3

 公園から離れて、ようやく俺は一息つくことができた。

 ずっと抱きしめていた琴未ことみを降ろして、汗を拭う。

 息も切れ切れでもう走れないが、あの触手化物もここまでは追ってはこれまい。


 助けだした琴未ことみは、相変わらず俺と目を合わせようとしない。

 しかも若干の恥ずかしさを覚えているのか、自分の服を見てはそわそわとしている。


琴未ことみ、お前何でこんな時間に出歩いてるんだよ」


 当然の疑問を彼女にぶつける。

 色々と聞きたいことがあるが、最初に聞くことはこれだろう。


 琴未ことみはしばらく口を聞いてくれなかったが、観念したようで重たい口を開いてくれた。


「……あの化物を倒そうとしてたの」


「あれを!?」


 俺の驚きに、口を尖らせながら琴未ことみは頷く。

 それからため息をつき、彼女は何やら怪しい呪文を唱え始めた。

 すると、彼女の体は光輝く。

 目を開けてられない程の光が引いた頃、彼女の服装はいつもと同じデニムのスカートとデニムのジャケットになっていた。


「ねえ、かけるって魔法少女、信じてる?」


「ま、魔法少女ぉ?」


 そんなおとぎ話誰が信じると言うのだろうか。

 いや、でも目の前で起こった現実は何だ?

 あれは……白昼夢みたいなものだろう。今、夜だけど。

 とにかく、今は驚きの連続で頭が追いついてないことは確かだった。


 琴未ことみは俺の素っ頓狂な返事に苦笑いしつつ、壁にもたれかかった。


「私、この世界に修行に来てるんだ」


「この世界?」


「うん。私と沙里さりちゃんは別の世界から来たの」


「へー……。って、冗談だろ? それよりちゃんと勉強した方がいいんじゃないのか? んー?」


 こんな時でも、彼女は俺をからかっているのだろうか。

『ガムパッチン』が始まったのだと思い、俺は彼女の言葉に真面目に応える。

 俺としては真剣な言葉だったのだが、彼女にとっては期待はずれの言葉だったのだろうか。

 少しだけ悲しそうな表情をしていた。

 だがそれも一瞬で、彼女は急に猫撫で声を出しながら俺に迫ってきた。


「そーなんだよねー。私も一生懸命お勉強したいのよー」


「ほ、ほお。琴未ことみが勉強好きだとは思わなかったよ。俺も家庭教師として鼻が高い」


「ねーかけるせんせー、私の一生に一度のお願い聞いてくれる?」


「一生に一度? 何だよ」


「私の代わりにあの化物と戦って修行積んでくれないかな?」


「……はっはっはっ。何を言っているのかな君は?」


「イエスかノーかで答えてよ、かけるせんせー」


 いつものお遊びだ。

 俺はそう思ってこんな答えを出してしまった。


「イエスだイエス。さ、これで勉強に集中してくれるのか?」


「……同意は貰ったっと」


「え?」


 その瞬間、琴未ことみは再び光に包まれる。

 一瞬で琴未ことみが着ていた服が様変わりする。

 彼女は公園で会った時のようなフリルのついたドレスに身をまとっていた。

 彼女の手には先端に天使の輪っかと羽根がデザインされている棒を持っている。

 それをかざし、琴未ことみはこんなことを言い始めた。


「エンジェルロッド! 私の願いを叶えて!!」


「な、何を言って――うわっ!」


 赤白い光が俺と琴未ことみの体を包み込む。

 それは何だか気持ちが良く、ずっと包まれていたいとさえ思う。

 そして、胸の中心から何かが出て行く快感。

 その快感と共に移動しているかのような錯覚が起き、俺の視界は真っ白になった。

 気が付くと、俺は地面に倒れこんでしまっていた。

 夜風ですっかりと冷え込んでしまった地面を感じながら、俺は目を覚ます。


「……ん。一体何が……」


 妙にクリアな頭を無理やり持ち上げて立ち上がる俺。

 それと同時に違和感が俺を貫く。

 視界が低くなっていた。

 いつもの視界なら、目の前の電柱は底まで見えないはずだ。

 だけど、今の俺は電柱が地面に刺さっている姿を立っているのに見ることができる。

 周りに建っている家やビルも随分巨大になったものだ。

 首を限界まで見上げなければ頂上も見えない。


「何か……色々な物が大きくなっているような……って何だこの声」


 自分の声ではない。

 何度か咳をして言葉を喋ってみても、いつもの声が出ることはない。

 だが、何だか聞き覚えのある声ではあった。

 いつもよりも低い声だからかその人物を特定できない。


「そう言えば、琴未ことみはどこにいったんだ……」


 喉の調子を整えながら歩いていると、俺の髪の毛に揺れるような感覚があることに気がついた。

 その揺れた髪を手でわしづかみにする。

 すると、『触られた』という感触を俺の神経が訴える。

 ということは、これは俺の髪の毛?

 手を動かして髪の根本まで移動させると、途中で髪を束にして縛っている紐にぶち当たった。

 これって琴未ことみのようなポニーテールになってるのか?

 そこで、俺はようやく自分の衣服に興味を持つようになった。

 視界に入るのは琴未ことみが着ていたデニムのジャケットとスカート。

 そして、中に着ているのはこれまた琴未ことみが着ていた無地のTシャツだ。


 嫌な予感が徐々に現実の物へとなっていく。

 その予感を払拭させようと鏡のある場所を探す。

 だが、鏡のある場所を探しだす前に答えが分かってしまった。


 何故なら、目の前に『俺』がいたからだ。

『俺』は目が合うと、怪しい微笑みを投げかける。

 終始見下したような視線を受けながら、俺は恐る恐る『俺』に向かって指をさした。


「お前……まさか琴未ことみか?」


「正解! よく分かったねかける


「な……何なんだよこれ!」


 全然理解できない、目の前の状況が。

 俺の頭がおかしくなったのだろうか。

 今、この場で寝っ転がって朝を待つ。

 そしたら自分の部屋で寝てて、宿題ができなかったって夢オチで絶望した方が何百倍もマシだ。


「何なんだよって、私とかけるの体を入れ替えたんだよ」


「は、はぁ? 何でそんなことが出来るんだよ! ってか何でするんだよ!」


「だって『私と契約して、私の代わりに魔法少女になってよ!』ってのに同意したじゃん。男に二言はないよ」


「あれマジだったの?」


「うん」


「……こ、これからどうすれば。そっか。その……まほー少女とか言うのに俺がなって同じことをすれば元に――」


「戻れないよ」


「何でだよ!」


「魔力は引き継がれないもんねー。相当な魔力がないと今の魔法はできないし、まあ、かけるにはまだ無理だよ!」


 言ってる意味がよく分からなかったが、つまり今の俺では同じ方法で戻れないらしいことは分かった。

 俺の頭の中で様々な不安がのしかかる。

 明日の授業はどうする?

 俺は琴未ことみになって学校に通うのか?

 目の前のこいつは俺になって何をするんだ?

 慌てふためく俺を喜劇だと思っているのか、冷静に見つめている琴未ことみを睨みつける。


「他人事だと思いやがって……」


「うーん、睨みつけてもその体だと怖くないよ。むしろとっても可愛らしいねえ。よしよし」


 ニコニコさせながら、琴未ことみは俺の頭をなで始める。

 うぐ、他人に頭を触れられると少し嫌な気持ちになる。

 俺はすぐに琴未ことみの腕を払った。


「自分の体は大事じゃないのか?」


「まあ、かけるなら私の体を任せても大丈夫かなって思って。それにさっきも言ったでしょ? 修行しに来てるって。それがね、ずっと修行漬けでさすがの私も疲れてきてたんだよ」


「疲れてきたって……一体どんな修行だよ」


 琴未ことみはあまり多くを語らなかった。

 不安げな俺の姿を元気づけるように、琴未ことみは俺の姿でいつものような元気な笑顔を見せた。

『俺』がここまで笑顔になったのはいつ以来だろうか。


「大丈夫だって。私はかけるの姿でも魔法が使えるし、いざという時は何とかなるよ」


「本当か?」


「魔法力のちょっとした応用で記憶だって読めちゃうんだから。それに、飽きたら元に戻すもん」


「そうか。それなら安心だ」


 何が安心なのだろうか。

 だが、混乱している頭に琴未ことみが言い放った言葉は俺の脳内をクールダウンさせるのに最適だった。


「あと、一つだけ約束守って欲しいんだけどさ」


「はい?」


「他の人にこのこと言わないようにしてね。特に沙里さりちゃんには」


「な、何で?」


「何でも! もしバレたら一生元に戻してやらないんだから! あ、それより満員電車で痴漢した後で元に戻した方がダメージ大きいかな?」


「あー分かった分かった!! そんなことやったら俺の人生が一瞬で終わる!!」


「じゃ、俺の代わりに頑張って修行してくれよ。琴未ことみ


 さっそく魔法力のちょっとした応用を始めたのか、琴未ことみは俺そっくりの言葉を使って俺に後ろを見せる。

 そして、高笑いと共に手をふらふらさせて俺から離れていくのだった。

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