第15話


 無論のこと、『追っかけられる』というのは比喩――では、なかった。残念なことに。

 詳しく訊いてみたところ、今朝間借りしている男子寮の一室で目覚めて、身支度を整えて起きてきた友人たちと合流し、校舎の一角にある食堂へ向かったところまでは普通だったらしい。ところが、

 「廊下を歩いてたら、向こうから団体で走ってきてさ……いや、ホントに。例えとかじゃなくて本気の猛ダッシュ」

 「ダッシュって、貴族とか豪商とかのご令嬢が、ですか!?」

 「そうなんだよ、あり得ないでしょ? 学院には平民の子も奨学金制度で入学してたりするけど、そういう子達だって将来のためにマナーの授業で立ち居振る舞いを習ってるはずだし」

 よっぽど怖かったのか青ざめているエドワードに、話を聞いたエレノアは難しい顔で考え込んだ。まだまだ説明の途中だというのに、この時点ですでにだいぶおかしい。

 現在見事にほったらかされている自分だが、邸に来た当初は礼儀作法の基礎を徹底的に叩き込まれたものだ。落ち目とはいえ由緒正しいリースフェルト家の令嬢として、いずれはしかるべき家筋の子息と婚約することで家の再興を、的な思惑があったのは間違いないのだが、それはさておいて。

 (王侯貴族とかのお嬢様って、基本的に走っちゃダメって教わるよね? 制服のスカートってドレスより短いだろうけど、だったら余計に所作に気を付けるように言われるだろうし)

 習い始めた当初、マナーの教師から口を酸っぱくして言われたことの一つだ。淑女たるもの常に楚々とした挙動を心がけること、特にドレスを着ているときは、足首より上が見えるような事態は厳に慎まねばならないこと。王立の学院に籍を置く彼女たちは、それこそ物心ついた頃から社交界デビューを目指して日々訓練してきた、押しも押されもしないご令嬢だ。人前でダッシュするなんてもってのほか、と考えるはずなのである。

 「……つまり、朝一番でご令嬢方に交際、もしくは婚約を迫られて困り果てた、と?」

 流れで察してそう言ってくれたロビンだが、こっちも大概怪訝そうな顔をしている。現場を見ていないので想像しづらいのだ。それはあっちも予想していたようで、

 「いやね、わかってるよ? 俺だっていまだに信じられないし。でも実際に追っかけられて、ぜひわたくしと結婚して下さいませ~~!! って、延々叫ばれたらさぁ……」

 「う、うわあ、それは怖いですね……」

 『うきゅ~……』

 めそめそ、という効果音がぴったりの様子でしょぼくれる兄上に、同情を禁じ得ないエレノアである。なるほど、そりゃあ恐ろしかろう。女性恐怖症とかにならないといいなぁ、と思っていると、これまた気の毒に思ったらしきアマビエさんがひれの一つでぽんぽん、と背中を軽く叩いてやっていた。優しい。

 「うう、ありがとー……って、そういや流してたけど、この子は? キルシュハイムに棲んでる妖精さん? 可愛いなぁ」

 『きゅっ♪』

 「はい、そのような方です。ちょっと体調が優れないようなので、うちで保護してますの。……ところでお兄様、いつも一緒のお二人は? 特にジャスティン様は心配されてらっしゃるのでは」

 「あいつらなら大丈夫。ていうか俺、ジャスの指示でここまで逃げてきたんだよ。むしろ、いつまでもぐずぐずしてたら蹴っ飛ばされそうな勢いで放り出されたから」

 「あら、まあ」

 「えーと、学校のお友達? ですよね」

 「うん、そうそう。ロビンも含めて家族ぐるみの付き合いだし、もう兄弟みたいなもんかなぁ。なーんでか同い年なのに俺が一番下、みたいになってるんだけど……」

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