。


「着替えを用意しておきました。しばらくすると屋敷から牛車も来ます」

「わかった。適当に連れ回してやってくれ」

「承知しました」


 晴明は着ていた直垂を脱いで水干に着替えると、烏帽子を着けて元の陰陽師の姿へと戻った。

 童子は葛籠の中で眠ったままだった。どこか具合でも悪いのだろうか。そう思い、額に手を当ててみたが、特に熱などはなさそうだった。

 身代わりとなる男が小屋を出ていき、しばらくすると牛飼童が姿を現した。迎えの牛車が到着したのだ。晴明は童子を抱きかかえて牛車に乗ると、屋敷へと戻った。


 晴明が童子を連れて帰ってきたことで、屋敷内はちょっとした騒ぎになった。特に晴明の妻は「どこぞでこしらえた子を連れてきたのだ」とえらい剣幕で晴明に詰め寄ろうとした。


「落ち着け。私の子ではないわ」


 晴明は騒ぎ立てる妻や家人たちに言うと、事情を説明した。

 事情を聞いた吉子と家人たちは、納得したようで晴明のことを疑った自分たちのことを恥じた。公卿と呼ばれる地位の高い貴族などであればまだしも、晴明のような下級貴族が外に妻を作ることなどありえないことだった。


「わかればよいのだ」


 落ち着き払った口調で晴明は言うと、ほっとため息をついた。

 そんな騒ぎで目を覚ましてしまったのか、葛籠の子が起き上がってきた。見知らぬ屋敷で、見知らぬ大人たちに囲まれて、何がなんだかわからないといった顔をしているが、泣き出すようなことにはならなかった。


「どこぞの子なのだ」


 晴明が問いかけると、童子はキョトンとした顔をするだけだった。

 もしかしたら、口が聞けないのか。晴明は注意深く童子のことを観察する。

 しかし、どこかおかしな様子などは無い。

 どうしたものか。晴明は少し困った顔をしたが、そこへ晴明の息子である吉平と吉昌がやって来て、その童子の手を取って遊びはじめた。


「子どものことは、子どもに任せておけばいいのですよ」


 妻はそう言うと、晴明が釣ってきた魚を家人に渡して焼き魚にするように指示を出した。

 なるほど、たまには良いこと言うわ。晴明は妻の背中を頼もしいものを見る目で見ていた。


 しばらくして、吉平が晴明のところへとやって来た。


「父上、あの子は女子おなごでした」

「そうか。それで、名前は聞いたのか」

って自分のことを呼んでいますけれど、それが何なのかはわかりません」

「ふむ……」


 これは困ったな。晴明はどうするべきか悩んでいた。

 もし、子どもがあの妙な連中にかどわかされたとするのであれば、親の元へと返してやるべきであろう。しかし、それとは別の可能性があると晴明は考えていたのだ。


 河原で行われようとしていたのは、河臨祓であった。晴明たち朝廷に仕える陰陽師が行う河臨祓とは少し形が違っていたが、河臨祓であることには間違いなかった。おそらく、あやつらは陰陽法師などと名乗る連中であろう。

 陰陽法師は、朝廷に使える正規の陰陽師ではなく、民間で陰陽の術や呪術、祈祷などを施す陰陽師のことを指していた。このような陰陽法師たちが横行しているという噂は晴明も聞いていたが、実際に目にしたのは初めてのことだった。

 陰陽法師たちが河臨祓を行っていたということは、あの娘が邪であるということなのだろう。だから、あの場で娘の命を奪い、河臨祓で川に流してしまおうとした。娘を邪の者として、陰陽法師たちに河臨祓をさせたのは誰なのだろうか。


 晴明は、先ほど身代わりとなって京中を歩き回らせた式人が戻ってくるのを待つことにした。

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