魔法じかけの走馬灯~異世界に隠された秘密~

もすび

第1章 魔法の理

第1話 幻想

 梅雨が去って訪れた夏。その晴れ晴れしい退屈さに、汗も流れる通学路。そこには本来、隣を歩く友人が不可欠だ。それがいなければ、現代の町並みはあまりに情報過多だと思う。赤青の標識、彩度の高い広告、カラフルな自動車、真っ赤な自販機――――そのどれもが、一人で歩く僕の目を釘つけにする。だけど、派手な割に特別な意味を持たないそれらを見ても、僕には「さみしさ」しか感じられない。そう、友人を見すえて語らうことによって初めて、灰色の街に垂らされた純色の絵の具たちが、まるで水に薄めたかのようにほどよい色合いを見せるようになるはずなんだ。つまり、過度に強調された純色の多い町並みは、孤独でない人の注意を引くために作られているから、僕には目に毒でしかないんだ。だから、僕はうつむきながら歩くことにしている。

 放課後、緑色に塗られた路側帯を歩く彼の胸には、「時田響己」と書かれた名札が安全ピンで留められたままだった。高校では、個人情報保護の観点から、名札を下校時に外すよう指導されている。それが胸に付いたままであることもまた、彼が高校で孤独であることの証明書だった。そんな彼に、背後から迫り来る金属の塊に気づく術はなかった。

 バァン、ドーン!

 二つの音が、住宅街に響いた――――



「ううん……うえっ」

 な、なんでこんなところに?草なんて気持ち悪くて嫌いだっていうのに、なんでこんなところに寝ていたんだろう?うう、気持ちが悪い。

 響己をとり囲むのは、妙に色濃い草と木々だった。彼の嫌いな草と湿った土のにおいが、その鼻をつんざいている。制服に付いた土を払い終わる頃には、彼は自分を取り巻く状況の異常性に気づき始めていた。

 僕は……そう、高校が終わって、帰ってゲームでもしようかなって思っていたところだった。それが、一体どうなったらこんなところで寝る羽目になるんだろう?……だめだ。思い出せない。……うわ、カバンもどっか行ってる。周りにも……ないか。とりあえず、こんな反吐が出る場所――――森なんてとっとと抜け出してしまおう。

 響己は、無我夢中で走った。とにかく、草が足下を埋め尽くす場所を早く離れたかった。少し先に見える光が、太陽のものであることは確かだ。あとは、そこが森の外か否かにかかっている。


 暗い森を抜けると、そこには幻想が広がっていた。あの灰色のキャンバスではあり得ない、永遠の緑がそこにはあった。遠くの草原にはいくつかよく分からない水色の物体があるのもまた、幻想らしさを際立たせている。しかも、その物体は、まるで生きているように動くのである。草が風になびく方向とは逆に動くため、本当は一種の動物かもしれないとまで思える。それは、彼の生きてきた現実とはかけ離れた景色だった。


「なんで?ここ、どこ?」


 目の前には、一本の道がある。それは舗装されておらず、どちらかといえば獣道に近い。いずれにしても、道があるなら、この辺りには人がいるはずだ。その道に出ると、ようやく足下に草がなくなった。響己は一息ついて、夏用の制服が長ズボンだったことに人生で初めて感謝した。しかし、灰色の日本に未だかつてこのような幻想が残っていたとは。彼の胸には、不安と好奇心しかなかった。

 辺りを見渡すにつれ、その好奇心は増大するばかりの不安にかき消されていく。遠目に見える水色の塊はどうやら本当に生きているようで、時たま飛び跳ねる。しかもそれらには粘性があり、風に揺れて小刻みに震えていた。彼は認めたくなかったが、これはどう考えても「スライム」系の生き物だった。


 これは夢かな?それにしてはリアルすぎるな。そうか、いわゆる「フルダイブVR」みたいな感じか。でも、そんなもの現実にはまだ存在しないよな。どうなってるんだ。それより、早く家に帰ってゲームしたいんだけど。


 ゲームというのは、彼にとっては現実逃避のための手段だった。したがって、仮にこの世界が彼のいた現実でないのなら、この世界そのものが現実逃避となり、一種のゲームになる。この一見道理のある逆説は、誤りだった。この世界もまた、一種の現実だったからである。


「おおい!そこの少年!!」


 若々しい声が、道の少し先から飛んできた。そこには、右脚を引きずりながらこちらに歩いてくる女性がいた。


「はーい、なんでしょうか」


 服装の違和感に気づく前に、響己は大声で返答した。これほど大きな声を出したのは、合唱コンクール以来だった。彼女の服装はやけに派手で、つばの長い白い帽子はさながら魔女のコスプレのようだった。杖代わりに突いているのは金色の棒のようなものだったが、先端には何やら暗い緑色の大きな玉が付いている。響己は、内心焦り始めていた。現実感のない現実は、大抵絶望と無力感に結びつくものだからだ。


「ちょっと、きてくれないかな、脚が、痛くて、上手く歩けないの!」


 響己は残った体力で彼女の元に駆けつける。近くで見ると、その服装はますます普通ではなかった。肩の出た黒色のスクール水着のようなものを着ておきながら、その上にいわゆるマントに襟が付いたような、白く長い前開きのコートらしきものを羽織っている。引きずっている方の足だけに履かれている黒色のタイツの上端は、少し短めの紫色のスカートに隠されている。これは、明らかに異文化との接触だった。しかし、なぜか日本語が普通に通じている。その事実のせいで殊更現実味がない。ここは、日本ではないのか?


「あ、脚は大丈夫なんですか!?救急車呼びましょうか?」

「キュウキュウシャ?……その、隣町まで行くんだったら、よかったら肩を持ってくれないかな?脚が痛くて、動かないの」

「え、え?お一人ですか?」

「ちょっと訳あってね」

「町に行くんでしたら、ちょうど良いので一緒に行きましょう」

 町に出れば、ここがどこなのか分かるかもしれない。響己は、そう思って提案を承諾することにした。


 肩を担ぐと、初めて他人の体温を知った。少し甘い香りが自分の汗のにおいにかき消されないか不安で、ほどよい気温にかかわらず余計に汗が出始める。それを悟られる前に町に出たいところだが、響己は彼女のために歩みを揃えた。疑問は多々あるが、何から聞いて良いか分からなかった。


「私、ヒアリールっていうの。よろしくね、少年」

「……今なんていいました?」

「だーかーら、私、ヒアリールっていうの」

「ヒアリール?外国の方ですか?」

「まあ、そうだけど」

「日本の人ではない、か」

「ニホン?何を言ってるの、少年」

「え?日本を知らないんですか?日本語話してるのに」

「ごめん、少年。そもそもどこ?ニホンって」

「僕たちの住んでいる国ですよ。当然ですけど」

「へえ、この国ってニホンともいうんだ。ヴァンダリアって聞いてたから、初めて知ったよ」

「え?バンダリアって何ですか?」

「いや、少年はヴァンダリアに住んでるんでしょ?」

「……つまり、ヒアリールさんは、あくまでこの国はバンダリアであって、日本ではないというんですね?」

「そうだよ。少年、なんか別世界からでも来たようなこと言うね?そういう見え透いた冗談は、お姉さんにはバレバレだからね」

「……冗談だったら良いんですけどね。本当に。ところで、あそこの水色の塊は何ですか?」


 そう言うと、響己は遠くの景色に見える水色の塊を指さした。ヒアリールは、目を凝らして言う。


「ああ、アレはスライムだよ」

「もしかして、魔物ってやつですか?」

「察しが良いねえ少年。そう、アレは魔物。倒したら、どうなるか知ってるかな?」

「えっと……経験値が入る?」

「ケイケンチって何?経験のこと?あんな弱いの、倒しても何の経験にもならないよ。……でも、少年には良い経験になるかもね。ひっひっひ」

「……それで、どうなるんですか?」

「魔物を倒すと、『魔力の器』が残るんだ。『私たちも彼らも、生きるのに魔力を使う』、というのはいくら少年と言っても常識だよね?それをためておく器が、『魔力の器』。人間は体全体で魔力をためられるけど、魔物みたいなは、『魔力の器』がないと魔力をためられないんだ。やつらが魔力を消費しきると、体が空っぽの『魔力の器』だけを残して消えるの。分かったかな?少年」

「……いやいや、何ですか、魔力って。そんな力、どこにあるんです。そもそも、力というのは強い核力と弱い核力とそれから電磁気力と重力しかないんですよ」

「何言ってるの?魔力は全ての源だよ。少年、そういうの良くないよ」

「いやいや、ええっと、つまり、……冷静に考えると、そもそもここは地球ではない?」

「チキュウなんて知らないから、多分そうだよ。君は、なりきりとかじゃなくて本当に別世界の人?」

「むしろ、ヒアリールさんがなりきってるんじゃないですか?異世界人に」

「冗談きついね、少年。そんなこと言ってたら嫌われるよ?私は優しいから、今謝ったら許してあげても良いんだけどな~」

「……ごめんなさい。僕、多分異世界転生しちゃいました」

「転生?ひひひ。そんなのあり得ないよ。小説でもあるまいし」

「……価値観が分かりませんよ。僕だって、転生なんて願っても叶わないことだとは分かってます。でも、目の前にはあり得ない現実があるんです。ですから、そう考えるしかないんですよ。既知の事柄に未知を分類していくというのが、学問の本質なんです」

「最後のだけは分からんでもない。でも、この話は学問に関係ないよね。上手いこと言った気になってるところが良くないよね、少年。ひひひ」

「……」


 中学生の頃の古傷が痛み出した響己は、涙目になって何も言い返せなかった。


「うわ、ごめん、泣かないで。隣町までは送って、お願いだから」

「わかりました。泣いてまぜんよ、べつに」

「うそつき……お詫びに、魔法のなんたるかを軽く説明してあげよう、少年。魔法は、この魔力の器に貯めた魔力を使って、発動できるんだ。実演してあげよう、君の目に、君の醜い欲望でできあがった願望を見せつける魔法を」

「いきなりそんなひどい魔法使うんですか?普通、指先に火をつけるとか……ないんですか、もっとこう」

「少年につける薬はないよ。これ以外にはね」


 そう言うと、ヒアリールは杖を強く握って、


「ダークネス・イリュージョン!」


 と唱えた。しかし、響己の目に映る景色は変わらなかった。目に映るのは、変わらずこの幻想とすこしかわいらしいヒアリールの横顔だけだった。


「……何も起こりませんね。それとも、この世界が僕の醜い願望なんですか?」

「え?……ああ、そうか、今魔力切れだった。ひひひ。うっかりしてたよ」

「……魔力切れ?じゃあこれって、電力量みたいに、なんかエネルギーみたいなものなんですか?」

「電力量?まあ、大方魔力はエネルギーの一種だと思うよ。これが少し違うのはね、魔力は何にでもなるの。物体にも、火にも、なんとやらにもね」

「ほう……なんか、色々応用が利きそうですね」

「そうなの。魔法はね、魔法言語で記述するの。魔法言語で術式を書いて、魔力の器にその術式を入れ込むんだよ。それをそのまま唱えても魔法は放てるけど、それに名前をつけておくと、さっきみたいに短い単語で唱えられて、放つのが楽になるんだ」

「なるほど。プログラミングでいうところのクラスみたいなもんか」

「よくわかんないけど、まあ、そうなんじゃない?」

「すると、ヒアリールさんは魔法使いさんですか?」

「そうだよ。私、魔法が大好きでね。この杖の先っちょに、おっきい魔力の器があるでしょ?これに、たくさん魔法を入れ込んであるんだ。これ元々透き通るような緑色なんだけど、術式を入れすぎて濁り切っちゃった。……ひひひ、これを真っ黒にするのが全魔法使いの夢なんだよ。すごいでしょ」

「すごいですね。……努力の結晶、ですね。まさに」

「うまいね、少年。でも、魔力の器にも容量があるから、術式を書き込むほど魔力の容量が減っちゃって、その術式が使えるほどの魔力も貯められなくなって、魔法が使えなくなっちゃう。だから、どうしても真っ黒にできないっていうのが、魔法使いたちのジレンマなんだよ、少年。……少年って呼ぶの飽きたし、名前教えてよ」

「……僕は、時田響己。時田でいいですよ」

「トキタ?……なるほど。別世界から来たんだもんね。そうだそうだ。ひひひ。まあ、私はヒビキに従うほどやわじゃないよ。肌は柔らかいと思うけどね、ひひひ」


 響己は制服を着ていたが、ヒアリールの肌はそれ越しでもわかるほどにやわらかく温かいものだった。


「い、いや、そんな、意識させないで下さいよ。僕は、あくまで町に出たいから一緒にいるんですよ。あと、ヒビキって呼ばないで下さい。時田でお願いしますよほんと」

「ひひひ。君をからかうのが私の趣味でね。すまないねえ、少年」

「いや、少年って呼ぶなら名前聞く意味なかったじゃないですか……」

「ひひひ。……それにしても少年。少年からはなんか魔力を感じないね」

「え?魔力を感じない?」

「ねえ、こっち向いてよ少年」


 響己がヒアリールの方を向くと、唐突にヒアリールは響己とおでこを合わせた。響己の頭の中は、とうとうヒアリールの甘い香りで一杯になってしまった。鼓動の用途さえ、変わりかけていた。ヒアリールはおでこを離すと、つばをのんだ。


「……やっぱり少年の体には魔力が流れていないね。……どうやって生きてるのか分からないくらいだよ。おでこを合わせても魔力を感じないって、あり得ないもん」


 響己は胸を押さえながら言う。


「そりゃあ、地球には魔力なんてありませんでしたから、そんなもんに頼らなくても生きれますよ」

「ふうん、そう……少年は、どうやら本当に別世界の人間なんだね。……どうやって来たの?」

「それが、分からないんですよ。通学路を歩いてたら突然あそこの森に寝ていたんです」

「……不運だね、少年。神話に言われる、『邂逅』だね、それは」

「カイコウ?」

「『世界樹』の膨大な魔力が溢れて、数年に一度別世界とこの世界をつなげる穴ができると言われているんだ。君は、偶然そこに入ったってことだよ」

「……そんなことあり得るんですか?」

「ふふふ、私の母国では、空間転移魔法さえあるんだよ。いわゆる、テレポート。だとしたら、膨大な魔力によって偶然世界をつなげる穴ができてしまうことがあるというのも、想像に難くないよね」

「……なんで、転移したのが僕なんですか」

「さあ。魔力はきまぐれなのさ。……それはそうと、良くあの森から生きて出られたね。」

「え?何もありませんでしたよ?どういうことですか?」


 そう言うと、ヒアリールは果てしなく伸びる獣道の右側にある森の奥をにらみつけて言う。


「あの森には恐ろしい魔物がいるんだ。人を喰う、マーダラーワームだよ」

「ひ、人を喰うですって?」

「そう。あの森に少しでも入り込むと、マーダラーワームは襲いかかってくるはずだよ。だから、そんなところに寝ていた君がなんで生きて出られたのかなって思って」


 響己は脚が震えて動けなくなってしまった。そう、あの森は、いわば食虫植物の腹の中だったのである。そんな場所でのんきに寝ていたことを思うと、自分が生きていることの運の良さを思い知らされる。そして、自分が寝ていた場所に現実世界に戻る手がかりを求めることがもはや不可能であることを悟った。その手がかりを得ようとすれば、この世界では済まされない世――――あの世に送られることだろう。


「うう、もう嫌だ。帰りたいよ。……こんなところ、もうこりごりだあ」


 涙を流し始めた響己を慰めるように、ヒアリールは響己の肩をぽんぽん叩きながら言う。


「……帰りたいよね、元の世界に。そりゃあ」

「それはそうですけど、僕は帰れるんですか……」

「まあ、来れたんだから帰れるさ、多分。とりあえず、少年。町まで連れて行ってくれたら、君が元の世界に戻れるよう、手助けをしてあげよう」

「本当ですか、ありがとうございます」

「遠慮しないんだ。ひひひ。少しは遠慮しないとダメだよ、少年」

「……ごめんなさい。僕だって、帰りたくて必死なんです」

「まあ、それはそうか。悪かったね、少年。それで、果たして、君には生殺与奪の権限を全て私に預ける勇気はあるかい?……ひひひ」


 響己は身震いした。この女性に、本当に自分を救う気はあるのか。まだ出会って少し話しただけのこの女性を簡単に信用して良いのか。この女性が、自分を危険な魔法の実験台にする可能性も大いにある。「生殺与奪の権限を全て私に預ける」という表現には、そういう含みがあってもおかしくはないのだ。

 しかし、この女性でなければ、元々孤独で人との関わりが分からない自分の話などそもそも聞いてはくれまい。まして、自分が異世界人であることなど信じてもくれないだろう。そう思った響己は、半ばやけくそではあったが覚悟を決めた。


「……いずれにしても、この異世界ではヒアリールさんに頼るほかありません。煮るなり焼くなり、もう好きにして下さい。よろしくお願いします、ヒアリールさん」

「おお、潔いねえ。いいよ~。じゃあ、この大魔法使いヒアリール様が、君が帰れるように手助けしてあげようじゃないか。そうだなあ……じゃあ、早速四つん這いになって、私の馬になってもらおうか」

「ええっ、そんな……分かりました。僕も男です。馬にでも何でもなりましょう」


 響己が地面に手を突くと、ヒアリールは慌てて響己の背中を軽くたたいた。


「ちょ、ちょっと。素直すぎだよ。冗談が通じないんだね、少年。さすがに私でもさ、そんなことさせるわけないじゃん。……少年、奴隷根性が染みついてるねえ」

「……すみません、頼れる人は、もうあなたしかいないんです。僕には」

「分かったよ。少年、心意気や良し。さあ、まずは約束通り連れて行ってもらおうか。隣町まで」


 かくして、響己とヒアリールの冒険は始まる。この女性は、本当に自分の味方なのか。そもそも、ここは本当に異世界なのか。響己のそんな様々な疑念をよそに、二人は隣町へ歩く。固い獣道に、強く突かれた杖の跡と、ヒアリールの引きずった右足の跡だけを残して。

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