あなたと共に三生を契ろう

明星菜乃

第1話  明容殺人事件



 何度も玄関のチャイムを鳴らす音がする。

 范睿はその音で目覚めたが、ベッドの上から一向に動こうとしない。時刻は十一時だった。


「范睿!あんた、いい加減起きなさい!いつまで私を待たせるの?!」


 玄関の前に立ち、大きな声を上げる女性はチャイムを鳴らすのを止め、次はひたすら乱暴にドアを叩き始める。

 范睿はあまりのうるささに無視することが出来なくなり、気だるい体を引きずってやっとのことで玄関にたどり着く。目をこすりながらゆっくりドアを開けた。


「やっと出たわね!」


 女性特有の高いキーンとした声に范睿は一歩後ろへ下がる。


「……李静、朝っぱらからそんな声出すなよ」

「朝っぱらって……あんた時計読める?もう十一時。昼なの!」

「俺にとっては朝だから」


 李静は手を頭に当てため息を付き、首を横に振る。部屋の主に聞くこともせず、ズカズカと中に入った。


「相変わらず汚い。掃除してるの?」

「まぁ、ある程度はな」


 李静は改めて部屋を眺める。

 床には一口分だけ残された沢山のペットボトル、机の上には酒の缶や惣菜の容器が散乱しており、なかなか酷い様子だ。


「……これのどこがある程度掃除してるの?」

「どこでもいいから座って待っててくれ。今、お茶を出す」


 范睿は李静の呟きを無視して、キッチンへ向かう。

 食器棚や乾燥機の中を覗き込むが、全てのコップをシンクに放置しているため一つもない。しかたなく、引き出しの中から紙コップを取り出し、そこにお茶を注いだ。

 紙コップを両手に持ち、椅子に座っている李静の元へ持っていく。


「ありがとう」

「どういたしましてー」


 范睿はわざと煽るような言い方で答える。

 李静は目を見開いて睨んだあと、かばんから茶色い封筒を取り出した。


「これ、あんたの事務所に依頼よ。警察の中でも私と上層部の人しか知らないから、くれぐれも秘密を守るように」

「やっとか!やっと本業が出来る。なんでも屋は疲れるんだよな〜」

「疲れるって、あんたなんにもしてないじゃない!部下にばっかりやらせて」

「勘違いすんなよ。俺は今日“たまたま”寝てただけで普段はリーダーシップを発揮して、事務所を率いてるんだからな」


 范睿はベッドに寝転んで封筒の封を開け、中の書類を取り出す。見出しには明容殺人事件と大きく書かれていた。


「一週間前、明容通りで殺人事件があったの」

「被害者は?」

「王梅鈴。七十五歳、女性よ」


 調査書類のどこにも写真が添付されていないことに気づいた范睿は封筒を下に向けて振る。すると、二枚の写真がベッドの上に落ち、一枚は王梅鈴、もう一枚は若い男が写っていた。その男のあまりの綺麗さに「おおっ」と声が漏れる。


「こいつは被害者の孫か?なかなか綺麗な顔してるな」

「違うわ」

「は?」

「その男はこの事件の容疑者よ」


 范睿は気味悪そうに見てくる李静をちらっと見た後、書類を読み込む。

 写真の男は徐懍という名前で二十歳の大学生だった。


「本当に殺したのか?この大学生は王梅鈴と一体、どんな関係がある?」

「何も無いわ。二人は事件が起きた時、初対面だった」

「なら……代行は?殺人代行。誰かに頼まれたとか」


 李静は首を横に振る。


「分からない。動機も徐懍がどうやって王梅鈴を殺したのかも、彼が本当に犯人なのかも証拠が何も無いからなんとも言えない」

「それなら、どうして容疑者になってるんだ?」


 范睿は勢いよくベッドから飛び起き、再び書類をめくる。

 王梅鈴の死因は簡潔に“凍死”、ただそれだけが書かれていた。


「明容通りは国内の中でも暖かい地域なのに凍死って……今は6月だぞ」

「ええ。そこがおかしなところよ。警察は監視カメラの映像を確認しようとしたんだけど、事件の起きた時だけ記録が無かったの」


 范睿は枕の下から小さなメモ帳とボールペンを取り出す。李静が今から喋ることを何一つ聞き漏らさないよう、意識を集中させた。


「徐懍は事件が起きた次の日、警察署に出頭してきたの。もちろんすぐに取り調べをしたわ。でも、彼は何も話さない。ただひたすら“俺が殺した”って繰り返すだけ」

「誰が取り調べしたんだ?」


 李静は聞かれたくなかったことを聞かれたかのように黙り込む。そして、小さな声で「私」と答えた。

 その瞬間、范睿は大声で笑い出す。しかし、李静の鬼のような恐ろしい顔を見てすぐに笑いはひっこんだ。


「何?!文句あるならはっきり言いなさいよ」

「いや、お前のことだから、形式ばった尋問みたいな取り調べしたんだろ?ほんと“李先輩”は苦手だな〜」

「……悔しいけどあんたには負けるわ!!」


 范睿はニヤリと笑う。

 実のところ、彼は警察署内でも凄腕と言われるほどの実力者で、特に取り調べにおいては定評があった。容疑者は巧みな会話力に心を開き、魔法にかかったかのように喋りだしてしまうのだ。


「次はいつ取り調べ出来る?」

「今日よ。あんたのことだからそう言うと思って、手配しておいたわ」

「さっすが!俺のこと分かってるな!!」


 范睿は立ち上がり、クローゼットの奥深くから鼻歌交じりにスーツを探し始める。

 

「署に行くんだからそのみっともないプリン頭、染めなさいよ」

「何でだよ」

「鏡見てみなさい。酷いわよ」


 范睿は唇を尖らせながら枕元にある手鏡で自分の顔を映す。確かに普段染めている金髪は頭の上が大分黒くなっているし、あごにはひげが生えていてだらしなく見える。


「ただでさえ、金髪とあんたのチャラい顔で信用度下がるのに、そんな格好してたらどっかの詐欺師みたい」

「どう頑張っても、そんなことする人には見えないだろ!」

「私は一般的な意見を言っただけ」


 イラッとした范睿はスマートフォンを手に取り、適当な美容院を予約する。すぐに行けるところならどこでも良かった。

 李静に予約完了の画面を見せる。


「俺、髪切るから四時くらいに行くわ」

「分かった。署前に四時、集合。絶対、遅刻しないで」

「オーケーオーケー」


 李静は肩にかばんをかけ、玄関に向かう。その途中、真剣な顔をして振り返った。


「事件、頼むわよ」

「任せろ」


 親指を立て、范睿はウインクまでする。彼女は酷く呆れた表情をしていたが、少しだけ笑っていた。


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