イレギュラー -IRREGULAR-
鈴懸葵
序章 人間
私は梅雨が嫌いだ。
「おばあちゃんの家まではまだ時間がかかるから、スマホばっかり見てないで、外の景色でも見てなさい!車酔いするよ!」
「はーい。」
お母さんの忠告に生返事して、私は窓に視線を向けた。
「景色って言ったって……雨じゃん。ただでさえ、どこも似たような風景ばっかりなのに。」
つい一週間ほど前に梅雨入りが宣言され、日本列島の上空には毎年お馴染みの停滞前線が鎮座している。
いつもならこんなことくらいで恨み言を言ったりはしないが、今日は例外。
(あーあ……鬱陶しい。)
まだ正午あたりだというのに、この薄暗さなのだ。そりゃ、気分もどんよりするというものだろう。
苛つく気持ちを押し殺して、ぼうっと外を眺める。家、家、マンション……畑、街路樹、踏切……そしてまた家が続いていく。
数分後、信号で車が止まった。その時だった。色褪せた景色の中、一際鮮やかに見えたのは、
(女の人……?)
思わず窓に額を押しつけてじっと見つめる。歳は、恐らく私より少し上くらいだろうか。僅かな日光を受けて、オーロラのように煌めく白銀の髪。満月みたいな瞳を持ったその人は、窓の向こう、すぐ近くに立っていた。
暫く見つめていると、私の視線に気付いたのか、その人がいきなりこちらを振り向いた。
「……!」
口を動かして、何かを私に伝えようとしている。
(何だろう……読唇術とか、見様見真似でやってみたら意外と出来たりして……?)
私はその人の口をよく見て、言っていることを推測してみた。
(わたし、が……み、え、る、の、か……?)
言葉の意味を理解した瞬間、背筋を指でなぞられたような悪寒がした。そういえば、どうして彼女はこの雨の中、全く濡れていない……?
突然怖くなって視線を外し、また窓の方を向いたとき、もうその人は居なかった。
そんな不思議な体験から一週間。私は何事もなかったかのように学校に通っていた。あれから特に不思議な事態には遭遇していない。
「……あの人、なんだったんだろ。」
学校まで歩きながら、私はそんなことを考える。正直に言えば、全く予想がつかないこともない。
多分信じて貰えないだろうが、私には少しだけ霊感がある。と言っても、ごくごくたまに何かふわふわした猫みたいなやつが視えるとか、絶対誰もいないはずの場所で視線を感じるとか、そういうレベルで。あんなにはっきり視えたことなんて殆ど無いし、何より一応霊感持ちの勘として、あれが幽霊ではないことは分かっている。
だが、それに近い何かであるのは確かだ。あれは人間じゃない。私の勘がそう言っている。
「あっ……!」
ふと前を見ると、日光を反射して輝く白銀の髪。
きっとあの人に違いない!私はそう思って、迷わずスクールバッグをその場に投げ捨てて走り出した。
「……はぁっ……はぁっ……」
(……あの人、足速すぎない?!)
いくら私が運動音痴でも、流石にあの足の速さはおかしい。疑惑が確信に変わり、私は笑みを浮かべていた。真実への探求心?いいや、違う。
心から面白い、と。私は久々に思ったのだ。
あの人を追って路地裏にたどり着いたところで、奥の方からガンッ!という物音が聞こえた。
急いでそこに向かうと、案の定あの人がいて、一人の男を見下ろしていた。二人の傍らには、バールの様なものが転がっている。
「……お前は本来、一昨日死ぬ運命だった。気の毒だが、死んで貰おう。」
そう言って、怯える男に一歩、また一歩と近付いていき、その人は目にも止まらぬ速さで足を高く振り上げ、靴の踵でその男の胸を蹴りつけた。
「…ぁぁあぁあぁ!!!!!」
グシャリという音と共に、男の胸からは血が溢れ出て、肉が飛び散る。声にならない叫びをあげ、男はのたうち回っていた。彼女は暫くそれを冷ややかに見つめ、そして男の死を確認するとこちらに振り向いた。
「……それで、何の用だ?」
(気付かれていたのか……)
「あの~……私達、この間会いませんでした?」
私が姿を現して言うと、その人は驚いたのか目を見開いた。
「お前はあの時の……いや、だがこの気配は、ただの人間では……」
顎に手を添えて、何やらぶつぶつと呟き始めるその人に、私は目を輝かせて質問する。
「貴女は何者なんですか?どうして雨に濡れないんですか?なんでそんなに力が強いんですか?!」
私は半ば興奮気味に捲し立てた。
強烈な好奇心が沸き起こる。顔に熱が集まるのを感じた。
「……お前に教える義理はない。少なくとも、ただの人間であるお前には。」
その人は冷たい眼差しのまま、一切表情を変えずにそう言い放った。釣れない態度ではあるが、もう一押しすれば聞き出せるという雰囲気を、私は感じ取った。
「それは、貴女が人間ではないことを教えてくれているのと同義ですよ!」
不敵な笑みを浮かべて、私は言った。相変わらず感情が無いのではと思うくらいの彼女だったが、その瞳が僅かに揺れたのを、私は見逃さなかった。
(なんて言ったらいいのかな……)
どう言えば、彼女を説得できるだろう。そう思ったその時、私の耳元に誰かが囁いた。水晶のように透き通ったその声が告げた言葉を、私は自らの唇に乗せる。
「弟子に、して下さいっ……!」
こんな言葉、漫画か何かの世界でしか聞いたことがない。私はぎゅっと目を瞑って、声を張り上げた。
「…………。」
その人は、私の言葉を聞いて、酷く狼狽した様子だった。私の黒い瞳と、彼女の金色がかち合った。
(あれ、この感じ、まるで……)
目が合っている筈なのに、彼女は、なんだか別の誰かを見ているようだった。
「貴女は今……」
誰を、私に重ねているんですか?
そう問おうとした私に、それは言わせまいと彼女は言葉を被せてくる。
「お前は、本当にそれでいいのか。」
彼女の声は震えていた。
「貴女の弟子になると、人では無くなってしまうからですか?」
その人は、こくりと頷いた。そんなことを態々聞いてくるなんて、なんて優しいのだろう。私はまたも笑みを浮かべる。
「構いませんよ。むしろ私は、そうなることを望んでいるんです。だって、私は……」
続きを言おうとして、言葉に詰まった。言えない。少なくとも、まだ。
「……そうか。ならば、まずお前には……」
その人は遂に何かを決意したようで、私に一歩近付いた。その声からは既に迷いは消えていて、私はその神聖とも言うべき雰囲気にすっかり呑み込まれていた。
「死んで、貰おう。」
刹那、彼女は虚空に手を伸ばし、そこに出現した日本刀を手に取った。目が覚めるような真紅の鞘と鍔、光輝く金の装飾。
(なんて美しいんだろう……)
今からその刀で殺されるとか、そんなことはどうでもよかった。ただ、今目の前にあるこの光景を目に焼き付けるのに必死で、私は自分の首が切断されていることにも、後から気がついた。
「……あ、え……?」
ずるり、と。私の首から上が斜めにずれて地面に落下した。
(い、痛い……)
切断された部分は灼けるように熱く、脳天には電流が走っていた。
いつの間にか目の前も真っ暗で……私は死んだ。
「死んだ、か。」
その少女の頭を掬い上げて、私は独り嗤った。
「はは……お前は、死んでくれるなよ?」
元々、弟子など取るつもりもなかった。
(……あんな頼み方は卑怯だ。)
ああやって乞う姿は、あいつにそっくりだった。
『ヴィオって……呼ばせて貰えないかな?!』
脳裏にちらつくターコイズブルーを頭から追い出して、私はその世界から姿を消した。
「……う、ん……?」
次に瞼を持ち上げたとき、私は知らない場所にいた。何だかふわふわするし、身体は鉛のように重い。
(熱でも出しているのかな……)
「おや、起きたのかい?」
何処からか声が聞こえるが、今の私には、周囲を見渡す気力も、返事する体力もなかった。
(誰だろ……お母さんの声じゃないし……)
喋り方に覚えもない。この人が誰なのか気になったが、好奇心では眠気に勝てず、私の意識は再び闇に吸い込まれていったのだった。
「
四十代前半くらいの姿をした女性が、白銀の髪を持った少女に話しかけた。
「……そうですか、ルナさん。でも、すぐに寝てしまったでしょう?」
美紅と呼ばれた少女は、驚きもせずに言った。
「おや、どうして分かったんだい?」
ルナと呼ばれた女性に、美紅は少し目を細めて告げる。
「私も、そうでしたから。」
……夢を、見た。その夢の中で、私は母を包丁で刺していた。父も、妹も殺した。私は親戚から侮蔑の眼差しを向けられ、少年院に入った。周りにいた非行少年達を殺した。私はずっと笑っていた。そして、遂に私は死刑判決を受けた。私はそれを聞いて笑みを更に深め、ずっと独りで笑い続けていた……。
「……っ!!」
心臓が早鐘を打ち、呼吸が荒くなる。大丈夫、大丈夫……あれは夢だ。
「……そうだ。」
一気に冷静になって、私は周囲の状況を確認した。どうやら今は朝のようだ。
(ログハウス……?)
私が寝そべっていたのは寝心地のいいベッドで、この家は黒檀と思しき木材で出来ていた。
「……鳥の鳴き声とか、聞こえないな。」
辺りは静寂に包まれている。見ると窓は開いているが、外からは雀の鳴き声なんかは聞こえてこない。
「この世界には、生物は住んでいないからな。」
全く気配がしなかった。驚いて横を見ると、私の師匠になる人がそこにいた。
「あ、えっと……おはようございます?」
「おはよう。あと、敬語は不要だ。」
「はい……じゃなくて、うん。」
師匠と短いやり取りをしてから、私は聞きたかったことを聞くことにした。
「ええっと、師匠の名前はなんて言うの?」
「ああ、まだ言っていなかったな。私は
(素敵な名前だけど……この見た目なのに日本人ってこと?)
私は浮かんだ疑問を口に出そうとして、飲み込んだ。
「そういうお前の名はなんだ?」
「……えっと。」
どうしよう。折角死んだからには、出来れば生前とは別人になりたいのだけれど。
「……教えたくない、と言うことか?別に良いが、名前がないと面倒だ。何でもいいから自分で名前を考えろ。」
相変わらずぶっきらぼうな人だ。
(名前か……どうしよう。)
私は辺りを見渡して、側にあった壁掛けの鏡を見て驚いた。
「……青い……」
瞳が、青かったのだ。私は正真正銘の純日本人だった筈なので、真っ黒い瞳だった筈なのに。
「あおい?……悪くない名だ。漢字は?」
今の言葉を師匠が名前だと勘違いしたらしく、勝手に話が進んでいく。
「……え、えーと……あの、草冠の……」
特に思い付く名前も無かったので、私はその勘違いに乗ることにした。
「……ああ、この字か?」
そう言って、師匠は空間に指ですうっと『葵』という漢字を書いた。
「指でなぞったところが光って文字になっている……」
「便利だろう?
何を言っているのかよく分からなかったが、その場ではスルーしておいた。
「出来れば名字もあった方がいいな……お前、私の名字を使うか?」
「えっ、いいの?」
びっくりだ。そう簡単に名字を人に使わせても良いのだろうか。
「お前が嫌でなければ。」
普通に嬉しかった。なんというか、今の時点で私は、この人が結構好きだ。
「嫌じゃない!……これからよろしく、姉さん!!」
「いや、そう言うことじゃなくてだな……」
姉さんが眉を顰めるが、私は諦めない。
「名字を使っていいって、そう言うことじゃん!」
「……はあ。よろしく、
「うんっ!!」
こうして、私の人外ライフは始まりを告げたのでした!……それと、前言撤回。
やっぱり、梅雨は一番好きな季節だ。
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