第8話 マングローブの夢

穂乃香と那美は、一週間ほど滞在して、東京に戻った。大海は二人を空港に送って行くと、「今度は引っ越しだな。それまで体に気を付けてな。」と笑顔で見送った。


アパートに戻った大海は家族や大輔らと泊まったリゾートホテルでの大輔との会話を思い返してみた。


あの夜、大海はシャワーを浴びたらどうだと大輔に促したが、彼は南美にマングローブの種類と生態を教えてあげたいので先に入ってくれと言って、スマホの写真と資料を整理していた。


大海は、そう言われて、仕方なく先にシャワーを浴びることにした。


大海がシャワーを浴びていると、仄かにかぐわしく爽やかな香りがしたかと思うと、遠くで波の音が聞こえたような気がして、普天満宮の奥宮で経験したような不思議な感覚が蘇った。しかし、その時は一日中動き回って疲れたせいだろうとあまり気にも留めなかった。


大輔がシャワーを浴びて出てくるのを待って、大海は缶ビールでも一緒に飲もうと誘った。そして、以前に話していたマングローブを本土へ植林する件について相談してみた。

大輔は、寒さに強いメヒルギ(※)なら九州南部の群生地や伊豆半島南端の植林による定着の事例が報告されているようなので、宮崎や四国南端辺りまでは可能かも知れないとアドバイスしてくれた。


(※)沖縄から奄美にかけて自生する代表的なマングローブ種には、メヒルギの他にオヒルギ、ヤエヤマヒルギという種類がある。この中でもメヒルギが最も寒さに強く、薩摩半島の南さつま市や鹿児島市喜入生見町辺りに最北端の群生地があることが確認されている。また、静岡県賀茂郡南伊豆町の青野川にも植林により定着した例も報告されている。オヒルギの名は種子の形が大きいことにより、メヒルギは種子が小さいことに由来する。オヒルギは内陸部に育ち、この三種の中で最も背が高く、他の花が白いのに比して、赤く目立つ花が晩春から夏にかけて咲く。


しかし、大海にはもっと大きな夢があった。


「昔、大宜津比賣神は、琉球の五穀を本土に根付かせてくれたんだ。今度は、僕たちが琉球のマングローブを本土に根付かせてみないか?」


「大海の気持ちはわかるけど、さっき言ったとおり、冬場の気温が下がり過ぎる所には無理だと思うんだ。」


「でも、近年は温暖化の影響もあって日本海側や東北以北は別として冬場も温かくなってきているだろう。それに、もっと寒さに強いメヒルギの品種を君の研究室で開発できないだろうか?」


「そうか、マングローブの品種改良をするってことか。沖縄の大学らしい面白いアイデアだね。君の言う通り、マングローブの森林が本土に広がっていたら、奈美恵だってあんなことにはならなかったかも知れない。そうか、どうして僕は今まで気づかなかったんだろう。早速、持ち帰って検討してみるよ。」


「ありがとう。日本列島の太平洋岸で発生が予測されている津波被害を少しでも軽減できるとすれば、本土でのマングローブ植林活動も意義があると思っているんだ。そうすれば日本と同様に地震が多くて高緯度のチリやニュージーランドなどの国々にも移植できるかも知れない。それに何より地球温暖化防止の救世主となるんだよ。よろしく頼む。」


二人はそんな話をした後、間もなく床に就いたのだった。



それからしばらくして、良い天気に恵まれたので、大海はもう一度ヒルギ林をつぶさに観察しようと思った。それに、本島北部のやんばる(山原)地域に生息するというヤンバルクイナも観たかったので、東村(ひがしそん)の東村ふれあいヒルギ公園と、北部の国頭村(くにがみそん)にある安田(あだ)くいなふれあい公園を巡るドライブに出かけた。


東村の慶佐次(げさじ)川の河口から湾一帯には、10haにも及ぶオヒルギ、メヒルギ、ヤエヤマヒルギの混生する森林が広がっている。そして、この森の中を歩いて散策できるように木製の遊歩道が整備されている。

大海は往復600mほどの遊歩道を各ヒルギ種の生育状況やそこに生息する生物などを観察しながら歩いた。


そして、安田くいなふれあい公園には、天然記念物のやんばる固有種であるヤンバルクイナが飼育されている。クイナの森と呼ばれる飼育施設には、黒っぽい体に赤い嘴と足のコントラストがお洒落なヤンバルクイナが、ここでは人に慣れていて愛嬌を振りまいてくれるのである。

ヤンバルクイナは森の中をキョキョキョと鳴いてヒョコヒョコと歩く愛らしい鳥であるが、羽が短くほとんど飛べないので、沖縄に生息するハブの天敵として放されたマングースの餌食となって一時は激減したらしい。今ではマングースの捕獲作戦により多少戻っては来たらしいが、まだ個体数が少ないのが現状のようだ。

大海は、ふれあい公園で飼育されている鳥を見学させてもらったものの、自然の中でもこの鳥と出会えるかも知れないという微かな望みを抱いて、沢を伝って少し山歩きをしてみることにした。


大海は清流を浴びて苔むした岩肌を滑らないように一歩一歩足元を確かめながら、沢を上流へ上流へと昇って行った。しばらく進むと、辺りには靄が立ち込めて、目を凝らして岸辺を眺めると、木漏れ日に照らされ深緑の艶やかな葉の上に柔らかな白い花が咲き乱れ、仄かにかぐわしく爽やかな柑橘系の香りがしたかと思うと、淡い羽衣を纏った乙女が・・・。よく見ると乙女の顔はどこかで見たことがあるようにも思えた。しかし、それはいつの間にか幻のように消え去ってしまった。



野生のヤンバルクイナには出会えなかったが、幾度となく例の幻を体験し、大海は何か自分へのメッセージではないだろうかと思うようになった。そして、さっきの乙女が自分の講義に出席していた橘八羽重に似ていたことを改めて悟った。大海は気を取り直して再び駐車場に停めておいた車に戻り、帰途に就いた。



しかし、その後の講義で橘の姿を見ることは無かった。

大海は、マングローブのゆりかごに抱かれながら、乙女の発するかぐわしく爽やかな香りのメッセージに触発されて、さらに琉球の古代史を紐解く日々を送っていた。


以前に大宜津比賣神をキーワードに沖縄と徳島のつながりが見えて来たこともあり、今度は古宇利島に伝わる旧約聖書創世記のアダムとイブに似た伝承が鍵になるような気がして、ネットで『旧約聖書』と『徳島』というワードでAND検索を行ってみた。すると、『イスラエル大使も注目! 徳島・剣山に「ソロモンの秘宝」・・・』という記事がヒットした。さっそく内容を確認してみると、徳島県の剣山に古代イスラエルのソロモン王の秘宝が眠っているという言い伝えがあるらしい。これが本当なら古代イスラエル人が沖縄や徳島にやって来たということになる。

このいわゆる都市伝説の類と思える話の拠り所として、日本人とユダヤ人(イスラエル人)は共通の祖先をもつという「日ユ同祖論」というのがあって、イスラエル政府も注目しているようだ。大海は、以前に光一から日本のルーツは中国の周王朝の諸侯国だった『斉』で、そこから朝鮮半島を経由して来たらしいと聞いたことがある。そして、その時も海神が関与していたということだった。

大宜津比賣神が大国主命の娘で、大国主命が月読命とすれば大宜津比賣神は『大月姫』ではないだろうか?

すると、中央アジアにはソグド国以外になんと、『月氏国』、『大月氏国』などがあったのだ。月氏は『夏至』と読むと、『西夏国』や『大夏国』も見つかった。

さらに、中国最古の伝説の王朝は『夏』で、その遺跡とされる場所からは五穀の遺物も見つかっているのである。そして、これらは古代イスラエルと同様遊牧民族国家のようだ。



「おもろさうし(おもろ草紙)」は、沖縄最古の歌謡集で、発生起源は五~六世紀くらいまで遡るらしい。「オモロ」または「ウムイ」とは琉球方言圏の中の沖縄、奄美諸島に伝わる古い歌謡のことで、この おもろ草紙では、十二世紀頃から十七世紀初頭にわたって謡われた島々村々のウムイを採緑し、全二十二巻の歌謡集としてまとめられている。

一般的に、おもろ草紙は「沖縄の万薬集」であると言われているが、「万葉集」は純粋な歌集であるのに対して、おもろ草紙は琉球王朝や地方の伝承などを歌に込めた歌謡集である点で赴きを異にする。

蛇足であるが、首里城の近くにこの『おもろ』に由来すると思われる『おもろまち』という地名がある。粟の道が関西の方言に影響を与えたかどうかは不明であるが、これは本当に『おもろい』つながりなのである。


歌の中には、「ニルヤ・カナヤ(ニライ・カナイ)」という天国に近い意味を持つ言葉が含まれているが、補注に「ニルヤ・カナヤ=儀来・河内」とされており、前述の琉球国由来記にもある通り、儀来=ギライ=ニライとなるから、これは本土からの教宣儀式や交易などのために訪れていた神を意味しているとすると、その出港元は地理的条件から鹿児島や宮崎辺りと想定され、河内=カナイ=川内とすると、鹿児島県の薩摩川内市辺りから訪れていたのではないかと推定される。

以前に、光一が邪馬台国の場所を特定する上で、弥生時代の薩摩川内市は投馬国に比定しており、魏志倭人伝によるとその官の名は『弥弥(みみ)』とされ、弥弥についても後の倭建命に比定していた。つまり、倭国が南九州に進出した時代から既に沖縄・奄美地方へも進出し、海神の拠点としていたことが窺われる。



そんな古代史を紐解く日々が続いていたある秋の日、穂乃香と那美が、東京の家を引き払って沖縄に引っ越してきた。大海が、空港に迎えに行くと、二人は少し疲れ気味の様子である。


「メンソーレ、ウチナー。やあ、お前たちも遂に沖縄人だな。どうしたの?なんか元気無さそうだけど。」


「昨日までの荷造りや家の片づけなんかで疲れてるのよ。お父さん手伝ってくれないんだから。」


「そうか、ゴメンゴメン。じゃあ、こっちじゃしばらくゆっくりするさ。」


「そうね。サービス頼むわよ。」


そんな会話をしながら、宜野湾市のアパートに二人を連れて帰った。


それからしばらくして、那美は新しい学校に通い始めた。最初は、少し言葉の壁があったようだが、次第に打ち解けて友達もできた。穂乃香も学校の父兄関係や近所で知り合いも増えて島の暮らしに馴染んでいった。


大輔は南美と籍を入れて、一緒に暮らし始めた。そして、大海たちとも家族同士での付き合いをする仲となっていた。



それから、一年が過ぎた春の日に、大輔から、第一子の女児誕生と、ヒルギの品種改良に関する情報がもたらされた。いずれも結果は上々とのことであった。新種のメヒルギは、耐寒性が従来品種より格段に高く、氷点下10℃くらいまで耐えられ、繁殖力と成長速度も強化されており、『ヤマトヒルギ1号』と名付けられた。大海は導かれるようにヤマトヒルギ1号の試験植林を計画して行った。まずは、鹿児島のメヒルギ自生地域と同緯度付近の宮崎県日南市辺りで試験栽培を行ってみることにした。宮崎県に趣旨と植林概要を説明し認可を得ると必要な苗木を調達した。



大海と大輔は、宮崎行きの飛行機に搭乗していた。


宮崎県日南市の広渡川河口一帯に従来品種と共に試験的に植林を行い、成長度合いを比較観察するためである。日南市は五月晴れの好天に恵まれ、募ったボランティアメンバーと共に二人は植林作業に汗を流した。


ヤマトヒルギ1号林は根を張り枝を伸ばして順調に生育し、翌年には白い花を咲かせた。


大海たちはこの苗を四国、近畿、東海、関東、東北へとボランティアネットワークを通じて着実に根付かせて行った。


まるで、ヤマトタケルの東征の旅で成した大いなる和のように。


そして、大和の未来には、タチバナの清く白い花、ヤマトヒルギ1号の逞しく白い花が咲き誇り、仄かにかぐわしく爽やかな香りを漂わせていることだろう。

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アマミキヨの詩 育岳 未知人 @yamataimichi

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