第22話:立身出世と恩賞
「急いで平蔵達に褒美と援軍を送れ、このままでは余が吝嗇だと思われてしまう」
江戸で一橋民部卿と島津薩摩守を捕らえ処分している間も、薩摩大隅で死力を尽くしている長谷川平蔵達を忘れる家基ではなかった。
深雪に夢中になっていたが、妊娠が分かって盛りのついた犬状態から抜け出せた。
欲望のままに振舞って、子供が流れる事を極度に恐れたのだ。
いったん冷静になれば、家臣や民の事を思いやれるのが家基だ。
新恩を与えた島津一族達、実際には本領安堵なのだが、形的には改易後の取立てになっている。
彼らに与えた領地以外は、幕府の蔵入り地になっているから、新たに代官を送らなければならない。
何時謀叛を起こすか分からない危険な地だから、代官だけでなく多くの番方、戦力が必要だった。
今はまだ九州諸藩の兵が駐留しているが、彼らの勝手向きを考えれば、できるだけ早く領地に帰さなければいけない。
接収した鹿児島城の城代はもちろん、管理する事になった琉球を見張り指導する者も、できるだけ早く決めて送らなければいけない。
当面は長谷川平蔵達にやってもらうが、派遣する代官や番方の、基準となる石高と権限も決めなければいけない。
九州諸藩の兵士で手柄をたてた者に、恩賞の金銀と感状を送らなければならない。
「上様、長谷川平蔵を鹿児島城代といたしましょう」
家基は家治将軍に直談判して、長谷川平蔵を大阪城代に次ぐ鹿児島城代とした。
薩摩藩を下した総指揮官である長谷川平蔵を抜擢するのは当然の事だ。
降伏させた旧薩摩藩士を支配しなければいけない立場でもあるので、体面的にも戦力的にも相応しい石高がある。
長谷川平蔵は、薩摩領内から五万石が知行地として認められた。
別途役職の手当として一万石が支給される事になった。
直属の戦力も必要と言う事で、御先手鉄砲組頭の役目は兼帯とされた。
江戸幕府の席次順は、大老、老中、京都所司代、大阪城代、若年寄、奏者番だったのだが、大老、老中、京都所司代、琉球所司代、大阪城代、鹿児島城代、若年寄、奏者番に改められた。
家基の叔父である津田日向守は、琉球所司代とされた。
薩摩領内から五万石を知行地として与えられた。
役職手当も石高とは別に一万石与えられる事になった。
これは、一応別の国とされている琉球との交渉に、次期将軍の叔父という血縁が必要だと考えられたからだ。
それと、大目付という役目を解かれたわけではなく、兼帯とされた。
琉球所司代には、大名家を監視して取り潰す権限がある事を、琉球国だけでなく全国の諸藩に周知徹底するためだった。
田沼意知も軍功が認められて大抜擢された。
とはいえ長谷川平蔵や津田日向守ほどではなかった。
御側御用取次と兼帯していた大目付に加えて、西之丸若年寄とされただけだった。
これは鹿児島城代と琉球所司代を補佐するために与えられた役職だ。
家基の従弟である津田能登守と土井豊前守では、二人の補佐をするには若すぎた。
軍功があったので、津田能登守と土井豊前守を御先手鉄砲組の頭にはしたが、それは御先手組の役目なら、老練や与力が補佐できるからだ。
だがいくら老練な与力でも、経験のない領地の運営や旧薩摩藩士の掌握は無理だったので、領地の運営が得意な幕臣を、急いで援軍に差し向ける必要があった。
「上様、鹿児島城には、大阪城と同じように定番と加番を置き、大番も派遣して守りを固めましょう」
田沼意次の献策を受けて、家治将軍は譜代大名と番方の派遣を決めた。
身分だけ高くて実戦能力のない者を送っても無駄なのは、家基の試し切り事件で明らかになったので、貧乏で苦労している御家人を中心に送る事にした。
一橋民部卿を捕らえた時に編制した者達を中心に新たな番方が作られた。
寄合、小普請支配、小普請組、目付支配無役から大量に取立てられた。
役目貧乏にならないように、江戸から鹿児島までの旅費は幕府持ちだ。
知行地持ちには、表高の一倍物成が合力米(新番衆の二〇〇石なら玄米二〇〇俵・凜米一五〇俵なら一五〇俵)として支給された。
老中と若年寄、寺社奉行と勘定奉行と言った幕閣の中には、江戸から鹿児島までの旅費や合力米が無駄だから、九州の諸大名に軍役を命じれば良いと言う者もいた。
「愚かな、試し切りの恥辱を忘れたか!武士が死骸も切れなくなっていたのだぞ!江戸でぬくぬくと暮らす奴など武士ではない。いざ鎌倉という時に、行軍できるようにしておくのが幕閣の役目であろう!」
家基の叱責に幕閣は震え上がった。
あまりにももっともな意見に、とりあえず鹿児島城に送る番方を新設した。
同時に、両番、小十人組も順番に大阪城、二条城、鹿児島城に送る事にした。
『鹿児島城に送られる幕府の番方』
新番一〇組:新番頭の役高二〇〇〇石・新番組頭の役高六〇〇石・番衆二〇人
御先手鉄砲組四組:頭の役高一五〇〇石六〇人扶持・与力一〇騎・同心五〇人
御先手弓組四組:頭の役高一五〇〇石六〇人扶持・与力一〇騎・同心五〇人
徒組一〇組:徒頭の役高一〇〇〇石・二人の徒組頭一五〇石・徒衆二八人
鹿児島城に向かう彼らには、長谷川平蔵達から知らされた、手柄をたてた者達に渡す恩賞用の丁銀と大判と感状が預けられた。
基準は島津薩摩守を捕らえた時に諸藩の兵士に与えられたのと同じだ。
ただ、個人には同じように与えられたが、藩に対しては差があった。
長崎警備を一年交代で行っていた、福岡藩黒田家と佐賀藩鍋島家のうち、佐賀藩の兵士が抜荷の犯人から賄賂を取って見逃していたのが証明され、恩賞が与えられなくなった。
長崎の街中と海上警備を命令されていた、大村藩大村家と平戸藩松浦家、それに五島藩五島家の兵士が、抜荷犯から賄賂を受け取っていた証拠が、坊津にある薩摩藩と浅草仙右衛門一味のアジトからでてきた。
そのため、三藩も個人には恩賞が渡されたが、藩の分は無くなった。
そのため、渡す恩賞の総額が三〇一九両ですんでしまった。
長年幕府の仮想敵となっていた、薩摩藩をほぼ壊滅させるのに必要だった軍資金としては、あまりにも少ない額だった。
鹿児島城に送られる番方達だが、実際に鹿児島城を守る者は少ない。
役名は鹿児島城番だが、実際には接収した各地の麓に入る事になる。
何故なら、鹿児島城自体は一万石大名の陣屋程度の規模しかないのだ。
戦国時代に九州を席巻していた時から、島津氏は本城を攻撃された事がない。
常に攻撃する側で、領地の外で戦うようにしていた。
武田信玄時代の甲斐武田氏と同じだ。
一二〇の堅固な麓があれば、鹿児島城まで攻め込まれる事はないと思っていたし、戦国時代はその通りになっていた。
実際、今回の戦いで幕府軍が攻め落とした麓は少ない。
江戸の島津薩摩守と世子が捕らえられたから降伏しただけだ。
降伏はしたが、実力で負けたと思っている旧薩摩藩士はほとんどいない。
そんな旧薩摩藩士が郷士となって住む麓の中央や背後にある廃城を修築して入り、見張らなければいけない鹿児島城番は、常に緊張を強いられる命懸けの役目だ。
それに比べれば、表高の一倍物成合力米など安い物だった。
同じように、九州、四国、中国の諸藩に鹿児島城加番が命じられた。
まだ守る麓が決まっていないので、名称は鹿児島城加番だが、実際に守るのは鹿児島城ではなく各地に点在する麓だ。
役目は廃城の下や横に住む旧薩摩藩士を監視する事だった。
とても大変な役目だが、同時にとても美味しい役目でもある。
大阪加番と同じように、役高に応じた合力米がもらえるからだ。
『大阪定番の役料は玄米三〇〇〇俵』
実際の警備は、付属された幕府の与力三〇騎・同心一〇〇人がやる。
『大阪加番の役高と合力米』
与力同心が付属されず自藩の藩士に警備をやらせる。
山里加番 :二万七〇〇〇石(玄米二万七〇〇〇俵)
中小屋加番:一万八〇〇〇石(玄米一万八〇〇〇俵)
青屋口加番:一万石 (玄米一万俵)
鴈木坂加番:一万石 (玄米一万俵)
鹿児島城加番は、駐屯する廃城の大小に関係なく役高一万石になる。
合力米は玄米一万俵か小判四千両が支給されるので、勝手向きが苦しい大名家には垂涎の役目になる。
特に薩摩大隅の近い九州の大名には、どうしても欲しい役目になった。
軍役が一万石なので、用意しなければいけない戦力は馬上一〇騎、鉄砲二〇丁、弓一〇張、槍持三〇本、旗三本を含む二三五人だ。
馬上一〇騎以外の大半を足軽や中間にして、残りの一六二人を領内の農民にやらせれば、多くの合力米が藩の臨時収入になるのだ。
全く戦えない者だと、旧薩摩藩士が蜂起した時に簡単に負けてしまうが、行き場のない百姓の次男三男に食い扶持だけ渡して、麓に行かせてから鍛えればいい。
多くの九州諸藩が、長谷川平蔵達に鹿児島加番を願い出た。
その結果、勇猛果敢に戦った、熊本藩、柳川藩、佐賀藩、人吉藩が選ばれた。
次に九州外様大名の見張役である譜代大名が、勝手向きを助ける意味で選ばれた。
熊本藩細川家:一〇万石分の加番(一〇ケ所の麓)
柳川藩立花家:五万石分の加番(五ケ所の麓)
佐賀藩鍋島家:五万石分の加番(五ケ所の麓)
人吉藩相良家:一万石分の加番
日出藩木下家:一万石分の加番
島原藩松平家:一万石分の加番
延岡藩内藤家:一万石分の加番
杵築藩松平家:一万石分の加番
府内藩松平家:一万石分の加番
西条藩松平家:一万石分の加番
今治藩松平家:一万石分の加番
母里藩松平家:一万石分の加番
広瀬藩松平家:一万石分の加番
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