第三章:そこのけ、もののけ

第23話



 「――なにぃ!? 高熱が出たから帰れないだと!?」

 「は、はいっ! 動かすと危険だから、ひとまず状態が安定するまで白樺邸で休んでゆかれてください、だそうです!!」

 ウソだろう、と大書きしてあるような顔つきで言ってくる、いちおうの雇い主に必死で復唱する。単に驚いただけだとは思うが、この人は常日頃から地声が大きいから、何でもないときでも怒っているようにしか聞こえないのだ。特に自分みたいに、気が小さくて些細なことでもびくついてしまうタイプの人にとっては。

 (うわああああん、お嬢様ったらー!! 遅くなるならあらかじめそう仰ってってくださればいいのにぃ!!)

 今は遠くにいる相手に向かって、脳内で今更の苦言を呈しながら半泣きになっているシーナだ。だって高速で飛べる魔法があるなら、帰りも同じように戻って来れると思うじゃないか、ふつうは。

 ここ数週間でほとんど日課のようになっている、街外れにあるエルダーウッド侯爵別邸への訪問。今日も今日とて出かけていったエレノアは、傍から見れば『麗しの侯爵家遠縁の令嬢に、ふとしたことから目を掛けられて可愛がられている、ちょっと運の良い醜いアヒルの子』と映るだろう。実際、ふだんの言動のせいで面と向かって腫れもの扱いしてくる当主夫妻は、まあ身分が上の相手がお呼びなのだから……と、破格の譲歩を見せて好きにさせてくれている。彼女が邸に引き取られた当初は、ろくに外にも出さず朝から晩まで礼儀作法のレッスン漬けにしていたというのに、だ。

 (まあレッスンに関しては、あんまりにもお嬢様のやる気がなさすぎたし……ていうか、それこそ毎日のようにあそこに何かいる、って話ばかりしてたら、先生方の方からどんどん辞めていっちゃったんだけど)

 シーナはたまたま少しだけカンが良くて、エレノアがはた目には不規則に指さす方向に、必ず何かいるのがちゃんとわかっていた。が、ダドリー卿とその奥方をはじめ、ほとんどの人間はそれを目にすることが出来ない。そして家庭教師ガヴァネスを受け持つような人というのは総じて真面目で、言ってしまえば少々頭が固い。そこへ持ってきて『あ、あそこに』と真顔で言い出す幼い少女というのは、もしかしなくても恐怖の対象でしかなかっただろう。

 (まあ、旦那様と奥様も全っ然視えてないから、先生たちとおんなじくらい怖がってたけどね! そんでもってお嬢様のことほったらかすようになっちゃったんだけど、少なくとも今は好きなことする時間だけはいっぱいあるし。まだまだお小さいんだもん、読みたい本読んでお外でいっぱい遊ばなきゃね、うん)

 「――ナ、シーナ!! 聞いとるのかッ」

 「ふぁっ!? はははははいっ、すみませんお嬢様が心配でっ!!!」

 ついつい回想から自分の思いを確認するに至って、しみじみしていたところに一喝が飛んできた。即座に直立不動の体勢になったシーナに、いつも以上にしかめっ面をしたダドリー卿がふん、と鼻を鳴らす。隣の奥方も同様で、いかにも不承不承といった雰囲気だ。

 「あやつは健康だけが取り柄だ、にわかには信じがたいが……お前が預かってきた書状、ちゃんと先様のサインと印章がついておるしな」

 「大方、ふだんの出不精が祟ったのでしょう。日がな一日本ばかり読んでいたんです、こう毎日出歩いては身体が持たなくてもしょうがありませんわ」

 「全くもう、何かと多方面に迷惑をかけおって……ええい、仕方がない! ご令嬢に書状をしたためるから待っておれ、受け取り次第すぐ届けるんだぞ!!

 あと、もうすぐセディの実習が済んで一時帰宅する予定だから、それまでに何が何でも治してこいと伝えろ!!」

 「か、かしこまりました!!」

 なかなか無茶なことを言ってくる雇い主に、とりあえず最大級の礼をして応えつつ。セドリック様、もういっそ学院の方で合流していっしょに帰って来てくださったらいいのに……と、埒もないことを考えるシーナだった。


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