第20話 苦しくて捨てられないもの

「俺はよくわからないんだ」


 変わらない至近距離で夢くんは言った。


「こういう感覚」


「こ、こういう感覚?」


「誰かがそばにいると嬉しかったり、緊張したり……ほら、恋してる、ってみたいな感覚」


(こ、恋っ……⁉)


 頭が一気に熱くなった中、夢くんは続ける。


「年もあるんだろうな……昔はあった。ドキドキしてさ、楽しくてさ。ああいう胸が高鳴る感情、いいよな。すごい幸せだった……今はわからないけどな」


 さびしい言葉だ。好きな人がいるこのドキドキと。近くにいて嬉しいという、この気持ちがわからないなんて……いや、今ここにいるのが“自分”だから、ということもあるかも。夢くんにとっての心躍る対象ではないということだ……ちょっと悲しい。


「……だって夢くん、あのヤロ――あ、いやっ、す、鈴城さん、と一緒にいてもわかんないの? ……付き合ってるんでしょ」


 さん付けで呼ぶのは非常に虫唾が走る……けど一応、人の恋人を呼び捨てするわけにもいかないから唇に力を入れて口にした。

 知ってたのか、と言いたげに夢くんは苦笑いだ。


「由真に聞いたな、全くおしゃべりめ……そう、だな……隼汰がいたな……」


 夢くんは小さなため息をついた。伊田屋さんが言うには好きで一緒にいるわけじゃないらしいから。そこを否定したい気持ちとそうもいかない気持ちがせめぎあっているのかも。


「まぁ、俺がこんな感じだからさ、隼汰には『つまらない男』って言われる時がある」


 ――なんだと、俺の夢くんを! やっぱり絶対にぶん殴る!

 でもそんなことは言えないので間近にいる夢くんの瞳を見ながら冷静に答える。


「夢くんさ、相手にそんなこと言われてるのに、その人のこと、好きなの、本当に?」


「……うん」


 夢くんは合わせていた目を伏せた。

 つらそうな表情に、また答えづらいことを聞いちゃったんだなと自責の念に駆られる。

 ごめん。夢くん……。


「夢くんっ、べ、別に気にすることはなんじゃない? そんなに思い詰めなくても」


「いや、だってさ、これからそういう恋愛系も作るっていうやつがそういう気持ち知らないって、リアリティないだろ。最初に伊田屋さんに言われたんだ。色々な経験がないとみんなに受けいれられる良いゲームは作れないぞって」


 そういえば最初、由真さんとリビングのソファーでなんかやってたなーということを思い出す。あれは、まぁ……由真さんだから、いいけどって言ったら由真さんに失礼か。


(ドキドキか……俺は常に感じてるけど)


 こういうのは誰かから教えてもらうより、自分で感じるものだとは思う。だって言ったところでわからないし、言葉にしようもない。


 でも、このドキドキは嫌じゃない。なにくそっと思うこともあるけれど。好きな人が近くにいるだけで楽しくて嬉しくて、ふとした時に触れている時なんか、とても幸せで。

 夢くんがそばにいるだけで幸せなんだ。


(そんな気持ち、夢くんも味わってほしい)


 でも何がきっかけで夢くんはその気持ちがわからなくなっちゃったんだろ。

 夢くんのこと、知らないことばかりだ。

 知りたい、もっと。

 そして知ってもらいたい、俺のこと。


「夢くん」


 夢くんの手を取り、日々希は自分の胸の上に当てる。この鼓動が証拠。


「……こうなるんだよ、好きな人がいるとさ」


 自分はいつだってこんな感じ。大好きな人の声を聞いただけで、そこにいるんだって思っただけで。ずっと会えていなかった時は写真を見ただけで。会いたいってずっと思っていた。その証である速い鼓動だ。


 夢くんが伏せていたまぶたを上げ、こちらを見る。瞳が少し揺れ、戸惑ったようにも見える。夢くんの手は今、自分の胸の上にあり。夢くんの手の上に自分の手を重ねている。

 大きな手……いつもパソコンをいじったり、たくさんの書類を触っている少しカサついた手。


「俺は、俺は、夢くんのことが大好きなんだ」


 そう言った時、夢くんの手がピクっと動いた。驚いたのか、それとも嫌だと感じたのか。わからないけど、口にしたら身体が一気に熱くなった。


「夢くんのこと、大好きだ……」


 震えそうになる声を振り絞り、想いを告げる。何度も口にしたことのある言葉セリフ……口にしているけど、この気持ちは本気マジだ。


 でも今の夢くんに本音を聞かせるわけにはいかない。


「……っていうのが、あの時、学祭でやった、アフレコのセリフ……どう、少しわかった?」


 そうごまかし、日々希は笑う。

 夢くんは驚いたように、まばたきを繰り返して「あ、あぁ、そうだったな」と少し動揺していた気がするが納得していた。


「なるほど……確かにあの時、言ってたな。確かね、自分の名前だし、言われるとドキッとするかも……ありがとう、日々希」


「わからなかったらまた教えてやる……俺はさ、好きな人がいるから。いつでもそんな気持ちなんだ。だからそういう緊張感はわかる、気がする」


 夢くんの手が自分の胸の上から離れる。離れた手はそっと自分の頭の上に置かれ、優しくなでてくれた。


「いいな、そういうのって。苦しいけど大事だよな」


 夢くんはそう言うと、あとは何も言わず部屋から出て行った。


(……ごまかしちゃった)


 後悔……でも今はダメだ。伝えたところで、伝わらないから。これじゃ本当にアニメの“響”と同じだ。


「大好きなんだ……」


 苦しいけど大事。うん、本当に苦しい。でも捨てられない気持ち……。

 日々希はポケットに入れた写真をズボンの上からそっとなでた。

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