第一章 式勠巫覡

 水の衣を全身に纏った人魚が、朝日と海が溶け合ったような淡い青紫色の羽衣をひらひらと靡かせて空中で舞い踊っている。

 空中で身体から散らす水の雫は地に蠢く異形に降りかかり、異形はあっという間に干からびて黒い塵となって天に昇っていく。

「よくやった、天后てんこう

 天后と呼ばれた人魚の姿をした美しい水の女神は、その言葉を聞いて頬を紅潮させ、声の主の方に擦り寄った。

昇威しょうい様のためならこの式神天后、なんでもいたしますわ」

 紺絣こんがすりの着物の下に詰襟の白シャツを合わせて袴を穿いた書生スタイルの高身長の青年は、天后を纏っている水の衣にそっと触れて頭を撫でた。すると水の衣は波紋を描き、天后は幸せそうに満面の笑みを浮かべている。

 天后の主である式神使いの宮瀬昇威みやせしょういは、そんな天后の姿を愛おしそうに見つめていた。

「おい、昇威! 天后! 今はいちゃついている場合ではないだろう! 早く加勢しろ!」

 式札で辺り一帯に結界を張り巡らせている薄闇の中で、怒気が響く。

 言葉を放ったのは白と紫の矢絣やがすり柄の着物に袴を穿いた少女の姿だった。

 大薙刀を握りしめ、異形と戦闘中の少女は、長い髪を振り乱しながら鬼の形相で異形の群れを斬りまくっている。

 その光景はあまりに強烈で、昇威と天后も少女の姿を見て思わずたじろぐ。

朱音あかね、やっぱり薙刀だけじゃ限界があるだろ。新たに式神と契約したほうが……」

 昇威の放った言葉に、朱音と呼ばれた少女の表情に凄みが増した。

 しまったというように昇威は口を押さえたが後悔先に立たず、朱音の眉はみるみると吊りあがり、その瞳は憤怒に燃えている。

「わかった。私一人で始末する」

「おい、躍起になるなって」

 昇威は自身の黄金色の髪を掻いて、深く溜め息をついた。

 その傍らでは海色の瞳を潤ませて脅えたように震えている天后がいる。

 朱音は勇ましい声を上げ、次々と異形を斬り捨てていく。

 群れになって襲いかかる異形はすべて鬼のかたちをしているが、固体差があり種類は様々。

 これらは『低級異貌鬼ていきゅういぼうき』と呼ばれ、角や目や牙がたくさんある小さな鬼や原形をとどめてはいない紫色のぬめぬめとした塊に近い鬼が多い。辺りを見渡すと結界の中で浮遊して漂っている鬼もいる。

 朱音はそれら異貌鬼の弱点を全て見極め、首を斬り捨て、目玉を抉り、自身の肩から紐で括り提げている竹筒を取り出して、竹筒に入れていた透明な液体を動かなくなった異貌鬼に素早く振り撒いた。

「そんな少量の御神水おしんすいで、これだけの異貌鬼の量は浄化しきれねぇぞ。それにまだ空中にも、数匹いるじゃねぇか」

 昇威の言葉通り、一部は浄化させたものの、辺りにはまだ浮遊した鬼貌鬼と浄化されず分裂して蠢いている異貌鬼がたくさん転がっている。

「おい、昇威。今すぐ屈め」

「は? 急になんだよ」

「いいから屈め!」

 納得いかない様子の昇威だったが、朱音の凄みのある形相に圧倒され、仕方なくその場に屈む。

「うぉぉぉっ! お前なぁ!」

 昇威が屈むと同時に朱音が昇威の肩を踏みつけて、勢い良く空中へ跳躍した。

 重みと衝撃で地面に崩れた昇威のことなど気にする素振りも見せず、朱音は空中で大薙刀を振り回し、浮遊している異貌鬼を切り刻む。

 バラバラになった異貌鬼の破片が空から降ってくるのを察知して、昇威は慌てた様子で回避している。

「そんな戦い方してたら埒があかねぇぞ」

 地面に着地した朱音の肩を昇威がやれやれと叩く。

「天后頼む」

「はい、昇威様。この天后にお任せください」

 昇威の命令により、天后は浮遊している残りの異貌鬼を掌から生み出した水の槍を放って一瞬にして浄化させる。その後、軽やかに空中で舞い踊って自身を纏っている水を辺り一帯に振り撒き、地面に蠢いているすべての異貌鬼をあっという間に浄化させてしまった。

 昇威はそれ確認すると、周囲を張り巡らせていた結界を解いて朱音に詰め寄った。

「いつまでそんな薙刀一本で戦う気だ? 式神は浄化の力を持つんだ。式神なしで戦うには限界があるだろ」

 語気を荒げた昇威の言葉に、朱音は俯き黙っている。

「なんでそんな、頑なに新しい式神契約を拒むんだよ」

 朱音の態度に昇威は痺れを切らしたのか、意を決して朱音の肩を掴んで揺さぶった。

 朱音は顔を上げるもその表情は暗く、絶望を宿している。

「そうですわ、朱音様。昇威様のおっしゃる通りです。式神と式神使いは二つに一つ。戦いには必要不可欠なのです。この天后と昇威様のように心を通わせて――」

「黙れ! お前らに私の何が分かるんだ。一緒にするな」

 潤んだ瞳で訴えかける天后に怒気を飛ばした朱音は、拳をきつく握った後、苦虫を噛み潰したような顔で昇威の腕を払いのけた。

「相変わらずお前って奴は、顔に似合わず凶暴だよな……」

 昇威の言葉通り、黙って立っていれば誰もが振り向くような絶世の美貌を持つ朱音だが、小柄な身体に重量がある大薙刀を片手で軽く持ち、男のような口調と凛とした低い声音に迫力を感じる。

 今にも泣き出しそうな天后を、昇威は庇うようにして引き寄せた。

「天后、もう戻っていいぞ」

 昇威の言葉に頷いた天后は、すっと薄闇の中に消えていった。

 そのやり取りを横目に、朱音はなんとも言えない消失感に襲われていた。

 本来ならばここで一緒に戦うはずの式神の姿はもういない――。

 失った瞬間の光景がすぐにでも鮮明に甦るほど、脳裏を支配して離れないでいる。

「……すまない。感情的になってしまった。天后にも謝っておいてくれ」

 朱音は先程の自分の発言に後悔するも、式神のことに関しては、今は口を開けば心配する天后や昇威の言葉を無下にするような態度や言葉しか出てこない……。

 天后や昇威に八つ当たりしても仕方が無いと頭の中では分かっているが、思ってもいないような冷たい言葉を吐き捨ててしまう。そうでもしないと自責の念に押し潰されてしまいそうだった。

「お前……。まだ式神の騰蛇とうだのこと――」

 昇威は朱音の様子を察してか、慰めるように優しく肩を叩いた。

「何があったのか、いつか全部話してくれるって、信じてるから……。もっと俺を頼れよな」

 朱音に聞こえないような小さな声で、昇威がぼそりと呟く。


「そろそろ時間だ。走らないと間に合わねぇぞ」

 広場にある時計塔の針が指している時刻を見て、朱音は我に返ったように頷く。

 しかし走り出そうとした瞬間、どこからか朱音の名前を呼ぶ不気味な声が聞こえた。

 だが、辺りを見渡しても声の主はどこにもいない。

「どうかしたのか?」

 朱音の様子に昇威は眉根を寄せた。

「今声がしなかったか?」

「いや、俺には聞こえなかったぜ?」

 訝しげに首を傾げる朱音だったが、急に左目に激痛が走り、その場にうずくまった。

「おい! 大丈夫か!?」

「……今朝から……ずっとこうなんだ」

 朱音は左目を押さえながら苦悶に顔を歪めている。

 今朝から何度も繰り返しているその痛みは、瞬間的なものですぐに治まる。

「義眼でも痛んだりするのか?」

 朱音は鎮まった痛みに胸を撫で下ろして立ち上がり、首を振って口を開く。

「奥の神経が疼くというか……私にもよくわからない」

 幼い頃に左目を失くし義眼を入れて過ごしてきた朱音だが、このように左目が痛むのは一年ぶりだ。

 まだ朱音が式神使いとして、式神騰蛇を操っていた一年前に、とある青年と出会った。その時に同じ左目の痛みを感じた経験がある。

 記憶を巡らす朱音だったが、その時の青年はすぐに去ってしまい、何も聞き出せなかったどころか青年の顔も思い出せないでいる。

「その左目って、妖怪に喰われたんだよな?」

 昇威は恐る恐る尋ねた。

「幼い頃に父に連れていかれた山奥での修行で……。倒れてその時の記憶は抜け落ちてしまったが、式神の騰蛇が目撃していて、聞いた話だと私の左目は鳥のような化け物に喰われた……というか、奪われたらしい」

 朱音はその表情に苦さを滲ませた。

「その妖怪の呪いか何かなのかもしれねぇ。気を付けろよ。俺の親父、義眼技師だし、力になれることがあればいつでも言えよな」

 昇威は心配そうに朱音の顔を覗き見る。

「それにしても、どうなってるんだろうなお前の目……」

 朱音は生まれつき漆黒の瞳を持っていたが、幼い頃に左目を失くしてからは右目までもが異変を起こし、今では碧色に変色している。医者には原因不明と言われ、周囲からは呪われた子と言われる始末だ。

 左目を失って、しばらくした頃に出会ったのが義眼技師をしている昇威の父親で、それがきっかけで昇威とも仲良くなった。

 右目に合わせて義眼を碧色で作ってからは西洋人と間違えられることも多くなったが、昇威の心配をよそに朱音はあまり周囲の目などは気にせずに過ごしている。

「心配かけてすまない。この義眼のお陰で、お前とも出会えたし友人になれた。……これも悪くないと思っているよ」

 左目を押さえつつ少しだけ優しく微笑んだ朱音は、人差し指で昇威のおでこを小突いた。

「いってぇなぁ」

 昇威は額を押さえ、朱音を睨みながら「たまにそういうことしてくるの、ほんとずるいよな」と小さくぼやいた。その瞳は朱音と似た蒼色の双眸をしている。

「時間がない、先を急ごう」

 あの不気味な声や朝から繰り返す左目の痛みは気になるが、今は一刻も早く目的地に向かわなければならない。

 

 辺りは暗くなり、街のガス灯に火をつけて歩く点消方の姿を目にする。その他にも制帽を被り、紺色の詰襟の服を着た警官も徘徊していた。

 

 新時代の幕開け――。開国による変化、文明開化の流れによって、急速に帝都は発展し、西洋風の建築で埋め尽くされて煌びやかに彩られている。

 新しいものを受け入れる上流階級の帝都の人々がいる一方、西洋文化を受け入れることができずに、古くから受け継がれる根強い生活様式を変えられずにいる者達がいるのも事実だ。

 その結果、人々の心に歪みが生じ、調和を保つことができずに闇が広がり続けている。

 そして突如出現するようになった地獄ノ門からは、人間を支配しようとしている存在『異貌鬼』が放たれた。『異貌鬼』は幽霊や妖怪とは違い、人間の闇を喰らう目的の為だけに出現した特殊な異形と言われている。


「それにしても、最近は地獄ノ門が開く間隔早いと思わねぇか? なんか数も増えてる気がするし」

 昇威は息を切らして走りながら、後を走る朱音に問いかける。

「それだけ人間の闇が多くなってきているんだろうな。奴等はそれを喰い物にしているから」

「そういえば、今日は大事な招集って聞かされてるが、朱音は何か知ってるか?」

「いや、詳しくは聞かされていない。なにやら式神部隊に関連してることらしいが……。もしかすると、私はいよいよ『式勠巫覡しきろくふげき』を辞めさせられるかもしれないな」

 朱音の弱々しい声音に昇威は振り返って、走っていた足をぴたりと止めた。

 朱音の表情は暗い。

 朱音は昇威にとって幼馴染みであり、大事な友人でその姿をずっと傍で見てきた。

 昔から弱っているところを一切見せたことがなく、片目を失っているのを感じさせないくらいに、いつも自信に満ち溢れていて芯の強い少女だ。

 しかし最近は弱音を吐くことも多くなり、情緒不安定で、その原因は昇威や朱音自信も分かっている。

「おい、昇威、急に止まるな」

「最近のお前、らしくねぇぞ!」

 昇威は朱音のおでこを小突く。

 朱音は額を押さえて昇威の顔を睨んだ。

「さっきの仕返しだ。その表情の方がお前らしいぜ」

 昇威は蒼色の双眸を狭め、八重歯を覗かせて悪戯っぽく笑って再び走り出した。


 桜並木の間を通り抜けると、生暖かい風が薄紅に色づく桜の花びらをさらって、頭上から雪のよう降り注ぐ。

 朱音は夜空に白く滲んだ月を見上げて、大きなため息をついた。

「らしくない……か。昇威にまで気を使わせてしまっているなんてな」

 嘲笑し、自身を激励するように頬を叩いて、朱音も昇威を追って走り出す。


 

 帝都。官庁街の一角に建っている宮殿のような煌びやかな擬洋風建築が、政府直属の警備部隊の本拠地だ。しかしそれは表向きで、その実態は異貌鬼の殲滅を目的として極秘裏に組織された特殊式神部隊『式勠巫覡しきろくふげき』の本拠地である。

 中央の高い塔屋が目立つ大きな建物の窓には白いレースの飾りが施され、入り口に構える大きな門には龍や虎の彫刻が置かれ、訪問者を出迎える。

 天井の高い大広間には、色彩鮮やかな西洋の陶磁器や美しい絵画が幾つも飾られていた。天井に吊り下げられた大きなシャンデリアは眩いばかりの光を放って豪華絢爛だ。


 息を切らせながら招集場所である式勠巫覡本部の大広間に到着した朱音と昇威は、すでに集まていた十人の式神使いたちのもとに駆け寄った。

「お前たち招集時間ギリギリだな……」

 朱音と昇威の姿を見るや否や声をかけてきた

のは、濃茶のつむぎ着物に、渋めの紫色の羽織を合わせた少し猫背気味の青年だった。

 やれやれと溜め息をついた青年は、端正な顔立ちをしているが、目には濃い隈があり陰鬱とした雰囲気を漂わせている。

「師匠! お久しぶりです!」

 猫背の青年の顔を見た瞬間、朱音の表情がぱっと明るくなった。

「そうだな。お前たちとは担当区域が違うから……。前回の定例会も俺は欠席だったしな」

 ぼそぼそとしゃべる青年は、嬉しそうに距離を詰めてくる朱音の頭を優しく撫でている。

「相変わらず朱音は四葩よひらさんに対してだけ態度違うよな」

 昇威は苦笑いを浮かべて、二人が会話している様子をぼんやりと眺めていた。

 霧雨四葩きりさめよひら。二十歳。式勠巫覡の一員で十二天将じゅうにてんしょうの天空を使役しえきしている。

 朱音と四葩は父親同士が知り合いで、昇威と出会う前からの仲だ。

 朱音がまだ幼かった頃、四葩に式神の使い方や武道を教わっていた過去があり、朱音は四葩のことを師と仰いで尊敬している。

 十二天将とは、大昔に有名な大陰陽師が使役したとされている十二人の神様であり、最強の式神だ。

 現在はその意志を継ぐ家系の式神の使い手や、十二天将から認められて選ばれし猛者たちが集い、式勠巫覡が組織されている。

 昇威や朱音もその一人だ。そもそも式勠巫覡の『巫覡』は、巫女やかんなぎを指す言葉で、神に仕えて、神楽を奏して神降ろしなどをする人のことを言い、上位の式神使いとなると式神を操るだけでなく、式神をその身に降ろして力を増大させることも可能で、そういった家系の者たちが多く集って組織されている。

「師匠……。見ないうちにどんどんやつれてないですか? あまり無理をしないでください。鬼界還きかいがえりのこともありますし……」

 前に会った頃にはなかった濃い隈と痩せ細った四葩の身体を見つめながら、朱音が心配そうに尋ねた。

 過去の四葩は活発で元気だけが取り柄の青年だったが、今はその面影もない。首筋まで伸びた黒髪も生気が抜け落ちたような白髪になってしまっている。

「心配いらない。きっとそのうち、この身体にも馴染む……」

 朱音の言葉に、終始無表情だった四葩の顔が少しだけ綻んだ。

 四葩は数年前に地獄ノ門の中に入ったことがあり、そこから生還している。それを鬼界還りといい、その時に朽喰くしょく適合者だと判明した。

 朽喰とは、上級異貌鬼が人間に取り憑き、人間を支配することで、人間の闇を喰らってその人間ごと異貌鬼化させるという恐ろしい現象だ。

 しかし、四葩は朽喰適応体質だと判明し、上級異貌鬼を身体に取り込み、その力を逆に利用して戦うことができる。しかし、まだ完全に身体に馴染んでいないようで、暴走することも度々あり、監視役がいつも傍らにいる。

「何がそのうち馴染むだよ! いつも暴走して止めてるこっちの身にもなってくれよな」

 四葩の背後から声がしたと同時に四葩の肩に片肘を乗せ、四葩の頬をぐりぐりと人差し指で押し付けた茶褐色の軍服を着た青年が悪戯っぽく笑う。

籠目かごめ、うぜぇからやめろ」

 四葩の監視役であり、十二天将の太裳たいじょうを使役する星埜籠目ほしのかごめの指を四葩は気だるそうに払った。

 四葩の幼馴染みである籠目の年齢は二十三歳で、短髪で爽やかな好青年の印象が強く、式勠巫覡の中でも頼れるお兄さん的存在だ。

「お前らも、四葩みたいにならねぇように気ぃつけろよ。四葩はたまたま適合者だったけど、お前らは普通の人間だ。危ない時はちゃんと仲間を呼べよ」

「籠目の兄貴! ありがとうございます!」

「はい、分かっています」

 昇威と朱音はすぐさま敬礼をする。

「それで朱音は、最近どうなんだ? あれから新しい式神の使役はしたのか?」

 四葩は見透かすような強い眼光で朱音に訊ねた。

「……いえ」

 朱音は四葩の問いに、拳をきつく握りしめて俯く。

 四葩は朱音の返事に「そうか」とだけ小さく呟いた。

「おい、昇威」 

「えっ、なんすか?」

 四葩は目の前にいる昇威の肩を叩いて、耳元で囁く。

「朱音のことは全てお前に任せる。お前ならきっと大丈夫だ。俺と霽月せいげつのようにはなるなよ」

 四葩の言葉に、昇威の肩が震える。

 霽月とは、十二天将の勾陳こうちんを操る式神使い空澄霽月あすみせいげつのことだ。

 四葩と籠目と霽月の三人は幼馴染みで、昔は仲が良かったが、いつの間にか仲違いをしてしまい、霽月だけが距離を置いている状態だ。正確には、霽月も四葩の監視役ではあるが、その役目以外はお互いに干渉することもなくなってしまった。

 今も霽月はこの招集場にいるが、こちらを一切気にする素振りはない。

 昇威が気まずそうにしていると、周囲がざわつきはじめる。

「おい、来たぞお前ら」

 式神使いたちが談笑している中、大広間のドアが開く。そこから制帽を被り、胸元に金の釦や刺繍が施された紺色の軍服を着た上官が姿を現した。そしてその後ろをついて歩くのは、見慣れない黒コートを纏った青年の姿だった。

 式神使いたちは、急いで上官の前に綺麗に横一列に整列した。

 緊急招集ともあり、ぴりぴりとした空気と緊張感の中、集まった十二人の式神たちは黒コートを纏った青年の存在を気にしている。

烏丸からすま君、こちらへ」

 上官は青年に視線を向けて隣に並ぶように促した。

 緩慢な足取りで上官の隣に並んだ青年は、黒いつば広の中折れ帽を深々と被っているので、その表情は窺うことができない。

「今日から『式勠巫覡』に入隊する烏丸紅冥からすまこうめい君だ」

 上官が紹介すると、紅冥は一歩前に出て被っていた黒い帽子を取り、自身の胸に当てて深々と丁寧にお辞儀をした。

 紅冥が顔を上げる際に、朱音と目が合う。

 すっと高い鼻と薄い唇。左目は長い前髪で隠されているが、人形のように整った顔立ちの白皙の美青年だ。年齢は朱音と昇威と同じく十六歳くらいに見えるが、肩につく長さの漆黒の髪を後ろで束ね、どこか色香を感じさせるものがあり、大人っぽくも見える。

「烏丸紅冥です。これからよろしくお願いします」

 微笑んで弧を描いた右瞼の隙間から漆黒の瞳が覗く。

 朱音は再び左目に激痛を感じた。針で突き刺されたような痛みに顔を歪めていると、紅冥は少しだけ悲しげな表情を見せていた。

 左目の痛みはすぐに鎮まったが、紅冥を見ていると奇妙な感覚に襲われる。それはどこか懐かしいような胸の疼きで、何かに呼ばれているいるような感覚――。

「烏丸君には、鈴鳴朱音すずなりあかね君と組んでもらう」

 眉を寄せてしばらく考えて込んでいた朱音だったが、上官の言葉に何もかもが吹き飛び、頭が真っ白になった。

 そこにいた朱音以外の式神使いたちも、どよめき立つ。

「彼と組め……とは、どういうことでしょうか?」

 朱音は眉間に濃い縦皺を刻み、拳をきつく握りしめた。一人では役不足なのかと言いたげに朱音は上官に喰ってかかる。

「確かに今の私には式神がいません。しかし、人間同士で組むのは――」

「決定されたことだ。それに彼は今日加入したばかりだ。君ならいろいろと指導してやれるだろう。頼んだぞ。それでは今日は解散だ」

 反論する間もなく、それだけ言って上官は去ってしまう。

 上官が去った後、その場に妙な空気が流れた。皆、黙って朱音の様子を窺っている。

 朱音は沸々と沸き上がる憤怒を押し殺すように唇を噛み締めていた。

 その場に残された式神使いたちは、互いに目を合わせながら苦笑いを浮かべ、これ以上火に油を注がないようにと、何も言わずそそくさと帰っていく。

 四葩は朱音を気にして声をかけようとするも、籠目に促されて去っていってしまった。

「って、ことで頑張れよ。じゃあな」

 その流れに乗じて昇威も朱音の肩をぽんと叩いて立ち去ろうとするが、朱音は昇威の首根っこを掴んで引き戻した。

「おい、なんで俺だけなんだよ!」

「皆には迷惑をかけたくないからな」

「俺には迷惑かけていいのかよ!」

 昇威の嘆きも届かず、朱音は大きく頷いた。

「ここに来る前に言ってくれただろう? 俺をもっと頼れって」

 朱音に気づかれないように呟いた言葉だが、朱音の耳にはしっかりと届いていたようで、昇威の顔はみるみる赤らんでいく。

「はぁ!? お前あれ聞いてたのかよ! 反則だろ!」

 昇威は恥ずかしさに顔を両手で覆っている。

「お前は幼馴染みであり友人だ。もちろん残ってくれるだろう?」

 圧をかけるように語気を強める朱音に、抗えない何かを感じて、昇威は諦めた様子でがっくりと肩を落とした。

「烏丸と言ったな。すまないが今の私は誰とも組む気はない。組むならここにいる宮瀬昇威と組むといい。もちろん、分からぬことがあれば気軽に聞いてくれ」

 ぽつんとその場に残っていた紅冥に向かって、朱音は軽く微笑んだ後、昇威の肩をポンと叩いてその場を立ち去ろうと足を速めた。

「おい、俺に押し付けるつもりかよ! さすがにそれは自分勝手すぎるだろうが!」

 昇威は声を荒げ、朱音の背中をすぐさま追いかける。

「朱音様、僕のことは気軽に紅冥と呼んでください」

 後方にいた紅冥は、黒いコートを翻して高く跳躍をすると、朱音の目の前に着地して片膝をついた。

 素早い動きに警戒する朱音だが、紅冥はお構いなしにその手を握る。

「あるいは下僕と呼んでいただいても構いません」

 頬を染め、恍惚な眼差しの紅冥に、朱音は全身が身震いして、反射的にその手を振り払った。

「おい、昇威。この男……頭がどうかしている」

 朱音は警戒して紅冥から逃れるように距離を取った。

「……なんだか気持ち悪い奴だな」

 これには昇威も同意して苦笑いを見せる。

「今日は巫女装束じゃなんですね。残念です」

 紅冥は二人の様子を気にする素振りも見せず、立ち上がって再び朱音との距離を詰めた。

「何故それを知っている? 私とどこかで会ったことがあるのか?」

 朱音が巫女装束を着ていたのは一年前までで、それも数えるほどしかない。巫女禁断令が発せられている今、それを知っている人間は限られている。

「僕は以前、朱音様に助けられたことがあるんですよ。……思い出せませんか?」

 紅冥は朱音の顔を覗き見る。その射抜くような漆黒の瞳と視線が交わると、再び朱音の左目が疼き出した。今度は眼球が痙攣して視点が定まらない。すると痛みと共に記憶が少しずつ甦ってくる。

「もしかしてあの時の黒いコートの男か? 異貌鬼に襲われていたところを助けた記憶がある」

「覚えていてくださって感激です! 僕はあの時の朱音様の戦いを見て憧れて、この式勠巫覡入隊に志願したんです」

 紅冥は両手を合わせて目を輝かせているが、肝心な部分の記憶を取り戻せていない朱音は、腑に落ちない様子でどこか胸に引っ掛かりを覚えている。あともう少しで思い出せるというところで左目の痛みが鎮まり、記憶も閉ざされてしまう。

 紅冥は朱音の様子に目を細めて「少しずつでいいです。ゆっくり思い出していきましょう」と、朱音に聞こえないくらいの小さな声で呟く。

「えっ、お前ら知り合いなのかよ! そういえば朱音って、昔は気合い入れて戦う時の正装は巫女装束って決めてたもんな。 お前ん家、神社だし」

「異貌鬼から一度だけ助けたことがあるだけだ。こんな素性の知れない奴に、ペラペラとしゃべるやつがあるか!」

 朱音が思いっきり昇威の頬を引っ張ると、昇威は涙目で頬を撫でつつ「すまん」と謝る。

「でも、なんでこいつの記憶消してないんだ?」

「それは……記憶を消す前に逃げられたんだ」

「ふーん、朱音がそんなヘマするなんて珍しいな」

 異貌鬼との戦闘前には人避けの結界を張り、目撃した人間の記憶は消さなければいけないという式勠巫覡の決まりがある。しかし、当時の朱音には左目の痛みでそんな余裕もなく、いつの間にか黒コートの青年は姿を消してしまっていた。

「朱音様の巫女装束姿、もう一度見てみたいなぁ」

 紅冥は瞳を潤ませて、訴える小犬のような眼差しで嘆いてる。

「何故だ?」

 朱音は怪訝そうに眉をしかめた。

「実は僕、巫女フェチなんです」

 紅冥は再び朱音の両手をそっと取ると、両手で包み込むようにして優しく握る。

 朱音を見つめる表情は真剣そのものだ。

「おい、昇威。大変だ、この男……ド変態だぞ」

 両手を握られたままの朱音は表情を引きつらせながら、傍らにいた昇威に訴えかける。

「変態とはお褒めのお言葉ありがとうございます」

「……こいつ朱音に変態って言われて喜んでやがる」

 満面の笑みを浮かべる紅冥に、昇威は頭を抱える。

「お前の名前、紅冥って言ったか? 上層部の決定かなんかかしらねぇけど、式神部隊『式勠巫覡』の全隊員は、それぞれ十二天将じゅうにてんしょうと契約を交わしてる。今の段階で十二人揃ってるんだよ。だからそれ以外の奴の入隊は、普通は認められないはずだ」

 朱音の手をずっと握ったまま、きらきらと輝く笑みを見せている紅冥を横目に、昇威は面白く無さそうに腕を組んで鼻を鳴らす。

「確かにな、上層部の考えが私にも理解できない。よほどこの男が、十二天将も凌ぐ強い式神の使い手なのだろうか?」

 紅冥の手を強引に振りほどいた朱音は、昇威の言葉に頷いて、しばらく考え込む。

「僕に式神はいませんよ。そもそも式神使いでもないですし」

 沈黙の中、紅冥の口が徐に開いた。

 紅冥は相変わらず朱音を見つめながら、目を狭めて微笑んでいる。

 紅冥の衝撃の発言に、朱音と昇威はぽかんと口を開けた。

「式勠巫覡に入るには、式神の使い手なのが絶対条件なはずだ」

「心配しないでください。式神なんていなくても僕は異貌鬼を倒せますから。そして朱音様を異貌鬼から絶対にお守りします」

 紅冥は微笑みを湛えたまま、その表情を一切崩さない。

「何故私がお前に守ってもらわなければならないんだ」

 朱音は呆れたようにため息をついた。

「腕には自信があるようだが、式神がいなきゃ話にならねぇだろうが」

 昇威が紅冥に詰め寄るが、その言葉に朱音の肩もぴくりと反応する。

「式神がいないのは朱音様も同じですよね? 上官から聞きました。戦闘中に突然式神が消滅してしまったと」

 朱音は紅冥の言葉に俯き、きつく拳を握りしめた。

「式神がいない私を上層部はなぜ解雇しないのか、……私も疑問には思っている」

「過去の実績もあるし、上層部も手離せないんじゃねぇの? それに式神がいた頃は『最強の女式神使い』って言われて無敵だったしな」

 昇威は自分が切り出した話題が朱音に一番刺さることに気づき、後悔しつつも、慌てた様子で朱音の過去の功績をいくつか語り出す。

「……私はまだ式勠巫覡にいてもいいのだろうか?」

 すがり付くような上目遣いで朱音は昇威を見つめた。突然の表情に昇威の心臓が跳ね上がる。裏では『凶暴男女』と言われていたことは死んでも伏せておかなければいけないと心の中で誓った。

「当たり前だろ! とにかく、今は上層部に従うしかなさそうだな。つまりは朱音と紅冥が協力して異貌鬼を倒せってことだろ? こいつ胡散臭いし、気にくわねぇけど、最近は急激に異貌鬼が増えてきてるし、さっきみたいな戦いになると厄介だ。異例の新人起用ってことだし、こいつも腕には自信があるみてぇだ。試しに組んでみたらどうだ?」

 朱音は紅冥の顔を一瞬だけ見るも、その視線をすぐに逸らす。

「上層部の命令だろうが私はその男と組む気にはなれない。……申し訳ないが、私は一人で行動させてもらう」

 紅冥と組む――。それ以前に朱音は紅冥の近くにいると左目が疼いて胸がざわつく。懐かしくもどこか惹かれるような……今まで感じたことのない得たいの知れない感情の波が押し寄せ、それに恐怖を感じてしまう。

 紅冥にも同じ感覚があるのだろうか? と、ふと疑問を頭の中で浮かべるも、それすら尋ねるのを拒んでしまうほど、笑顔の紅冥の腹の底は計り知れない。そう確信した朱音は、今はこの場から一刻も早く離れたかった。

「この男の側にいるとなんだか気持ちが悪い。昇威、あとはよろしく頼んだ」

 そう言って朱音は、昇威を置いて帰ってしまった。



「紅冥、今の聞いたか? 朱音はお前といると気持ち悪くなるんだとよ。盛大に振られたな」

 八重歯を見せながら腹を抱えて爆笑する昇威に、今まで黙っていた紅冥は口を尖らせた。

「何が可笑しいんですか? それにあなたに紅冥と呼び捨てにしていい許可はしてないんですけど。初対面なのに失礼だと思わないんですか?」

「は? お前、朱音に接する態度と俺に対する態度違いすぎねぇか?」

「気にくわないんですよ、僕もあなたのこと」

 紅冥は先程までの朱音に向けていた微笑みとは一変し、まるで相手を下卑するような嘲笑を浮かべた。

「お前、腕には自身あるんだよな? 朱音と組んでも問題ない強さなのか俺が確かめてやるよ」

 昇威は唇を舌で舐めとって、自身の掌に拳を打ち付けた。

「後悔してもしりませんよ?」

 紅冥は被っていた帽子を取ると、長い前髪を掻きあげ、隠されていた左目を露にした。

 真紅色の鋭い眼光が昇威を射抜く。

 その刹那に感じた恐怖に、昇威は背筋を凍らせた。

「お前、何者だ?」

 只ならぬ殺気に昇威は後方へ跳躍して距離を取る。視線は紅冥をしっかりと捉えていたはずだが、その姿が忽然と消え、辺りを警戒しながら見渡した。

「あなたが知る必要はないですよ」

 その声は昇威の背後から囁く。

 昇威は唾を嚥下した。後頭部から感じるのは金属の冷たさだった。

「俺のほうが先輩だろう? その態度はねぇだろう」

 紅冥に拳銃の銃口を突きつけられ、額に冷や汗を浮かべた昇威だったが、素早く屈んで銃弾を避けた。

 拳銃の発砲音が大広間に響き渡る。

 銃弾は大広間の壁沿いに飾ってある大きな壺に命中した。壺が砕け散ったと同時に、昇威は紅冥に背を向けて屈んだ状態から片足を上げて振り向きざまに勢い良く蹴りを入れる。しかし手応えはない。

「なかなかやりますね」

 昇威の蹴りは入らず、紅冥は再び帽子を被り、ひらりとコートを翻して空中に飛び上がっている。

「本当に撃つやつがあるかよ! つか、お前あの壺めっっっちゃ高いんだぞ! 俺は知らねぇからな!」

 昇威は割れた壺を指差して声を荒げた。

「朱音様のお友達ならこれくらい避けてくれないと困りますからね。それに連帯責任って言葉知ってますか?」

「は? 冗談じゃねぇ!!!」

 柔和に微笑んだ紅冥の表情にぞっとした昇威は、着物の懐から取り出した一枚の紙切れを掲げて紅冥の方へと投げた。投げると同時に唱えていた呪文が終わると、紙切れは水の女神天后へと姿を変える。

 天后は身体に纏っている水を集めて回転させて水の渦を作り、紅冥へ目掛けて放つが、紅冥はそれを空中で簡単に避けた。

「逃がしませんわ」

 天后は両腕を掲げて水の渦をコントロールして紅冥を追尾する。

 地に足を着けたばかりの紅冥は、その水の渦がギリギリになるところまで引き付けて、再び高く跳躍し、そのしなやかな身体で攻撃を避けた。

「無駄だぜ!」

 昇威の言葉通り、それでもなお水の渦は威力を増して、紅冥の後を何処までも追ってくる。

「さぁ、どうする? 降参か?」

 余裕の笑みを浮かべている昇威だったが、紅冥の次の行動に目を見張る。

 紅冥が水の渦を再び避ける。

 避けたすぐ後ろにあるのは大きなシャンデリアだ。天后がそれに気付き、渦の威力を分散させるも、シャンデリアの一部が無情にも砕け散って、破片が地面に向かって降り注いでいく。

「わぁ、すごくキラキラして綺麗ですね」

「そんなこと言ってる場合かよ!」

 昇威は地団駄を踏みながら頭を抱え、悲鳴を上げている。

 地に着地した紅冥は『連帯責任』と人差し指を口元に置いて微笑んだ。その言葉に震え上がる昇威だったが、さらにその顔色が真っ青に変わる。

「おい、見ろよあれ! 落ちてくるぞ!」

 昇威の視線は、天井に吊るされたぐらぐらと揺れる大きなシャンデリアに向いている。

「へ?」

 思わず紅冥も素っ頓狂な声を上げた。一部が砕け散ったとはいえ、本体のシャンデリアはとてつもなく大きい。

「あんなの俺の給料じゃ払いきれねぇぞ!」

「え、そっちの心配ですか? とにかく逃げましょうか」

 頭を抱えて落胆したように肩を落とす昇威の姿を見た紅冥は、無邪気に笑うと、昇威の腕を引っ張って強引に大広間の外へ連れ出す。

 

 シャンデリアは無情にも落ちて、轟音が響き渡った。

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