6

「えーっとこの問題を……目野もくの!」


 学校(高校じゃないぞ)へと着き、俺は琴未ことみとして授業を受ける。

 ……本当に退屈だ。

 小学校で教わることなんて、今の俺からしたら当たり前すぎることだ。

 しかも、これが六時間も繰り広げられるとは何て苦行なのだろう。

 でも、先生の教え方は非情に上手いと思う。

 黒板には本当に必要なことしか書かないし、難しそうな箇所はゆっくりと丁寧に退屈させないように話してくれる。

 何で琴未ことみはこの先生で勉強ができないんだ。

 その謎を頭で考えながら、俺は頬杖をついて先生の話を聞いていた。

 今は算数の時間で、黒板には問題文の式が書かれている。

 優しく丁寧に、そしてキレイな字で式は見やすく仕上がっている。

 俺なら簡単に解けるであろう問題だが、小学生には少し難しいかもしれない。


 しっかし、先生は先程から仕切りに苗字を言っているが、クラスメートの誰のことを言っているのだろうか。

 何故か先生の視線は俺に向いているのだが……。

 そして、先生は目を細めさせながら俺に近づいてきた。


目野もくの、聞こえないのか?」


「え? 目野もくのっておれ……じゃなかった。私のことですか?」


「お前以外に誰がいるんだあ?」


 その瞬間、教室中でドッと笑いが起こる。

 ああ、ボーッとしてたから忘れてた。

 今の俺の苗字が『目野もくの』で名前が『琴未ことみ』だということに。

 同じクラスメートである沙里さりちゃんはため息をついてこちらに目を合わせてくれない。

 先生も沙里さりちゃんと同じくため息をついて、呆れ返っている。

 どうやら、琴未ことみお得意のおフザケだと思われたようだった。

 よ、良かった……。


「いくらしらばっくれても無駄だぞ目野もくの。さあ、この問題がお前に解けるかな?」


「えーっと……」


 先生にチョークを渡された俺は教壇の上に立って黒板に答えを書き込んでいく。

 背伸びをしながら式の横に答えが記入されていく様は、他の人から見たらどう映っているのだろうか。

 答えを書き終わった俺は手についたチョークの粉を払いながら先生を見上げた。


「先生、どうですか?」


 すると、先生は黒板の答えと俺の顔を見比べた。

 その目は丸く驚いていて、信じられないというような表情だった。

 だが、先生はすぐに笑顔へと変わる。

 それは琴未ことみに対しての賛美だった。


「……正解だ。よく勉強してるんだな」


 そして、先ほどとは違った歓声が教室で起こる。

 みんな口々に凄いと俺をほめてくれる。

 だけど……だけど! こんなので褒められてもちっとも嬉しくない!

 この体で何やっても琴未ことみの功績になるじゃないか……!

 それに、俺なら当たり前に解けなきゃいけないんだから!

 普段勉強が全くできない琴未ことみの振る舞いために、彼女としての回答には加減がいる。

 本当は小学校の問題なぞ文字通り問題ないはずの俺は、複雑な思いに駆られながら自分の席についた。

 その時、俺の前の席にいた女の子が声をかけてくれた。


「凄いね、琴未ことみ


「え? ま、まあね……」


 彼女は朝の登校の時に一緒にいた女の子だった。

 名前は確か樹亜羅きあらちゃんだったと覚えている。

 セミロングの髪型で、前髪をピンで止めておでこを見せている樹亜羅きあらちゃん。

 彼女はつぶらな瞳で俺に対して興味深そうに見つめていた。


「いつもは間違ってばかりなのにね。いつどこで勉強してきたの?」


 上手くごまかさないと、本当に俺の正体がバレてしまう。

 彼女の追及を逃れるために、必死に身振り手振りを使って言葉を話した。


「ちょ、ちょっとね。最近は勉強しようかなって思って……」


「ふーん……」


「ほら! 私、家庭教師がいるから! 凄い先生なんだよー」


 自分自身を褒めるのも大概にしたいが、今はしょうがない。

 家庭教師が素晴らしいから、琴未ことみはお勉強が出来るようになった。

 そう、このおてんば娘の口から言わせないとどうにもならないんだ。


「へぇー……」


 俺の言葉を信頼していないのだろうか。

 樹亜羅きあらちゃんは何か唇を歪ませて再び前を向いた。

 むう……。いくらボヤーッとしてたからと言って、変に回答したのが悪手だったか。

 これからは考えて答えを出さないと。


 そんな退屈な授業は夕日が顔を覗かせた頃に終わりを告げた。

 今日の授業は全て座学ということで、俺はひとまず安堵していた。

 プール授業とか体育とか、ヤバい授業が初日になくて良かったよ、本当に。

 帰りの会という何とも懐かしい行事の後、各エリアに分かれて掃除が始まる。

 偶然にも、本日の掃除当番ではなかった俺は同じ班である沙里さりちゃん・樹亜羅きあらちゃんと一緒に帰ることができたのだった。

 朝の時も思ったのだが、どうやら琴未ことみを含めたこの三人は仲良しグループということらしい。

 とにかく、俺はボロがでないように基本的に沙里さりちゃんと樹亜羅きあらちゃんの会話に相槌を打つということで乗り切ろうと思う。

 だが、この三人で話題になってしまうのは、やはり琴未ことみのことになるのだった。


 樹亜羅きあらちゃんは依然として俺に対して怪しげな視線を送ってくる。

 彼女は疑い深い女の子なのだろうか。

 レースの装飾が施された高級そうなシャツを着こなしている彼女からは、育ちの良さのようなものが伺える。

 スカートも柔らかそうな素材を用いており、これもまた高額な商品であろう。

 そんな彼女は、手提げカバンを持ちながら俺に話題を振った。


「それにしてもさ、凄いよね。今日の琴未ことみ


 それに付随するかのように、沙里さりちゃんも頷く。

 ああ、彼女の口から変なことが発覚しませんように……。


「そうだね。琴未ことみちゃん、いつの間に勉強できるようになったの? まるで別人みたいだったよ」


「え゛!? そ、そうかな?」


「うん。今日の琴未ことみは別格だったね」


「そ、それは……樹亜羅きあらちゃんにも言ったじゃん! 家庭教師の先生が教えるのが上手いからだって!」


 自分で言ってて恥ずかしい。

 だが、彼女の猛攻を振り切るにはこれしか方法がないんだ……!


 このまま黙ってて欲しかったのに、沙里さりちゃんは余計なひと言を付け加え始める。


「えー、でも今日の問題ってまだかける先生から教えてもらってない箇所から出てたよ?」


「う゛!」


「そうなの? じゃあ琴未ことみが家庭教師に影響されて勉強を始めたってことなの?」


「あーそっかー。琴未ことみちゃん……! ようやくお勉強に興味を持ってくれたんだね……!」


 感無量と言わんばかりに、沙里さりちゃんは涙して俺の手を握った。

 彼女の柔らかな肌と温もりを感じながら、俺は必死に頭を縦に振る。


「そうそう! かけるってすっごく教えるのが上手だから私もついその気になって予習しちゃったのよねー!!」


「へー、そんなに家庭教師って良いものなの?」


「良いかどうかは分からないけど、琴未ことみちゃんの様子を見れば良い影響はありそうだよね」


 俺への追及がなくなり、今度は家庭教師の話題になっていく。

 よ、よし! 何とか危機は去った。

 しかもステマも成功して、俺のバイト先に新たな教え子が入会してくるかもしれない。

 仕事したぞ、俺。


「それより聞いてよ樹亜羅きあらちゃん! 私ね、ついに手に入れたんだよ!!」


「え? 何を?」


「巷で評判の甘くておいしいって評判の、私の大好物な……」


 特に感想もなく、二人の話を聞いていく。

 その後は何となく二人に追従して歩いていたのだが、樹亜羅きあらちゃんが放った一言で思わず心臓が飛び出てしまいそうな気持ちになった。


「そー言えば、最近変な事件が多いって親から聞かない?」


「え? どんな事件?」


「例えばさ、公園で裸になっている女性の遺体を発見したとか」


「……それって」


 鋭い眼差しになった沙里さりちゃんは、樹亜羅きあらちゃんの言葉を一つ一つ飲み込んでいる。

 樹亜羅きあらちゃんが話しているのが昨日の公園だとしたら、きっと犯人はあの怪物なのだろう。


 さらに、樹亜羅きあらちゃんは怖い顔をして話題を付け加えた。


「最近さ、こんな噂があるんだけど」


「ど、どんな噂……?」


「夜中、公園を一人で歩いていると、触手のお化けが出てきてその人を食べるんだって」


「へ、へぇー」


「ま、あくまで噂だしね」


 そう言って、樹亜羅きあらちゃんは俺たちとは別の道を歩き出す。

 どうやら、彼女とはここでお別れのようだった。


「二人とも気を付けるんだよ。その先、噂の公園がある場所なんだから」


「うん! ありがとうね樹亜羅きあらちゃん!」


 沙里さりちゃんは彼女に手を振って笑顔で応えている。

 俺も沙里さりちゃんを見習って、手を振った。

 俺の表情は少しだけ暗くなっていたが。


「じゃあね二人とも。また明日」


 樹亜羅きあらちゃんは手を振りながら、道の奥へと駈け出していく。

 遠くなっていく樹亜羅きあらちゃんは、直に見えなくなっていった。

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