Ⅱー3
ブルゴスの町は、パルウプガル王国のほぼ中央付近の海岸沿いにある。同国の版図は、エアシブリ半島西岸に張り付いている。その領域は大きくない、中堅どころの国だ。
目的の神聖ルースガア帝国は、東進して、カバレスベア王国とネフクラ王国の二国を通過した、さらにその先に位置する。しかも、皇宮のある皇都ヴィーネは、帝国の東端にあった。そこまでの路程は、途方もなく長い。
道路交通網は発達してきているものの、路面の整備状況は、かなり粗雑だ。馬車を使う場合は、乗り心地がとても悪い。
このため、巡礼者などの旅人の多くは、徒歩で旅をしている。軽い荷物は、駄馬やロバの背に積んで、自らは歩く。
だが、セシーリアは目が悪いため、速くは歩けない。路銀の手持ちが少なく、旅に長い時間はかけられない。馬などへの騎乗もできないため、旅は、馬車での移動とせざるを得ない。
ユーレミヒ地方の森は広大だ。森の大海に、都市という島が点在する状況にある。森に囲まれた人気のない道では、狼などの在来の猛獣や、ときにはバジリスクなどの怪物に襲われる危険がある。野盗の襲撃も、珍しくない。
「セルジ様。森には、人を襲う獣や野盗も出没します。長旅をするなら、安全の確保が欠かせません。傭兵を雇う金もないですし、護衛をつけた隊商などに同行させてもらってはいかがですか?」と、出発に当たり、アルマス家の執事が、そっと耳打ちしてくれた。
「なるほど。俺は、ブルゴス近辺で旅行した経験しかないから、知らなかった。しかし、どう手配したものだろうか?」
当主である祖父や父を頼ったところで、どこかの隊商と表立って話をつけてくれそうもない。セルジには、思い当たるつてがなかった。
「私の古い知り合いで、ルーベン・フェルナンデスという遍歴商人がおります。カバレスベア王国へは頻繁に行き来していますから、彼を頼れば、そこまではなんとかなるでしょう」
「そうか、手間をかけさせてすまない」
「いえいえ。他ならぬセルジ様とセシーリア様のためですから」
執事は、フェルナンデス宛に、手紙を一筆書いてくれた。
思惑どおりにことが運び、セルジたち一行は、同行を許された。フェルナンデスの隊商は、魚の干物などの海産物を積んだ荷馬車が二台。それに、武装した護衛が三人、騎馬して同行する。
そして、旅が始まった。売り物が海産物なので、内陸部の町を巡っていくことになる。
目的の町へ到着するたび、フェルナンデスは露店を開き、商品を売りさばいていく。その間、セルジ一行は待機時間となる。路銀の持ち合わせが少ないセルジは、じれったい。滞在に要する宿代は、タダではないのだ。一刻も早く、先を急ぎたい。
時間を持て余したセルジは、郊外の草原へウサギ狩に出かけた。獲物を売って、少しでも路銀の足しにするためだ。
森での狩猟は貴族たちの娯楽であり、主な獲物となる鹿などの狩は制限されているが、ウサギは例外だった。
ハビエルは、のんきなことに、修行と称して、あちこちの食べ物屋を巡っている。
セシーリアにとっては、待機時間は、いい社会勉強の機会となった。
ブルゴスでセシーリアが過ごした環境は、きわめて限定的だった。ブルゴス城、ズイノレ亭、孤児院や図書館などの聖堂施設。ただ、それだけ。
慣れてくると、町の人々がセシーリアへ向ける異体な姿への忌避感は薄れていった。
だが、彼女には、矯正しようのない欠点があった。目が悪いので、表情から相手の感情を察することができないし、アイコンタクトもできないから、リアクションが限りなく薄い。
そんな彼女のそぶりを見て、人々は、「氷のように冷たい女」との印象を抱いていた。だから、町の人々の方から話しかけてくることは、まずなかった。
町の住人やアルマス家の目を気にする必要が亡くなった彼女は、インマに連れられ、町の繁華街や名所を巡る。いちいち新鮮な経験だった。
セシーリアは、滞在した町でも、教会の奉仕活動への参加を欠かさない。図書館は聖堂に付属していたので、聖典の類も多く所蔵されていた。それに感化されて、敬虔な信徒になったのだろう。インマは、そう解釈していた。
時間に余裕のあるときは、セルジとハビエルも、これに加わった。セシーリアたちが、ケガ人や病人を手当薬療する姿を初めて見にしたが、手際の良さに目を丸くした。
「お嬢ちゃん。先週手当てしてもらったケガが、もう治っちまったぜ。結構なケガだったんだが、すげえ腕してるな。恩に着るぜ」と、手当てを受けた者が、わざわざお礼にきた。
「治ったのなら、なによりです。よかったですね」
セシーリアから、自然と笑みがこぼれる。崇高さを秘めた無心な微笑みは、周囲の者を魅了した。
それからも、セシーリアは、インマの手伝いを得ながら、熱心に作業を続ける。
「お嬢様。薬の在庫が尽きかけてきました」
「そう。ならば、森へ材料を採集しにいかなくてはね」
その旨をセルジに伝えると、大反対された。
「君たち二人だけで森へ入るなど、危険すぎる!」
人々は、森で植物の実りを採集し、鳥獣を狩猟するなどの恵みを得る。他方、森には、猛獣や凶暴な怪物が生息し、脅威として恐れられていた、悪霊や妖精などの得体の知れない迷信的怪異が存在する魔境とも信じられている。
「大丈夫ですよう。ブルゴスでは、いつも二人で採集していたんですから」と、インマは、楽天的に言う。セルジは、危機感をつのらせた。
「知らない町の森で、奥へ迷い込んだらどうするんだ。何に襲われるか、知れたもんじゃない。だったら、俺もついていく」
インマは、顔を曇らせた。
「お嬢様。よろしいのでしょうか?」
「お従兄様なら、隠し立てをする必要はないわ」
セルジは、その会話の意味が理解できなかった。しかし、いざ森へ着いたとき……。
「こちらが
セルジは、目をパチクリさせた。目の前に見えているものが、信じられない。
精霊と言われれば、そうなのだろう。体は半透明で、神秘的な淡いオーラに包まれている。二人とも、美女という表現が陳腐と思えるほどの造形美で、均整の取れた体つき。あえていえば、アイレーヌの方がスリム体型で、セルヴィーネの方がやや肉感的か。
アイレーヌは白青、セルヴィーネは鮮緑の髪色で、瞳の色は、それぞれが髪とおそろいの色だ。
古代ルースガア帝国風のゆったりとした貫頭衣に似た衣装を着ている。純白な布は、不思議な光沢を放っていて、およそ見たことがない。
セルジは、圧倒されつつも礼を述べる。
「とにかく、セシーリアがお世話になっているようで、感謝いたします」
「お友達というのも、おこがましいけれど、私たちは、
セルジは、「御子様」という言葉に違和感を覚えたが、ささいなことだし、精霊相手に追及するのも気が引けた。
森での採集は、驚くほどスムーズにはかどった。危険な存在がいれば、アイレーヌが事前に警告してくれる。薬草、キノコ、木の皮などの薬の材料の在りかは、セルヴィーネが案内してくれる。
門前の小僧習わぬ経を読むとばかりに、インマは、薬草や山菜などを覚えていて、目ざとく採集している。
予想以上の収穫を得て、余った薬草などを薬種商で売却することにする。
「森で採集した薬草類を、売却したいのですが」と、インマが、窓口で申し出る。
担当の中年男性は、チラリと
「それで、何が売りたいんだ?」
「これです」というなり、インマは、売却する薬草類を並べていく。担当の男の表情が、一変した。
「お、おい。待てよ。これは……ラレジキの実じゃねえか。こ、こっちは、ノガリトサゲか?」
「ええ。そうですよ」
「まさかっ! 長年この商売をやってるが、俺でも初めて見たぞ」
「えっ! そうなんですか? たぶん、探し方が悪いんですよ」と言うインマに、悪気はない。担当の男は、あまりのことに声がでない。
売却額のおかげで、路銀に少し余裕ができた。
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