もののけ(4)

 しばらくして、好古の家人たちが部屋に集まってきた。家人の数は全部で十三人。男女比は半々であった。中には何が行われるのかと、怯えた顔をした者もいる。


「さて、皆様に集まっていただいたのは、この屋敷に棲み着いているという物怪についてです」


 晴明がそう言うと、家人たちは顔を見合わせてざわついた。

 その中に顔を青ざめさせている若い女がいるのを晴明は見逃さなかった。


「この屋敷で物怪の姿を見たという方は、いらっしゃいますかな」


 ひとりひとりの顔を見回すようにしながら晴明が言うと、皆が目をそらした。


「誰も見ていない……というわけですかな」

「あ、あの。わたし、見ました」


 恐る恐る若い女が手を挙げる。先ほど顔を青ざめさせていた女だ。


「ほう。どのような物怪を見ましたかな」

「どのようなと言われると困るのですが、夜中に動く何かを見ました」

「なるほど。では、あなたにはこちらをお渡ししましょう」


 晴明はそう言って懐から一枚の紙を取り出すと、名乗り出た女性に手渡した。それは人の形をした紙であり、陰陽道では人形ひとがたと呼んでいるものだった。


「これはあなたの身代わりとなり、あなたを物怪から守ってくれるはずです」

「あ、ありがとうございます」


 女性は晴明から受け取った人形を大事そうに胸の前で持っていた。

 すると、次の家人が名乗り出た。今度は中年の男だった。


「見ました。猫みたいな物怪です」


 男がそう口にすると、何人かの家人の顔が強張るのがわかった。


「猫……なるほど。では、あなたにもこちらを」


 そう言って晴明はまた人形を渡す。

 好古の家人たちは次々と自分も物怪を見たと言い出し、晴明の持つ人形を求めはじめた。

 そして最後のひとり、中年の女性だけが人形を手にしていない状態となった。


「さて、あなたはどのような物怪を見ましたかな」

「私は……」


 女性がそう言い淀んだ時、隣の部屋をすっと何かが横切った。それは人間の子どもほどの大きさであったが、人のような動きではないように見えた。


「あなやっ!」


 そう叫び声をあげてその場に尻もちをついたのは、先ほど猫のような物怪を見たといった中年の男だった。男は顔を真っ青にして隣の部屋を指差す。


「で、出た……物怪じゃ。猫の物怪が出たんじゃ」


 男の言葉に恐怖が伝染する。隣りにいた女が悲鳴をあげ。更に隣にいた若い男が部屋から逃げ出そうとする。


「落ち着きなさい。大丈夫です。ここには安倍晴明がおります」


 晴明がそう言うと、人々の視線が晴明へと注がれる。


「心配はございません」


 そう続けて晴明は言うと、隣にいた賀茂光栄へ頷きかけた。

 すると光栄は奇妙な歩き方をして隣の部屋へと向かう。この奇妙な歩き方は、禹歩うほと呼ばれる陰陽道の歩き方のひとつであった。


「ご安心ください。陰陽師、賀茂光栄が邪を鎮めましょう」


 隣の部屋に入っていった光栄が何やら唱えている声が聞こえてくる。


 しばらくして隣の部屋から光栄が戻って来ると、一枚の紙を晴明に差し出した。

 その紙を晴明は受け取ると、咳払いをしてから紙を広げた。


 紙には一匹の猫が描かれていた。その猫は恐ろしい顔つきで、大きく開けた口からは鋭い牙が伸びており、とてもこの世のものとは思えなかった。


「これが物怪の正体にございます」


 晴明がそう言うと、家人たちはどよめいた。

 その絵は光栄が描いたものだった。幼き頃から光栄のことを知っている晴明は、光栄が絵を描くのがとても上手だということを知っていた。だから、今回の件に光栄を絡ませ、猫の絵を描かせたのだ。


 猫については、屋敷内に潜ませた式人たちが短い時間で情報を集めてきていた。陰陽師が屋敷にやってきたということで、家人たちは亡くなった子と猫の話をしきりにしていたのだ。


 この猫は亡くなった好古の子が可愛がっていた猫であったが、いつの日からか姿を消してしまったのだそうだ。好古の子は亡くなる数日前まで、その猫を探していたという。


「わたしが悪いのです」


 そう言って泣き崩れたのは、最初に物怪を見たと名乗り出た若い女だった。


「若様の猫を屋敷からわたしが追い出してしまったから……」

「なるほど」


 女によれば、その猫はどこからか屋敷の中へと迷い込んだ猫だった。好古の子は猫を可愛がり、よく共に遊んでいたそうだが、ある日じゃれついた猫に引っかかれてしまうという出来事があった。手の甲に蚯蚓みみず腫れができた程度の引っかき傷ではあったが、その晩から好古の子は高熱を出した。おそらく、猫に引っかかれたことによって良からぬモノが体の中に入ってしまったのだろう。

 猫のせいで若様が倒れた。その猫を屋敷の中に招き入れたのは自分であり、自分のせいで若様が高熱に侵されてしまった。女は自分を責め、そして猫を責めた。女は屋敷に入ってこようとした猫に熱湯を浴びせかけ屋敷から追い出した。それ以来、猫は屋敷には近づかなくなった。

 しかし、寝込んだ好古の子はうなされながらも「ねこ、ねこ」と呟いていたそうだ。


「わたしがすべて悪いのです」

「もうよい。誰も悪くはないのだ」


 そう優しい声で言ったのは好古だった。


「物怪の原因であった猫に関しては、陰陽師たちが祓ってくれた。もう、この屋敷に物怪はおらん」


 続けるように好古は言い放った。

 その言葉が何よりもの物怪祓いだった。家人たちは主人の言葉によって安心した顔となり、泣き崩れた女もほっとした顔で泣き止んだのだった。



 第四話 もののけ 了

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