8.近衛騎士隊長ヴァルター・クルト・リューベック
ライナルトも過ぎてしまった。お暇しようとしたら、正門側からどよめきと動揺が広がってくる。
「あれはなんだ」「蜥蜴? いやでも羽がある」「大きいし怖い」なんて観衆が恐ろしがっている。興味が勝って待っていると、やがて表れたのは、大通り一杯を占拠する荷車をつなぎ合わせたものに乗せられた、ある生物だ。
蜥蜴を大きくしたような生き物だった。
体長は人の何十倍で、鱗に羽や角が備わっている。羽先には鋭い爪があって、一振りするだけでも人はあっさりなぎ倒されるだろう。
そんな生き物が鎖で縛られ、荷車に繋ぎ止められている。
人々はその生き物が何かわからない。
見たことのないものには名前を付けようがないからだと推測できるが、私はそれを何と呼ぶか知っている。けれどもあまりに信じがたくて、嘘でしょ、と驚きを隠せない。
私が転生する前の世界、そこの絵物語でみた空想上の生き物だ。ゲームやファンタジーに馴染みある生き物だが、この世界に実在はしなかった。
「竜?」
浅く胸は上下しているが、角は折れて両目を潰されているし、全身から血を流して虫の息だ。羽は深く傷つけられているから飛べそうになく、どう見ても瀕死状態なのだが、銃創ばかりとは思えない。全身に広がった傷は、ただ剣や槍をつかったってあんな傷にはならないはずだ。
竜が深く息を吸うと観衆が恐れおののく。
竜が気になっていたのだが、途中で違和感に気付いた。大通りを挟んだ向こう側に、軍を睨み付ける人がいる。
その正体はフードを外したスウェンだ。むかし、私が想像したとおりに立派になった彼が、静かな殺意を瞳に称え立ちすくんでいる。
彼は衛兵に見つかるより前に雑踏に紛れてしまった。
後にエルネスタに合流したけど、竜がいつまでも気になっている。彼女に事情を話せば「なるほどねぇ」と頷いた。
「あれほど外敵に備えていたトゥーナがなんで落ちたのか不思議だったけど、これでしっくりした」
「エルネスタさん、驚かないんですね。もしかして知ってたんですか」
「トゥーナが落ちた際の状況や噂は入ってきてた。どう考えても大型生物がいないと成り立たない状況があったから納得できただけ。そいつが空を飛べるんなら尚更ね」
彼女は私が知らない事情をいくつも把握している。
「不思議な生き物は運ばれていきました。魔法院に声が掛からないんでしょうか」
「なに、見たいの?」
「どうなるのかなって気になって」
「必要なら声が掛かるでしょ。押しかけたって心証が悪くなるだけよ」
ついでに詳細は伏せ、皇帝を睨んでいた青年がいたと話したのだが、これにも彼女は驚かなかった。
「陛下は国を強くした代わりに、色々無茶をしてるから恨んでる子は珍しくないわよ。……なにが引っかかってるのよ」
「実はこちらに来たばかりの頃、その人に装飾品を盗まれて……」
「あらお気の毒。でも普通の地区にまで堂々と泥棒が出るなんて、本格的に治安が悪化したわね」
「エルネスタさん、彼みたいな人がどのあたりに住んでるかって見当つきますか?」
遠目でもスウェンの服は色褪せてみすぼらしかった。いまはどんな環境に身を置いているか、会ってみたいが、ひとくちに探すといっても難しい。
「盗まれたものは諦めるのをお勧めするけど、盗人ってことは貧民街あたりに住んでるんでしょ。だったら貴女みたいな子は行かない方が良い」
「“色つき”への敵視ですか?」
「貴女みたいな子は、娼婦宿に売られるわよっていってるの」
「あいたっ」
額を指で弾かれた。
「ほら、貴女のせいで遅れちゃったんだからさっさと買い物を続けるわよ」
「あ、でも、貧民街を見て行くのはだめですか」
「真面目な忠告だけど、貧民街はやめときなさい。あそこは衛兵の質も落ちたから、誰も寄りたがらない。助けてもらえない可能性が高いのよ」
エルネスタの忠告が私の足を止めたが、実のところ臆病心に負けた。
ブローチにはずっと後ろ髪を引かれているが、スウェンと会ったとして、何を話せば良いのだろう。そもそもオルレンドルで盗人をしているのなら、コンラートの救いの道がなかったのは顕著なのに、初対面の人間に話せるものはない。
落ち込む私に、エルネスタは首を傾げた。
「取り返したいの?」
「大事な人にもらったお揃いだったので……」
「衛兵に届けを出す手もあるけど、もし高値がつくものだったら、分解されて売られるのが大半よ。あてにできるかわからないけど、行っておく?」
「…………すみません、やめておきます」
取り返したいけど、初日に遭遇した軍人の態度を鑑みると彼には捕まってほしくない。それにあれは、きっととても高い品物だ。私が所有者だという確かな証拠を提出できない。
結局スウェンとブローチは諦めて、買い物に専念することにした。
気を取り直して向かった先は食品店。ここでは予定通り大量買いで送ってもらう手筈をつけ、その後は服屋等と様々だ。服は実用性一点の古着になったけれど、彼女は質の悪い品は避けてくれた。下着から諸々取りそろえるエルネスタにお金の出し惜しみはない。結構な支出に頭を下げたら、礼を言うには及ばないと言われた。
「いくら家政婦でも、わたしが雇う以上はみすぼらしい格好は困るの。大体さもしい格好の子に家事させて、貴女が雇う側でも気持ち良く仕事できると思う?」
「無理、ですね」
「恩に着るならそれだけの仕事をしてちょうだい。で、次は布団類だけど、これはかさばるから運んでもらうわ。今日中に届くのは難しいから、今夜までは肌寒いだろうけど耐えて」
私も雇う側の人間だったから、彼女の言い分はわかるのでなにもいえない。こうなってしまえばお返しできるのは家事をこなすくらいだ。
あれこれと買い足しをしていれば、あっという間に夕方手前だ。陽が落ちると門が降りるので駆け足で急ぐが、遅れた原因は他にもあった。
私たちの手には服なんかがぎゅうぎゅうに詰め込まれた荷があるが、さらに両手に惣菜を抱えていた。鼻腔をくすぐるのはお腹を刺激する、焼いた肉の匂いだ。
他には腸詰め肉を挟んだパン、チーズパンに、丸鶏揚げ、牛肉の塩焼き塊と種類が豊富だ。おまけになにを思ったのか新鮮なオレンジまで持ち帰りで買い込んだ。これで絞りたてのジュースを作ると張り切ったのだ。
「こんなに買い込まなくてもよかったのに!」
「帰ってから作るまでなんて待てないもの。わたしはお腹が空いてるのよ!」
「食べきれませんよ!」
「明日食えばいいでしょうが、骨付き肉はスープにして!」
「手が痛い、歩き回ったから足が痛いー!」
「運動してないでしょ、この軟弱者っ」
空腹に身を任せ、焼き串や肉包みを買い込むエルネスタを見て思った。
彼女は、案外考えなしで買い込む浪費家だ。
夜ご飯は豪華だったけど、食べきれなくて翌々日まで持ち越したと述べておく。
朝から調子が悪かった。
私の体質だけの問題じゃない。日を置けばエルネスタの家に慣れてきたのはたしかで、気が緩んだのは認める。服を買ってもらった翌日は具合を悪くしていたけど、彼女が煎じてくれた薬が良く効いた。
そこからは配分を考えながら仕事をしていたのだ。ついでに魔力酔いしないために、多量すぎる魔力の扱い方も教えてもらった。
けれどこの日は違う。断じて違う。私に落ち度はない。
前夜にエルネスタが急にやる気を出した。
「品の良すぎるお食事に飽きたから今日はわたしが作るわ」
私は出汁を取って野菜とお肉を平等に食べられるよう考えただけで、お上品な食事ばかり作った覚えはない。努力の甲斐あって、私の手が荒れた分だけエルネスタの顔色は良くなった。
彼女は張り切ると材料費を考えない。
料理を任せるくらいなら私が作った方がいいのだけど、この時は譲ってくれなかった。漬けておいた豚塊肉を取り出し、香辛料を塗りたくって揚げた。肉汁をたっぷり使ったソースに、お酒に漬け果物をふんだんに混ぜたケーキが食卓に並ぶ。普段薬草を取り扱っているだけあって、本気を出した彼女の腕前は素晴らしかった。なんで初日に食べたスープがあんなに不味かったのか問い質したいくらいだ。
が、美味しいからと食べたのがいけなかった。
「あの程度の油にやられたの?」
「あ、の程度って、言わないでください……」
気持ち悪くてまともに反論できない。まず彼女が肉を焼くのに使っていた油は、質が落ちていたから捨てようと分けていたものだ。作る手元を眺め続けるのも失礼だし、お料理の間は掃除しようと離れていたのがいけなかった……!
彼女も同じ物を食べたはずなのに、なぜけろりとしているのか。
その油だけでも私の胃腸を直撃したのに、加えて豚の脂身たっぷりのお肉、あまくて油分たっぷりの果物バターケーキ。
エルネスタの手作りが嬉しくて、無理を押して食べ過ぎたのが運の尽きだ。
これのせいで夜中から苦しみ、翌朝も不調を引きずり、ずっと胃を押さえていた。
胸焼けが酷い。胃の痙攣はなんとか治まってくれたが、許されるならずっと寝ていたいくらいだ。
「傷んでる油を使って、なんで、エルネスタさんは……うぐ……」
「あのくらい普通でしょうに、貴女が弱すぎるのよ」
言いながら残りのお肉をパンに挟んだものと、フォークで押すだけでじゅわっとバターと砂糖が染み出るケーキを食べており、見ているだけでも気持ち悪くなって外に出た。
いまは秋頃の気候、加えて山中であり、風に当たりすぎれば風邪を引くが、家の中にいるのが我慢できない。冷たい水を求めて出たものの、力尽きて座り込んだ。
お腹を壊さなかっただけが救いだが、なぜ胃腸の不調だけでこれほど苦しまねばならないのか。お腹を押さえていると声をかけられた。
「余裕がないところに申し訳ない、失礼だが具合が悪いのだろうか」
―― 一瞬、時を忘れてしまった。
記憶の奥底にしまいこんだはずの声へ反射的に振り返ると、目に留めたのは豪奢な衣装と剣帯だ。裾の先に至るまで意匠も豪華で、覆い被さる影の元を辿り、顔を上げれば、中腰の男性がこちらを心配そうに見下ろしている。
まず、その人を見て思い出すのは、かみ砕いた上半身と内臓の感触だ。黒鳥を通した感覚と、それから床に落ちた下半身。内臓からその日食べたであろう内容物がこぼれ落ちた光景を、私の脳はありありと思い返す。
この人は死んだ。殺したはずだ。真っ二つにして私の黒鳥がかみ砕いたはずだ。
でもそう、スウェンやエルネスタが生きていたように、こちらで彼が死んでいるとも限らない。
「リュ」
「無理に喋らない方が良い。見たことない顔だが、貴女はこの家のものだろうか。だとしたら彼女は……」
私が知っていたその人より髪はすこし伸びていて、金髪だった髪には緑混じりの灰色に変じている。
以前は対峙するだけでも怖いと感じていたはずだ。
前帝カールに心酔する男の思考はひどく歪み、心の影響は顕著に瞳に表れていたはずなのだが、この人は恐ろしいと思わない。それどころかとても真っ当な――。
「あ」
だめだ。
あるはずのない鉄錆の臭いが鼻腔を襲った。乗り越えたつもりでも、数年程度であの時の刺激は去ってくれないらしく、内からせり上がってくる胃液を止められない。
「落ち着いて、いますぐ水を持ってきましょう」
「ごめ、む……近寄ら……!」
時すでに遅し。
その人の顔を見た途端吐いてしまったのだが、その後、エルネスタにより衝撃の紹介をされた。
「オルレンドル帝国皇帝直属近衛騎士隊長のヴァルター・クルト・リューベック。こんなのでも一応皇帝の側近だから、粗相しないよう気をつけなさい」
そろそろ理解が追いつかなくて本格的に熱を出しそうだった。
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