第2話 朝起きたら……


「はぁぁっ!」


 声を上げながら布団を跳ねのけて、ボクは思い切り飛び起きた。

 寝ぼけ眼で辺りを見まわして、ようやく先ほどのそれが夢であったことをぼんやりと認識する。


 まったく酷い悪夢を見たものだ。寝覚めが悪すぎるにもほどがある。


 ボクの名前は【一色 白】(いっしき つくも)。4月に高校デビューを控えた15歳の男子だ。白と書いて『つくも』と読ませる名には母親の強い思入れがあるらしい(聞いても教えてくれないけど)。さすがに思春期ともなると、ちょっと気恥ずかしく思うけれど、自分としてはそんなに嫌いな名前ではない。


 意味としては『百』から『一』を引いて『白』、つまり『百マイナス一で九十九』で『つくも』って訳だ。初見で正しく読まれることは無いし、たいていは『しろ』君とか『はく』君と呼ばれてしまうが、もう慣れっこだ。


 容姿は地味で平凡な上、名前の通り色白でひょろガリだ。当然、スポーツ全般まるで駄目と来ている。

 唯一の取柄は勉強が嫌いじゃないことぐらいか。事実、県内でも有数の進学校に合格したのだから、幼馴染の献身的な協力があったとは言え地頭は悪くないと思っている。

 ただ、人付き合いが苦手なせいで仲の良い友達はほどんどいない。表面上の会話は問題なく出来ているので、学校生活にたいした支障はなかった……と信じたい。


 まあ、つまり中学時代のボクは漫画なんかによくいる黙々と勉強だけをこなす地味な優等生って奴だ。唯一の見せ場はテスト上位者が張り出されたときに名前が出るだけのモブキャラと言ったところか。


 それにしても……。


 先ほどの悪夢を思い返してボクは思わず身震いする。元々、運が良い方ではないけれど、他人の巻き添えになるなんて運が悪いどころの騒ぎじゃない。

 気が付けば、起き抜けと恐怖のせいで喉がカラカラになっていた。


 何か飲み物を……そう思い、ベッド脇に置いた眼鏡に手を伸ばそうとすると前髪がぱさりと顔にかかる。


 あれ、ボクこんなに髪長かったっけ?


 髪をかき上げながら眼鏡を手にしてハッとする。いつもなら、ぼやけて見える視界が眼鏡無しでもハッキリと見えたのだ。


 ん? 朝起きたら突然、眼が良くなったって……そんな馬鹿な。


 ありえない事態に疑問を感じていると不意にボクの部屋のドアが勢いよく開け放たれた。


「つくも兄ぃ~起きて! ママが休みだからって、いつまでも寝てないで朝ごはん食べろって怒ってるよ~」


 飛び込んで来たのは小二の妹の『さくら』だ。


「さくら! 兄ちゃん、いつも言ってるだろ。ちゃんとノックしろって…………ん? どうした、さくら?」


 ボクの顔を見て固まっている妹にボクは不思議に思って声をかける。


「マ、ママ――!」


 突然、さくらが叫んだ。


 大声を上げた妹にボクは呆気にとられる。


「さくら……?」


「ママ、大変! お兄いの部屋に知らない女の子がいる――!」


 知らない女の子だって?


 驚いて周囲を見渡すがそれらしい人物は見えない。


「さくら、驚かすなよ。誰もいないじゃないか……」


「ママ――早く来て!」


「おい、さくら。いいかげんに……」


「……もう、さくらったら、何を騒いでいるの。お兄ちゃんの部屋がどうかしたの……え?」


 妹の叫ぶ声で様子を見に来た母さんがボクの部屋を覗き込んで同じように固まった。


「……母さん?」


「あ、貴女は、いったい誰ですか? 何で、つくもの部屋にいるんです?」


 母さんは顔を強張らせてボクを見つめている。


「な、何言ってんだよ母さん。ボクだよ、ボク。つくもに決まってるでしょ」


「私の産んだつくもは男の子です」


「はあ? 当たり前じゃん。何、馬鹿な事言ってんのさ」


 母さんのおかしな返答にボクは抗議する。


「その姿で男の子って……さくら、ちょっとキッチンにある鏡持ってきて」


「はあ~い」


 少し天然なところのある温和な母さんが、いつものほわほわした表情ではなく警戒心を露わにした顔付きで妹に指図する。


 めったに見られないその険しい表情で、ようやく何か異変が起きていることにボクは気付いた。


 そう考えると身体も何だか変だ。寝る時に着ていたスウェットの胸の辺りが妙に盛り上がっているように見えるし、身体全体に違和感も覚える。

 まるで、いつものボクじゃなく別人になったような感覚がした。


 まさか……。


「はい、ママ。持ってきたよ」


 妹が持ってきた手鏡を母さんは無言でボクに差し出した。

 手に取ったボクは恐る恐る自分の顔を映す。


「ええ~っ! 何だ、こりゃ?」


 鏡に映ったのは見知らぬ女の子が驚いてる顔だった。否、そうではない。さっき死ぬほど間近で見た少女の顔に瓜二つだ。


 いったい、何が起こってるんだ?




◇◆◇◆◇◆



「つまり貴女は自分が『つくも』だと言い張りたい訳なんですね」


「言い張りたいも何も本人だって」


 最初は聞く耳を持たなかった母さんも、男の時より貧弱な身体になったボクが暴れたり危害を加えそうにないほど非力な様子が分かると少し冷静になった。

 けど、いつでも通報できるようスマホは手に持ったままだ。


「じゃあ、質問します。まずつくもの生年月日は?」


「〇年5月5日だよ」


「……合ってます。でも、事前に調べていれば分かる事ですし……じゃあ、質問を続けます」


 それから母さんはいくつかのボクに関する個人情報について確認するが、当然本人なのでことごとく正解する。


「……これも正解。埒が明かないわね。じゃあ、次の質問。つくものHな本の隠し場所は?」


「はあ? 何て質問すんだよ」


 まさか、母さんが言っているのはボクが密かに所蔵している叡智なコミックや雑誌のことだろうか。何故、隠してるのを知っている?


「答えられないの?」


「い、いや言うよ、言うから……」


 母さんの目は真剣だ。ここは答えるしかないか……。


 けど、ここでベッドの下だなんて答えるのは素人だ。玄人プロは……。


「書棚の上です……」


 目を逸らしてボクはぼそりと答える。


 ボクの部屋にある書棚は天井近くまで高さがあるスライド式のもので、元々は父さんが使っていたのを譲り受けたものだ。なので、その隠し場所はボクでさえ椅子を使わないと届かない高さにあり、背の低い母さんにとっては視界外であり、最適な隠し場所の筈だった。


「せ、正解……」


「な、何で知ってるんだよ!」


 絶対にバレないと思ってたのに。


「あんたの部屋の掃除、誰がしてると思ってるの。バレてるに決まってるでしょ」


 そ、そんな……じゃあボクの性癖の全てを母さんに知られていたなんて。恥ずかし過ぎて死ねる。


 膝から崩れ落ちそうになるくらいの脱力感を覚えたが、そのおかげで母さんの口調が砕けてきたので、どうやらボクの言い分を信じ始めてくれたようだ。


「じゃあ、これが最後の質問です」


「よし、何でも来い」


 さっきの質問で、ボクは吹っ切れたのだ(決して自棄やけになっている訳ではない)。今なら怖いものなんて無い。どんな質問にだって答えてやる。


つくもの好きなの名前は?」


「は?」


 …………何てこと聞くんだよ、母さん。


「言えないの?」


「い、言えないことは無いけど……」


「じゃあ、はっきり言いなさいよ」


 もうやけくそだ!


「あおいちゃん……紺瑠璃こんるり あおいちゃんだけど……」


 『紺瑠璃 蒼』(こんるり あおい)というのは、以前ボク達が住んでいた家(父さんの実家)のお隣さんで、ボクと同い年の幼馴染の名前だ。とても美人で頭が良くてスタイルも抜群、スポーツも万能でその上性格も良いという完璧超人だ。学校でも凄い人気だと聞いている。


 何故、伝聞なのかというと通っていた中学校が違うからだ。それについてはまた後で詳しく説明する。ちなみに4月からは一緒の高校に通うことが決まっている。


「へえ、やっぱりね。まあ、そうだとは思ってたけど」


 母さんは満足げにニヤニヤと笑みを浮かべる。


「や、やっぱりって……気付いてたの?」


「あんたって、分かりやすいから。それに、蒼ちゃんぐらい可愛いくて良い子、めったにいないものねぇ……でも確信できたわ。あんた間違いなくウチのつくもね」


 やっと納得してくれたようだけど、何だか釈然としない。


「それより、何でそんな姿になっちゃったの?」


「今さら? けど……ボクの方が知りたいぐらいだよ。正直どうしてなのか、ボクも全くわからないんだ」


「そうね……とにかく一度病院で診てもらわないといけないわね。急だけど、今から仕事の休みを取って病院に行くから支度してちょうだい」


「わかった……ん? さくら、どうかした?」


 キラキラした眼でボクを見つめている妹を不思議に思い質問する。


「ねえ、つくも兄ちゃんはお姉ちゃんになったの?」


「よくわかんないけど、そうみたい」


 そう言えば、さくらの奴、ボクらが引っ越して蒼ちゃんと離れ離れになってからずっとお兄ちゃんがお姉ちゃんだったら良かったのに、って言ってたっけ。


「さくら嬉しい。お兄ちゃん、ずっとお姉ちゃんのままでいてよ、お願い」


 可愛い妹よ、君の願いはなるべくなら叶えてあげたいけど、お兄ちゃんもさすがにずっとは勘弁してほしいぞ。 

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