appendix
×現在 魔術師療養センター×
原宿・代々木公園から離れた場所に位置する、平凡な見た目の病院であった。
2号棟・801室。白一色で構成された病室のベッドに座り、布施真澄は窓の外を眺めていた。シュヴァリエ=ハイヌウェレを停止寸前まで追い込んだものの、彼女が放った呪いに直撃し、意識を失っていた。
幸いスノウがすぐさま回収し、セバスチャンが病院まで運んでくれたおかげで、死に至ることはなかった。
布施は眼帯で覆い隠した左眼に手をあてる。
浮かない顔をする布施の部屋に、治療を行った女性医師が立ち入る。
「お身体はいかがでしょう、布施さん」
「……最悪です。左眼は呪いでまともに機能していませんし。これ、治ります?」
「かなり厳しいかと。ハイヌウェレの呪いはあまりにも濃密で、悍ましい。右眼が生きてるのは奇跡ですよ」
「ですよね……」
布施の表情が暗くなる。
「布施さんがおっしゃっていた術式の修復ですが、おそらく不可能かと」
「術式も?」
「呪いが魔術神経に染み出していたので。除去不可能です」
「……そうですか」
言葉にもできない悲しみを溢れさせる布施。担当医師もまた、かける言葉が見つからない。真白い病室に、沈黙の時間が流れる。30秒ほどたったところで、担当医師が口を開く。
「未来くん、退院しましたよ」
布施はその人物の名前に反応する。前田未来。布施真澄が受け持つクラスのメンバーだ。先の原宿での時間に巻き込まれ、傷を受けていたのは知っているが——、いっぺん、彼は穏やかな笑顔で言葉を紡ぐ。
「それはよかったです。僕も、身体を張った甲斐がありました」
担当医師もその言葉に笑顔を返す。
その一瞬だけは、魔術師としてではなく、教員としての安堵の表情をみせた。
最後に、生徒を守ることができてよかったと。
「また、生徒の笑顔がみれる。これに勝る喜びはないです」
布施は「よいしょ」と口にして、ベットから立ち上がる。担当医師は、道を開けるようにソソっと動く。
「どちらに行かれるんですか?」
「ちょっと学校に。もうやれることはやってくれたでしょう?」
「はい。教会長には上手く伝えておきます」
「じゃあ、よろしくお願いします」
布施は担当医師に一礼して、病室を去る。教師の足取りは軽い。彼の心もまた満たされている。最後に、生徒の笑顔という対価を受け取れたのだから。
×同時刻 聖教会下層・牢獄×
それは薄暗い牢獄だった。左右に牢屋が永遠と並ぶ——果てのない監獄廊下。最低限度の生活用品、トイレ、ベットが備えられた牢屋で、蓄尾射令は体育座りを崩したような形で座っている。
蓄尾射令。
先の『原宿事変』にてハイヌウェレを使って首都破壊を図った犯罪者。聖教会からしてみれば許し難い行為であるため、『異端者』として牢屋に収容された。
足音。虚な瞳をした蓄尾の牢屋にやってきたのは、白一色の装いを纏うスノウ・リリィホワイトであった。
「こんなことを訊くのは野暮かも知れないけど……教会の決まりなので、聞かせていただきます。あなたは、どうして“ハイヌウェレ”の復活を望んだのですか?」
それはスノウの中でずっと燻っていた疑問だった。今の今まで、彼の動機を聴いたことがなかった。ひと段落ついたこの段階で、彼女はその謎を明かそうと考えた。蓄尾は虚な瞳をしたまま、言葉を紡ぐ。
「大切な人を奪われたから。それだけさ」
蓄尾の声は小さい。燃え尽き症候群か、なんなのか、彼にもう気力は残っていないようだ。
「……だからといって、首都を巻き込むことはなかったでしょう」
「ああするしかなかったんだ。ヤツを倒すには、それにしかなかったんだよ」
「ヤツ?」
スノウは鸚鵡返しに質問をする。
「教会の人間だったら知ってるだろ、『餓者髑髏』……あの、バケモノを!」
蓄尾の語気が強まる。恐れと後悔が混じったような、複雑な咆哮。スノウは『餓者髑髏』という名前を聞いて目を細める。
「知ってるわ、もちろん。……確かに、あなたの復讐には、ハイヌウェレが必要だったかも知れないわ」
スノウは、蓄尾の動機に納得がいく。
『餓者髑髏』。1000年の時を生きる怪物。
その身で剣術だけを極めた、最新の人外。
彼の剣技は魔術界に広まっている。およそ物理法則を無視する反則攻撃。それを当たり前のように連発する。人である以上、辿り着くことはできない“人間と人外の境界”。確かに、アレを凌駕できるとしたら、神と讃えられる存在だけだ。
「斬撃は弾く。魔術もまるで通さない。あんな怪物、オレに勝てるわけがない! そう思ったから、ハイヌウェレの力を頼った」
それは、蓄尾の心からの叫びであった。彼氏を奪われた悲しみを示すような、深い慟哭。スノウは同情を寄せながら、彼の叫びを聞き入れる。
「あんな、あんなやつに!! オレたちの幸せが奪われたんだ!! 殺してやりたかった!! 神の力まで、魔術師にまで頼ったのに、何も、できなかった!!」
「オレがついていってたら、まだ、なんとかなったかも知らないのに……」
やがて、蓄尾は平静を取り戻す。落ち着いた様子だが、声のトーンはかなり低い。
「ここにいるのは、犯罪者なんだよ。何もなせなかった、ただみんなの平和を奪っただけの自己中。ほんと、何してんだろ、オレ」
蓄尾は自嘲をこめて、ハハ、と乾いた笑いをこぼす。彼氏であった翔太のために、自身以外の人間全てを犠牲にする覚悟で臨んだのに、結果は何もなし。ただ街が破壊された、という惨状だけが刻まれた。
「蓄尾射令。あなたにひとつ、助言をしておきます」
スノウは聖母のように穏やかな声色で言葉を紡ぐ。蓄尾は「はぁあん?」と言った感じで、白色の聖女へ視線を向ける。
「あなたのその復讐心は、間違いではないですよ。大事なひとを奪われて、平静を保っていられる人はいません。蓄尾さんが復讐に走ったのも無理はない、と私は思います。復讐には価値はない……というのは、誰しもがいいますね。ただ悲しみを生むだけだと。それも間違いではありません。復讐には犠牲を伴う。逃れられない事象です。
けど、私はこうも考えます」
「復讐の価値は当事者に残ったもので決まる、と。他者からみれば、復讐なんて迷惑極まりありません。しかし、当事者が復讐を終えて、心が満たされているというのなら——その復讐には、意味があったと思います」
「あなたはどうですか? 蓄尾射令さん」
復讐心は誰しもが持ち得るもの。それゆえに、人間は復讐に走ることもある。スノウはそれを咎めるつもりはない、と言った。蓄尾はそれをどう受け取るか。
もちろん、自身の行いを正当化してくれるものではない、というのはすぐに理解できた。しかし、いまいちよくわからない。助言というのは、一体どこの部分だ?
疑問を抱きながらも、蓄尾は己の思うところを口にする。
「正直、スカッとなんかしていない。むしろ後悔すらしてる。なんていうか、復讐をして、気分が晴れた気は、しない」
「それがあなたの罪悪感です。ここからが私の助言になりますが……罪は償えます。一度罪を犯したからと言って、一生不幸になんてならなくていいんです。進み方を間違えなければ……いくらでも、やり直せるんです」
スノウは幼気な少女のような声色で言葉を紡ぐ。蓄尾は考える。今の自分をみて、翔太は、何を思うんだろう——
ただでは許してくれないだろう。きっと別れ話だって切り出されるだろう。血相を変えて、自分のことを叱るだろう。
本当に自分がしたかったことはなんだ?
復讐心に駆られた殺人か? それで翔太が救われるのか? 向こうにいる翔太がみたいものはなんだ——そこまで考えたとき、蓄尾は自分の頬に涙が流れていることに気づく。
「オレ……バカすぎるだろ……」
慟哭は涙へと変化していく。燻っていた復讐心が溶けるように、消えていく。
「オレ、まだやり直せますか?」
「……! 当たり前よ。苦しんでもらうけどね」
スノウは軽口を飛ばす。こうして、蓄尾の未来は示された。対価を得ることができなかった蓄尾は、新たな未来へと歩き始める。
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