第27話 安堵のち驚き

 幸せな気分で廊下に戻り(あ、携帯どうやって返そう)と、考えている自分の身にあることが起こった。


(え、何っ?)


 何が起きたのか。理解できなかった。

 だが身体が動かないとわかった。

 背後から伸びた誰かの腕が自分の身体を押さえている。片方の手は声を上げられないように口を押さえ、もう片方の腕が腕を動かさないように器用に両腕を押さえつけている。


 足は動くが驚きに力が入らず。それもあるが相手の力が強くて抵抗できず。


(な、何すんだっ! どこに行く気だっ!)


 身体は引きずられていく。助けを呼ぼうにも口は塞がれ、廊下には誰もいない。相手を把握しようにも背後にいるから誰かもわからない。


(くっそ!)


 されるがまま、どこかのドアが開いた音がする。中に連れ込まれると紙やダンボールや薬剤やらの、こもった匂いがした。非常灯が点いていて中が確認できるが棚が並ぶ倉庫みたいな場所だ。


「――っ!」


 手で口は塞がれていたが抵抗しようと声を上げた。だが後ろにいるやつの力が結構強く、あがいても何もできない。背後で小さく、不気味に笑う声がする。


(だ、誰なんだ、こいつっ!)


 ツクルGにこんなやつがいるなんて。それとも外部から来たやつなのか――いや、それはない。

すんなりと、この人のいない倉庫の場所がわかっていたんだ、内部のやつだ。


 なんとか逃げないと! いくら相手の力が強くてもどうにかできるはず!

 そう思い、相手の腕に思いっきり爪を立てて引っかいてやった。男から低い悲鳴が上がる。


 だがそれで容易くことは進まない。男は舌打ちして日々希の身体を突き飛ばした。室内の棚に思い切り背中をぶつけ、衝撃で動けなくなった自分をうつ伏せにし、男が背中に乗ると重みで息ができなくなった。口にガムテープっぽいものが貼られ、手は背中で押さえられる。


(ひっ⁉)


 男の空いていた片方の手が、自分のシャツの中に潜り込んできた。背中や胸をなでられ、全身鳥肌が立ち、叫びたい衝動に駆られる。


(なんだこれっ、気持ち悪い!)


 そういう目的か! 性欲の発散⁉ 異常者だ!

 ガサついた手が不快でたまらない。蹴飛ばしてやりたいのに、身体が押さえ込まれて動けない。


(怖い! 夢くんっ)


 頭の中で必死に夢くんを呼んだ。

 その時、ドアノブがガチャガチャと動かされる音がし、男の手がピタッと止まる。


「……あっれー、備品室に鍵がかかってる。誰だよ、めんどくせぇなぁ。取りに行かなきゃじゃん」


 廊下の方から、そんなぼやきが聞こえた。このままではここに人が来ると察したのか、男は「くそっ」と小さくつぶやき、外にいた人がいなくなったのを見計ってから――。


(わっ、なんだ!)


 男は自分に毛布のようなものを頭からかけると足早にドアを開け、外に逃げた。

 おかげで手は動かせるようになった。毛布を除き、口のテープを外して自分も急いで外へ。

 だが廊下にはすでに誰もいない。窓から日光が差し込む静かな廊下……今あったおぞましいことなどウソのようだ。


(くそ、くそっ! どこに行った⁉)


 あんなのを夢くんがいる、このツクルG会社内にのさばらしとくわけにはいかない。夢くんに言うか……? いや『何されたんだ!』と心配をかけてしまう。


(そうだ、夢くんよりも偉い人がいた!)


 もしかしたら外出してるかもしれないがその人の部屋へと向かった。

 そして(いてくれ)と願いながらドアをノックすると、中から「あいよ〜」と気の抜けた返事がした。


「伊田屋さん、俺っ」


「あー日々希か、入れよ」


 はやる気持ちを抑え、ドアを開ける。伊田屋さんはこっちが焦っているのを特に気にしていないようだ。いつもの調子で部屋に招き入れると「そこに座れ」とデスク前のイスを指した。


(俺がこんな汗だくなのに。なんでこの人、こんな落ち着いてられるんだ?)


 そうは思ったがひとまずイスに座り、深呼吸をする。落ち着いてみると男に身体を触られた感触がよみがえり、背中がゾクッとした。

 変なところを触られた、気持ち悪かった。あのままだったら自分は何をされていたんだろうと思うと。


(俺、何も抵抗できなくて……)


 急に目頭が熱くなった。心の中が(助かってよかった、あんなの嫌だ、あいつ誰なんだよ)と、そんな安堵とイラ立ちがごちゃまぜで実に不安定だ。


(嫌だ、あんなの、もう……)


 泣きたくないのに涙が出てしまった。何を泣いてるんだと思うけど。やっぱり嫌だったから、怖かったから。いざとなると何もできなくなると思い知ったから。

 伊田屋さんはそんな自分を見て近づいてくると頭の上に手を置き、優しくなでてくれた。


「怖い思いをしたな」


 泣いているから何かあった、そう察して、そう言ってくれたんだろう。伊田屋さんの手にあやされているようで、ホッとしていると。


「まぁな……なんの経験もないお前が知らないやつに襲われるのは恐怖でしかないよな」


(え……?)


 流れる涙を手で拭い、伊田屋さんを見つめる。

 こんな自分を見ても落ち着いている。わかっていたよと言いたげに、頭をなで続けてくれているけど。


(伊田屋さん、知って、たの……?)


「だが悪いな。あれじゃ相手の声も何もわかんねぇ。あれじゃ証拠にならねぇんだ」


 ……証拠?

 証拠って、何?

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