三章 公園

 東はここ最近放課後に実家のお役目という名のバイトに精を出していた。実家の仕事が忙しくシフトを詰められた結果望んでいない五連勤が出来上がっていた。

 最近気持ちは乗らないし体は疲れていた。忙しいとはいえ一日ぐらいは休む交渉が出来なくはないはずなのに、何故今日もバイトへ向かっているのか自分でもよくわからなかった。

 駅へと向かっていると、時間帯からして珍しく内藤に声を掛けられた。

「おう東、お前も帰りか」

「何、あんた部活は?」

 さぼっているのは東には察しがついたが、挨拶みたいなものだった。

 内藤がさぼるのは珍しい。けれど最近の内藤を見ていると別に不思議ではなかった。余裕がないように見える一方で、活力が弱い様にも思える。

「丁度良いからちょっと付き合えよ。どうせ暇なんだろ」

 東は暇じゃない、と言いかけたが、バイトまでは多少時間があり、少しだけ付き合うことにした。

 小さな公園で保育園帰りの子供が親に見守られながら砂遊びをしていた。東は一人、空いていたベンチに座ると、前にも似たような事があったことを思い出した。公園でただ話していただけなのに、内藤を可愛がっていた先輩マネージャーが尾ひれを付けた噂を流した結果、当時の東の彼氏が怒ってクラスの男友達の連絡先を全部消してしまった事があった。

「そういえば、あんたと付き合ってるとかって噂でたら面倒臭くなるよね」

 今は別れたので関係無いが内藤には文化祭に呼んだ彼女がいたはずだった。

「あんたの彼女に話伝わったら私面倒じゃん」

「学校ちげーだろ。それにあいつとはもう別れたし」

「はっや。もうちょっと大事にしてあげなあ」

 付き合い始めたのは文化祭のちょっと前でまだ二月も経っていないはずだった。

「あのな、俺がフラれた側だっつの」

 拗ねたように言う内藤に、つい東は笑ってしまう。それに対して何かを言ってくるのかと思ったが内藤は渋い顔をしているだけで何も言ってこなかった。波島も最近言っていたけれど、文化祭までの調子が戻っていないように見えた。

「なんかあんた元気ないよね」

「お前もな」

 間断無く返された答えに一瞬言葉が詰まる。

「で、何、失恋話を聞かせてくれるの?」

 東は誤魔化すように質問をした。

「別にそういうつもりは、そうなのかなあ。そいうのも関係してんのかな」

 立ったまま煮え切らない態度の内藤を、砂山を無邪気に作る少年を眺めて待った。

「なんつーかさ、最近つまらねーなーと思ってさ」

 考えた挙げ句それかと東は思ったが、頭に人物が浮かんだ。

「篠原悠馬?」

「なんであいつなんだよ」

「えー違った?」

 なんとなく浮かんだ篠原悠真の名であったが良い処をついている自信はあった。

「……いや、そうだな。やっぱお前が一番感覚近いかもしれねえな」

 額を押さえ苦悶している。言葉がみつからないのか随分とテンポが悪い。

「あいつダルくね?転校してきた奴がさ、あっちこっちに顔つっこんでさ、そんでまとめ役きどってんじゃん」

「まーねー。顔も良いし、なんでも出来るしねー」

 東の反応が気に入らなかったのか、内藤は小さく舌打ちをした。

「おい、それはお前も一緒じゃねーの?」

「まあ、そうかも」

 自分から言う程の事ではなかったが、別に隠す気も無かった。

「それによ、昨日ポジション変更があってよ、俺の入ってたとこに悠馬が入って俺は後ろに下げられてさ。やってられねーよ」

 それで珍しくサボったのかと東は納得した。それから思い出したと言ったように、

「それだけじゃねーんだよな。なんか学校?つかクラスの雰囲気とかも気持ち悪くね?俺だけ?」

 内藤がそんな事気にしていたんだと少し驚いたが、東としても気になってはいた話題だった。

「文化祭、落描き事件からじゃない?そう思うようになったのって」

 内藤は地面を見つめながら考えてそうかもな、とつぶやく。

「文化祭の時にうちのクラスと8組が落描きにあったでしょ」

「それに最近結構見かけるよな」

「あの落描きの意味って何か知ってる?」

 東はそう問うと、内藤は頭をふった。

「内在する不満なんだって」

 内藤がどんな表情をするのか少し楽しみだったのだが、それでも意味を理解していないようで肩透かしだった。

「どういう意味だよ」

「だから、私達のクラス展示に不満があったってことでしょ」

「それで落描きされたってこと?」

「内在って言ってるからたぶんクラスの人間にね」

「やっぱりあの美術部の集団か?」

「さあ。彼女達は確かに怪しいけど8組のこともあるからね。8組との絡みなんてなさそうだし、落描きをする理由は今じゃ見当もつかないな。まあ、どちらかのクラスの人間なんだろうけど」

 聞いて内藤は小さく溜息を吐く。

「展示内容にそんな不満があったのかよ」

 馬鹿じゃねーのと内藤は薄く笑う。

「私達のやり方がってことでしょ。それしかないじゃん」

「なんだそれ。ほんと誰だよ」

 笑っていたところから一転して怒りを滲ませた。

 東は内藤の単純さに内心少し苛ついたが、けれどそれで内藤の中で合点がいったようで、

「それで俺等以外の奴らが団結してるわけか」

「私は団結って程団結してるようには思わないけど」

 砂場で遊ぶ男の子はせっかく作り上げた砂山をなんの躊躇いもなく足蹴にして笑っていた。男の子のお母さんはびっくりしたようだったが丁度よい区切りに思ったのか腕を引いて手洗い場まで連れて行った。

「そんな事、直接行ってこいよって話じゃね?いちいち回りくどいんだよ。実際東に聞くまで知らなかったしさ、伝わらなかったら何の意味もないし、やり方が気持ちわりいんだよ」

「ね、それは思うわ」

 何がアンハッピーサインだって話だ。何が内在する不満だ。そんなもの負け犬の遠吠えじゃないか。それが流行っているって世も末だ。堂々戦わずして負けてるような奴らが、それでも負けたわけじゃないっていうアピールなのか。東には描かれた数だけ敗北があるようにしか思えない。恥じらいもなくよくやってる。ああ、恥じてるから顔も出せないのか。

「町田とかは知ってんの?」

「知らないんじゃない」

「そうだよな、あいつら鈍感そうだもんな」

「私が言わなかったら知らなかった癖に良く言うよ」

 東の顔を指差して微笑を浮かべる。どうやら分かっていて言った冗談だったらしい。

「ま、取るに足らねーよ」

 何か悟ったような事を突然言い出して、東は内藤に目を向ける。

「目の前に立てないような奴等なんてさ、結局俺達に何の影響も及ぼせね―だろ」

 それが本気なのか強がりなのか、東には見分けがつかなかった。

 だけど男は格好つけた事を言いたがるし、不明な事を楽観する奴は考えたくないだけの奴が多い。自分を安心させる為にだ。

内藤はどちらなのだろうかと様子を伺おうとしたが、馬鹿らしくなってやめた。

 少し、話題を変えて、部活の先行きなどでも聞いてみることにした。いつもサッカー部は良いところまでは行くが、行ききれないというイメージがあった。けれど、二年で篠原が入ったことにより期待されていたわけだけれど。

「二次トーナメントに行ける程度だろ。先輩も頼りにならないんだよな、どうも」

「プロとか目指してるの?」

「全国行けないチームの奴がプロいけるわけねーだろ」

 サッカーに興味がなかった東はもっと強いチームだと思っていたのだが、そうでも無かったようだった。けれど、一つ疑問があった。

「篠原も?」

 機嫌の悪そうな顔を見て言うべきではなかったかなと一瞬後悔したのだが、

「あいつだってそこまでじゃねーよ。確かにうまいけどな。けどあいつ自身うちの学校でサッカーやってる時点でそんな道はないだろ。何よりその意思もない」

 それじゃあ、

「なんで部活やってんの?」

「昔からやってきたし。別に辞める理由もないし。そもそも部活やってる奴全員プロになるわけねーだろ」

「違う、結果を諦めたみたいに言うなら何で部活やってんのって話よ」

 色気もなく、にらみ合うように視線を交差させる。内藤は一度視線を伏せると、

「……東は何かやりたい事あんのかよ?」

 もう一度視線を上げてそう言った。

「ない」

 そう断言すると、間髪いれず内藤は「だろうな」と返した。その間の短さにイラッとして、

「だろうなって、何?」

「お前との付き合いもそこそこだけど、夢中になるような事ってなさそうだなって思ってさ」

「あんたもないでしょ」

「サッカーあるし」

「昔からやってきただけのサッカーなんでしょ。結果も諦めちゃってるサッカーなんでしょ」

「夢もってやってなきゃいけないってか?」

「夢とか言って無くない?だけど、なんか―――」

「やめようぜ」

 急に火を落とした内藤に、東も息を吐き、イラつくままに突っかかるのをやめた。時計を確認するとそろそろバイト先へ向かわなければ間に合わなくなってしまう。東は鞄を持って立ち上がった。

「お前二限と三限の間の休憩の時にさ、少路さん達の方見てイラつくって言ってたろ。あれは本心だったのか?」

 東には内藤がそんなところを見ていて、気にしている事が心底意外だった。そしてあまりの脈絡の無さに意図が見えない。

「何、少路の事好きになった?」

「可愛いだろ少路さん。色白くて華奢でさ、目尻もすっとしてるし。まあ答えたくなかったら良いけどな」

 内藤も地面に置いた鞄を持って歩きだそうとする。

「……考えは今も全然まとまってはいないんだけど」

 公園を出る前に東は切り出した。

「あーいう風に言っちゃったけど。少路だけの話じゃなくて高野、入江、水谷にも言えるけどこのぬるま湯の中に煮抜き卵みたいな奴らがいるってなんかさ」

 そこまで言って後が続かなかった。

「煮抜き卵?」

 聞き慣れない単語だったのか、内藤はただ言葉を反芻していた。

「知らない?煮抜き卵。ゆで卵の事。たまに知り合いの姉さんが言うんだけどさ」

「で、その卵がなんだよ」

「……美味しそうだよねって話」

 最後まで口にする事は出来なかった。けれど誤魔化した事は分かっただろう。内藤は鼻で笑うと今度こそ歩き出した。

「とにかくさあ、面白いこと無いかなってこと」

 横に並んで、どこかで聞いた台詞を言った。

「なんだ振り出しじゃねーか」

 内藤は短く言って笑う。

 ああそれなら良いこと思いついたと下らない顔つきだった。それを見て東は碌でも無いなと直感し、

「ホテル行くか?」

「ばあか、死ね」

 聞く前から用意した言葉を放って、一人道を渡った。背中に「じゃあな」と声が届く。東は振り返らずに手を挙げて応え、走り出だした。

 動くのは好きではないけれど、意外にも心地よい。少しだけ汗ばんだ肌に、涼しい秋の空気だった。

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