第21話 民家の軒下と大根
──皆川村を出て数時間。
すでに日は暮れてしまい、辺りはすっかり暗くなってしまっていた。
自分一人ならいざ知らず、幼いジンタに夜の山越えをさせると言うのはどう考えても無謀だし、ありえない。
そう考えた私は、とりあえず体を休める為に軒下を借りようと、戸板からぼんやりと灯りが漏れ出ている近くの民家を尋ねていた。
「ごめんください」
と、ボロボロの戸板を叩いて私は呼びかける。
穴の開きまくった隙間からは、灯りが漏れているだけではなく、中の様子もチラチラと窺える。とっても不用心だ。
「はい?」
すると家の中から、籠った男性の声が返ってきた。気配から察するに、家の中には男性以外にもう一人いる様だ。
「夜分遅くにすみません。私、藤棚の里で陰祓師をしている者です。ご迷惑でなければ、一晩、お宅の軒下をお借り出来ないでしょうか?」
「え? 陰祓師様ですか?」
返事と同時に、男性は慌てた様に玄関へと向かってくる。そのドタバタとした足音がおかしくて、クスッと笑ってしまった……ごめんなさい。
「戸を開けますんで、ちょっと待ってくださいね」
心の中で反省しながらしばらく待つと、ガタンと言う音と共に、目の前の引き戸が勢いよく開かれた。
「おや、これはまた、美しい人だなぁ」
放たれた玄関から、畑仕事で真っ黒に日焼けした三十代前半と思しき男性が姿を現した。そして、私の事を頭の先から足の先まで舐め回す様に見てくる。
そんな彼に、私は軽く会釈した。
「突然の事で申し訳ありません。この子を休ませたいので、縁側……いえ、濡れ縁で構いませんので寝床にお借し頂けないでしょうか?」
私はそう言って、横にいるジンタを手で差し示した。すると彼は、先ほど私を見た時と同じ様に、ジンタの事も全身を舐め回す様にジロジロと見つめる。
「こっちもまた、可愛らしい子だなぁ。ご
「え? えぇ、まぁ、その様なものです」
誤魔化す様にそう答えると、彼は何の疑いの無い笑顔で大きく頷いた。
「さぞお疲れでしょう。どうぞ、あばら家ですが良かったら上がって下さい」
そんな彼からのありがたい申し出を、私は手で制して丁寧に断りを入れた。
「いえ。そんな厚かましいお願いは出来ません。そのお気持ちだけ、ありがたく頂戴致します」
「おっと、余計なお世話でしたか。まぁ、陰祓師様がそう仰るなら無理強いは致しませんが。その、本当に濡れ縁でいいんですか?」
「はい、もちろんです。今日は月も綺麗ですから」
「そうですか。じゃ、せめて大根でも食べませんか? 残りもので悪いですけど」
「え? いえいえ、そこまでして頂くわけには……」
私は胸元で小さく手を振って遠慮したのだが、
「おっかぁ、この人たちに大根を出して差し上げて」
と、彼はすでに奥の人物に声をかけていた。
「はぁい。いま温めますから。少し待ってくださぁい」
家の奥から女性が返事を返してくる。もう一人の気配の正体は、どうやらこの人の奥さんの様だ。結構、若くて可愛い声だった。
「それじゃ、美しい陰祓師様。家の横手の方に回って待っててください。出来たらお持ち致しますので」
「お心遣い感謝いたします。それではお言葉に甘えて」
私が改めて彼に一礼すると、ジンタもそれに習って一礼していた。
◇◆◇◆
夫婦の好意に甘えて、私とジンタが縁側へと回って座って待っていると、奥さんが青竹を輪切りにした竹皿を持ってきてくれた。
「お待たせしました」
「いえ、そんな。ありがとうございます」
私がそうお礼を述べて大根の入った竹皿を受け取ると、彼女は笑顔を返してくれた。やはり、想像した通りの可愛らしい人だった。
「ごゆっくり」
「お世話になります」
もう一度お礼を述べて、家の中に戻っていく彼女の背中を見送った後、私は早速手を合わせて自然の恵みに感謝する。
「いただきます」
「い、いただきます!」
月明かりの下、湯気が立ち昇る輪切りの大根へと竹串を入れる。長めに炊かれた大根は、軟らかく、スッと串が入っていった。
それを、そのまま一口大へと切り分け、口へと運んだ。
昆布だけで炊いた優しい味付けと香り、それに大根の甘みと辛みが口の中へとじんわりと染み渡る。そう言えば、昨日から何も食べてなかったっけ……
再び、一口大に切り分けた大根を口に運びながら、ふと、横に座ったジンタを盗み見る。すると彼は、優しい味付けの大根を無心で頬張っていた。
そんなにガっつかなくても、大根は逃げないのに。
「美味しいね、ジンタくん」
「はい、美味しいです」
余程お腹が空いていたのだろう。
ジンタはわき目もふらずに、必死に大根に噛り付いている。なんだかそんな姿が微笑ましくて、私はつい見惚れてしまっていた……可愛い。
「ごちそうさまでし……ん? なんですか? カイリさま」
どうやら私はボケーっとし過ぎていた様で、すでにジンタは大根を食べ終わり、竹皿を横へと置いていた。
「あ、ううん! なんでもないよ、ごめんね」
私はそうジンタに謝って、腰の道具入れから小さな包みを取り出した。
「えっと、梅干しあるけどさ、食べる?」
「い、いいんですか?」
「うん、最後の一粒でおかわり無いけどね」
「え……でも」
私は、遠慮がちな表情をするジンタの手をとって、取り出した包みを握らせる。
「私の事は気にしないでいいよ。ジンタくん、どうぞ」
ジンタは私から受け取った包みを、黙ったままジッと見つめていた。
「ん? あ、もしかして、やっぱり一粒じゃ足りなかった?」
食べ盛りだもんねと思いながら私が声をかけると、彼の小さな手の中に一粒の涙が零れ落ちた。
「え?」
「カイリさま……オラ、カイリさまを恨むだなんて、とても出来ないです」
「ジ、ジンタくん?」
私は突然の事に戸惑いながらも、ジンタの話に耳を傾ける。
「カイリさまは、オラに恨んでくれていいって言ったけど……でも、あれはおっかあが異形になってしまって、もう悪さしないようにって止めてくれたんだって分かります……いなくなったのはとても悲しいけれど、夢の中でおっかあとはお別れできたから。優しい顔で、オラのこといっぱい抱きしめてくれたから」
泣くのを堪えようとしているのか、ジンタの小さな肩が震えている。それでも尚、彼は言葉を紡ぎ続けた。
「それにオラのことを、イジワルな村の人達から助けてくたし、大事な最後の梅干しだってくれたし……そんな優しい人を恨むだなんて、オラには出来ないです」
「ジンタくん……」
「オラ、強くなりたい。人から何を言われても、言い返せる力が欲しい。オラに力があれば、もっと強ければ、おっかあだって守れたのに……」
目の前で母を失っても、村人から心無い言葉をぶつけられても、それらから逃げることなく、ジンタは自分の足でしっかりと前に進もうとしていた。
──君はもう、十分に強いよ。
だがしかし、彼が言っているのはそんな心の強さではなく、理不尽に襲い来る暴力に抗える力を欲しているのだと分かる。
例えそれが、自分の身を危険にさらす行為だったとしても。
だとしたのなら、私が彼にしてあげられる事は、これぐらいしかなかった。それしか思いつかなかった。
「ねぇ、ジンタくん。君さえよければなんだけどさ」
「は、はい?」
「陰祓師になってみない?」
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