第28話 俺はダシ
「最初の頃、お前に社内でつけておけば身分証明になるって言って渡したバッジがあるだろ」
伊田屋さんの言葉を聞き、自分の胸元に手が伸びる。胸につけているのはDVDの形をした、ちょっとかわいい小型のバッジだ。ツクルGに来る時には必ずつけるようにしている。
これが何か……?
「お前には悪いがそれには盗聴器が入っている」
(と……う、ちょう……?)
盗聴、聞き慣れない単語。そんなのテレビの特番でたまにやる密着警察なんたらでしか見たことがない。ましてや自分に仕掛けられるとは思ってもない。
「だからお前が会社の中で話していたことは全部わかっている。会社の中ではちゃんとそれをつけていてくれたからな」
そんな……とりあえず最近のことを思い返す。何か伊田屋さんのマズイことは言ってないかなとか。夢くんに関して変な独り言とか言っちゃってないかなとか。
「伊田屋さん、なんでそんなことしたんですかっ」
盗聴されていた、そんな事実に唖然とする。会社の中だけとはいえ、自分の全て、由真さん達とのちょっとした会話も。全て伊田屋さんに筒抜けだったのだ。
「じゃ、じゃあさっきの知らないやつに襲われたやつも……」
伊田屋さんは「あぁ」と言いながら、デスク上に置いてあったスナバの紙コップを手に取り、 中に絶対入っているだろうコーヒーを一口。
「さっきも言っただろ、俺は証拠を集めてる。お前にしかけとけば、あの野郎が絶対に動くと思ったからな」
「あのやろうって誰?」
「成海を追い詰めたやつだよ」
成海……一瞬誰だっけ、と思ってしまった、最近会話に上がらなかったから。
そうだ、成海優だ。かつてツクルGで働いていた人で。夢くんの恋人で。厚い期待をかけられ、プレッシャーを感じて命を絶った。
(じゃあ、伊田屋さんが指している野郎とは……? 成海さんを追い詰めたのは――)
「ちげーよ。お前が考えてるやつのことじゃない」
こっちの考えはお見通しのように、伊田屋さんは怪しげに口角を上げる。
「違う、夢彦じゃない。成海を真に追い詰めたのは……お前も大嫌いな矢井部長だよ」
その名前に頭の中にイラッとするものがあった。
矢井部長……白髪頭の中年の嫌なやつ。一番最初に会った時も自分に絡んできた。
成海さんの件は夢くんの弱みとなってしまい、夢くんは矢井部長にいいように使われている。それをなんとかしたいと思っていたわけだが。
「成海はあいつにハラスメントを受けていた。セクハラとパワハラさ」
言葉が出なくなった。何がどういうこと?
口がパクパクしてしまう。
「矢井部長は手を出してたんだよ。成海を揺さぶり、誘い出して自分の欲を発散する、最低な野郎なんだ」
(な、成海さんが……)
頭の中で夢くんと出かけた時の写真が――笑顔の成海さんが映る。あの笑顔の裏で、あの白髪男のはけ口になっていたなんて。
「そのことは夢彦は知らない。その現場は俺が、実は何度か目にしててな……だから成海には矢井部長を訴えろと言ったんだ。だが、そんなことをしたら夢彦の立場が悪くなるってことを気にしてた」
その結果こうなってしまった、というわけ。
「話はわかりました。だけど。 それと俺、どう関係が?」
「矢井部長が目をつけたのは今度はお前だってことだ。成海がハラスメント受けていたのは知らないが、お前のことは夢彦も感じたらしい。だからお前がツクルGに来る日は部長がいない日を当てていたんだ」
そうだったんだ。だから自分がここに来る日は
あの部長はいなかったんだ。
「――で、今日、お前は夢彦に指定された日じゃないのに、ここに来た。お前の姿を見つけた。部長はしめたと思っただろうな」
だからあんなことをした……と。
一気に突きつけられた現実に唇が震えてきた。
さっき自分を襲ってきたのはあの矢井部長……確かに背の高くて社内のことを知っているやつだ。顔は見てないが、犯人はあいつだろうなと納得できる。
「しかしな……あいつ、お前に正体をバラさないようにするため、声を出さなかったからな。お前もあいつの姿を見たわけじゃないだろ。あいつの何かしらの声が録音できればと思ったんだが残念ながらできなかった。だから何も証拠がねぇ、あいつを追い詰めるためのものがな」
いろんな驚きに自分の視線があちこちに泳ぐ。伊田屋さんとは目を合わせづらくて伊田屋さんの靴の爪先を見たり、手にあるコーヒーを見たり。はたまた床に落ちた小さいゴミを見たり。
自分の気持ちがあたふたしている。視線に現れているだろう。
「伊田屋さん、あんたは俺をダシに使ったってこと? 成海さんのことを話させるために」
「まぁ、そうでもあるようで、そうでもないかな」
伊田屋さんはよくわからないを言っている。その様子に頭に血が上ってくる……なんなんだこの人は、と。
「お前をエサにするつもりはなかったが、ある意味じゃ、お前が襲われるの待ってるってだけだったからな。そう言われても仕方ねぇよな」
襲われるという言葉を聞いたら、身体を触られた気持ち悪さがぶり返した。
悲しい、不快……日々希は両腕をガシガシとさすった。
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