浮気したんだったら責任とらんかい

@ex_legend

第1話 浮気

「はぁ? どこからが浮気ィ? そんなん決まってるっしょ。――愛する彼女よりも穴だけ貸してくれる相手に心が傾いたときだよ」


 居酒屋の喧騒の中。

 少し赤らんだ呆れ顔でそういう彼を見て、俺は感心した。


「大体なぁ。セックスしなきゃ愛を確かめられないなら、そこに元々愛なんてないんだよ。幻想だね、幻想。ホントの愛ってのは粘膜接触なんかしなくても互いの心と心の触れ合い、シンパシーと言っても良い。そういう目に見えない繋がりを本当の愛って呼ぶんだよ、多分」


 彼は今日いつも以上のペースで酒を飲み続けている。

 壁にかかった時計をチラリと見遣ると針は23時を示していた。俺らが入店してからもうすぐ2時間ほど経過する。……開会は17時半からだったが。


「だからさ、別に相手とうまくセックスできないとか、カラダの相性とか、そんなん関係ないと思うんだよね。ホントに愛してるなら、そんなの些細なことで、セックスなんてただの子をなすための儀式みたいなもんで……」


 そこまで言って彼は、彼と俺の間に置かれたしなびた枝豆を見つめて暫し沈黙した。いや、厳密には枝豆を見ていたのではないのだろう。

 もっと先にある、そしてここにはない、虚空を眺めていた。


「……俺と恵さんは……愛し合ってたはずなのにな……」


 やけに急に、具体的な話になった。

 恵、というのは彼の元カノである。

 羽佐間恵。彼と同じ大学の文学部に所属している彼女は他学部の俺でも名を知っている小さな有名人だ。黒髪ロングの大和撫子、成績優秀眉目秀麗、それっぽい言葉を挙げればキリがないほどの美女である。


 そんな彼女と付き合っているのが、今まさに眼前で虚空へ意識を馳せている男——松方弘樹、22歳である。

 完全無欠美女の彼女を持つにふさわしい性格&容姿のダブルイケメンか、と言われると世間一般的にはそうではないらしく、モテてる様子を見たことも無ければ、噂でも彼の口からも、女性がらみの話は聞いたことは一度もなかった。

 俺と彼との関係はいわゆる旧友というやつで、高校が一緒でその時積み上がった交友関係が、今でも連絡を取り合う要因となっている。

 といってもこの1年ほど、それこそ松方から「彼女が出来た」という連絡を貰ったときから、自然と連絡を取る頻度は減っていた。だからこそ、突然サシ飲みに誘われた時には何かあったのだろうということは察しがついていたのだが……。大学で恋愛学でも学んでおけば、こういう時に友にかける言葉がスラスラと思いついただろうか。


「……ヒロはどー思う?」

「……どうって……どっちの話?」


 瞼が垂れて眠そうで、それでいて今にも泣きだしそうにこちらを見つめる彼を見て、俺はそれでも聞き返す。根拠のない形だけの慰めは無意味だ。


「どっちってそりゃ……なんで、俺と恵さんが別れたかって話だよ……」

「…………別れたのか」


 そもそもそんな話を聞いていた記憶はない。が、まあ直前のセリフや今日この場をセッティングしたことを思えば察してやるのが甲斐性というものか……。

 ……であるならば、別れた原因というのも当然。


「――浮気、か」


 俺の言葉を聞いて彼は小さく頷いた。彼の瞳は少し暗く濁っていた。

 なるほど。この数時間、砂漠でオアシスでもみつけたのかと思うほどの勢いでアルコールを摂取していたのにはそういう理由があったのか。

 。未経験の俺がその感覚を言葉にすることはできないが、きっとそれは言葉にしがたい最大限の負の感覚であるのだろう。苦虫を噛みしめるような険しい顔で虚空を見据える彼を見ていれば、嫌でもわかってしまう。

 なんと声をかけたものかと思慮しているうちに彼はまた口を開く。


「……幼馴染とか恵さんの友達とか、なんつーの、そういう出会いがあること自体は仕方なくてさ、それでも俺と恵さんの間には守らきゃいけない愛の形があったわけでさ……性欲に突き動かされて俺らの関係を急ぐ必要はなかったのに、さ……」


 時系列を無視した彼の会話から最大限推察するに、恵という元彼女は、彼女の幼馴染や彼女の友達と浮気し、カラダの関係を持ったという事か? なんだ、とんだ痴女じゃないかと思わなくもないが、それはあくまで世間一般の常識に疎い俺の見解でしかない。


「うまくセックス出来なかったからって、俺と恵さんが別れる必要はなかったんだ……あの時、待ってくれって言えてれば……もしかしたら結果は違ってたかもしれないのに……俺はなんも言えなくて……会えなくなって……」


 もう俺の反応など気にもせず、彼はそれだけ言ってから大グラスにギリギリまで注がれたハイボールを勢いよく口元に運んだ。そうして、口の端からこぼれていることなど気にも留めず全てを飲み込んだ。


「――おかわりおねーしゃす!」


 さっきよりもより一層赤い顔になった彼は、俺に向かってグラスを突き出した。


「いや別に俺は店員じゃないぞ……まあいいけど」

 

 すみません、と賑わう居酒屋のカウンターに手を挙げて店員を呼んだ。気付いてくれた店員さんは同い年くらいの女性店員だった。


「ハイボール追加で1杯お願いします」


 かしこまりました、とにこっと笑う店員。金髪に近い明るい茶髪に、この居酒屋特製っぽいバンダナをまいている。


「お客様は追加よろしいですか?」


 彼女はまだ少し残った俺のグラスを指してそう言った。すっと通った鼻筋と人懐っこそうな優しい笑みをしている店員に少しだけ気を取られる。


「あ……俺は、大丈夫……あいや、やっぱハイボール貰って良いですか?」


 俺も少しお酒が入ったせいで、思考力が低下していたのかもしれない。何も頼まないのも気が引けて普段飲まないハイボールを頼んでしまった。


「かしこまりました~、ありがとうございますっ」


 注文を書き留めた店員はまたもにこっとこちらに微笑みかけてからカウンターの方に戻っていった。


「何見惚れてんだよヒロ~。浮気かぁ~? 俺という男が居ながら……」

「誰とも付き合ってないよ、俺は」

「冷て~……あぁ~……破滅的に頭いてえ……」

「飲みすぎ。水でも頼む?」

「いや、いいんだ……今日は……破滅的に飲みたい気分なんだ……」


 語彙力が破滅的だぞ、と冗談を言いたくなる気持ちは抑えた。


「まあ、そりゃ彼女に浮気される気分は俺には分からないけどさ、そのなんだ……今日くらいはいくらでも酒付き合うから、元気出せよ……」


 俺の言葉を聞いて、彼はまた少し虚空を見つめた。


 いや、虚空というよりは俺の顔を見て、きょとんとしていた。


 ありゃ、言葉選びを間違えたか?


「あ――すまん、余りにも無神経だったか」


 そもそも俺の推察で話を理解したつもりになっていただけで、彼の気持ちやそれまでの経緯に思いを馳せるのは軽率だったと反省する。


 しかし彼は予想していたのとは全く違う、斜め上からの返答をした。


「……あれ? 言ってなかったけ?」

 

「ん……? 言ってなかった……? ってなんだ?」


 言ってないのはそりゃ全てだろ、と思いつつ。


「俺だよ」


 ? なにが? ハンバーグか?


 ギュッと視界が彼の顔にだけフォーカスされる。


 次に繰り出す言葉が待ちきれなかった。


「――


 …………。


「で、フラれたの、俺。笑っちゃうよな……」


 …………。


 ……………………。


「あれ? 聞いてる? ヒロ」

「お待たせしました~ハイボール――」


 俺の視界には、笑顔でハイボールを運んできてくれた女性店員の姿は入っていなかった。


「いや浮気したの、お前かよぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

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