取引の目的
二階は仕事が終わると、いつものバーに訪れた、前回とは違い、今回は新木田から誘った。
前の勉強会から一週間後という普段よりも短い間隔だったが、二階はなんの疑問も持たなかった、例の話をつけるのだろうと考えたからだ。
「やあ新木田君、少し待たせたね」
「いや大丈夫、私も今来たところだ」
「じゃあ君は自分から誘っておいて遅刻したということかな」
二階が冗談を言うと、新木田は苦笑いして答えた。
「君には社交辞令というものが通じないらしい」
「それで今日はどんな話があるんだい」
「今日はこの間のお誘いを断りに来た」
新木田がそういうと、二階は少し戸惑った様子を見せたが、すぐに冷静さを取り戻した。
「おや、てっきりもっと慌てると思ったのに、君が慌てる姿を少し見てみたかった」
「新木田君、その様子だと私が何をしようとしていたのか知っているみたいだな」
新木田は少し笑った後、カバンから書類を取り出した。
「これは日本トランジスタ社の決算報告書だ、これを読むとどうやら日本トランジスタは去年の12月に自社の資金をかなり使っている」
「それは説明不要だろう、部品を開発するのに使ったんだ」
「その通り、だがそれだけではない」
新木田は書類をめくった。
「この会社は12月からその仕事を集中的に取り組んでいる」
「そうだな」
「しかし、今年の1月からこの不景気だ、予算を使うのは苦しくなる、おまけに2月から春闘が始まった」
二階は話を聞いて頷いた。
「その苦しみはよく分かる、労働組合の連中には困ったもんだ、この不景気だというのに賃金を上げることを求めてくる」
「ああ、だがこの会社の場合は苦しいなんてもんじゃない、部品の開発がかかっている」
「確かにそうだな」
二階がそういうと、新木田は答えた。
「そうなってくるとあることが起こる、開発の中断だ」
「面白い推理だな、新木田君、でもそれはあくまで可能性の話だ」
二階は続けた。
「どこに開発を中断した証拠があるんだい」
「株価の変動だよ、君はこれから新しい部品の発表で株価が上がると言ったが、その発表なら既に会計報告書の中で発表している、これでは株価が上がったりしない」
新木田はひと息吸うと、二階に言い放った。
「しかし、12月の発表から1月の株主総会で株価は下がっている、この会社は部品開発に集中して取り組んでいる、このタイミングで株主総会を開くとしたら開発関連のことだ、だから株価が下がるとしたら開発が中断、もしくは中止になった発表以外ありえない」
人のいない静かなバーで話は続いた。
「おそらく開発が中断されたからだろう、そのことを聞いて君は焦った」
二階は新木田をじっと見た。
「なぜなら君は日本トランジスタとの取引の担当者だったからだ、もし開発が中断した場合、君は部品を調達できず、少々面倒なことになる」
「なるほど、それは新木田君の言う通りだ、確かに私は日本トランジスタなどの下請け会社との取引を担当している、だから部品の開発が遅れたら少し厄介なことになるな、だがそれが株を買わせることに何の関係がある」
新木田は間違ったことを言っていないか、再度考えてから言った。
「株を買わせることができれば、多少の資金は調達できる、しかしこの事情を説明しても買ってもらえるわけじゃない、そこでインサイダー取引をさせることで資金に困っている会社からほぼ確実に株を買わせることができる」
「なるほど、つまり君は日本トランジスタ社が資金不足で部品が開発できずにいるから、私がインサイダー取引という形で資金を調達し、取引させた会社は取引の利益で資金に困らなくなる、そう考えたわけだ」
「ああ、その様子を見るとこの推理は当たっていると考えても良さそうだな」
新木田の言ったことは正しかった、二階はこの時すでに他の下請けの会社にも同じような話を持ちかけていた。
しかし、この新木田のようになぜ取引をするのか追求してくるものはいなかった、疑問に持つ者はいても、追求したところで自分達の状況が良くなるわけではないからだ。
なぜわざわざ自分の考えを伝えたのか、二階は疑問に思った。
「見事な推理だ、君の言っていることは正しい、この取引を断るのはいい、ただし我々の邪魔だけはしないでくれよ」
「分かっているさ、このことを言えば私の会社とXカンパニーの関係を悪化させるつもりだろ、だから決して言わないが、その代わり私の会社がこの取引を持ちかけられたことを言わないでくれよ、たとえ取引が暴かれて捕まったとしてもだ」
「ああ、約束するよ」
話が終わり、両者はバーを去った。
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