その男、ヒモにつき(1)

 ×××


 

 藤堂とうどう明楽あきらはヒモである。

 自称しているわけではないが、二十五歳となった現在、生活の一切を女に任せて生きているので、世間一般ではヒモと呼ばれる存在だろう。

 彼は生まれながらに顔が良かった。黒目がちな丸い瞳、白い肌、柔らかい髪。幼い頃はよく美少女と間違われた。

 端的に言えば、女顔だったのだ。

 さらに彼にはふたりの姉がいた。弟というのは姉に虐げられる生き物である。

 着せ替え人形にされた回数は数知れず。家の中ではよくパシリにされたし、買い物にもしょっちゅう付き合わされた。

 しかし、ひとりでの買い出しなど、外にパシられることはほとんどなかった。その理由は高校生になる頃にようやく理解した。

 傍若無人なばかりだと思っていたが、姉たちは姉たちなりに、弟を守っていたのだろう。

 幼い頃は、馬鹿にされるだけの女顔も、うるさい姉の存在も、嫌なことでしかなかった。

 しかし成長すると、それらは明楽の武器となった。


 明楽が初めてそれを実感したのは、中学生の時。

 隣の席の女子が、いやに顔色が悪かった。

 寝不足なのか、貧血なのか。

 横目で見ると、時折腹をさすっていた。下痢でもしてんのかな、と思ったが、「トイレ行ったら?」とは言えない。授業中だし。むしろ授業中の「先生トイレ」が嫌で我慢をしているのかもしれない。

 チャイムが鳴っても席を立つ気配がなかったので、立てないほどにひどいのだろうか、と声をかけた。


「保健委員呼ぶ?」

「ううん……保健室は、もう行ったから」


 もう行った。明楽は目を瞬かせた。

 教室に戻ってきているということは、保健室で休んだり、早退するほどではないということだ。学校の保健室では、薬は渡せない。薬を飲まなくてもこのまま授業を受けて問題ないと判断された。

 ふと思い当たる要因はあったが、それを口に出して確認することはできない。明楽は鞄から、非常食として携帯している一口サイズのチョコレートを取り出した。

 本来は菓子の持ち込みは禁止なのだが、こっそりこれを口の中に含ませておいてゆっくり溶かすと案外バレない。匂いはそこそこするので、席の間を歩いて見回りをしないタイプの先生の時か、部活前に外で食べるなど、状況は限られるが。

 

「良かったら食う?」


 隣の机にチョコレートを転がした明楽に、彼女は目を丸くした。


「今いらなきゃ別に、体調治ってから食えよ」

「……ありがと」


 礼を告げて、彼女はチョコレートのフィルムを剥がした。

 腹を下しているなら、今チョコレートを食べることはない。明楽は自分の予想が当たっていたことに、内心ほっとした。

 上の姉は、生理の時にはやたらと甘いものを食べる。特にチョコレート。チョコレートは貧血にもきくのだと言っていた。甘いものを食べたい言い訳だと思っていたが、後に本当だと知った時には驚いた。

 逆に下の姉には、チョコレートは厳禁だ。生理中は特に腹を下しやすくなるらしく、チョコレートやコーヒーなど刺激物を口にすると一発で下痢をする。蜂蜜入りのホットミルクやホットココアなどをよく飲んでいる。

 チョコレートが有効であるかどうかは人によるが、甘いものであるところは共通している。

 明楽は生理中の女が甘いものを欲することを経験として知っていた。特別に隣の席の女子を意識していたわけでもなく、姉たちによって教育された当然の気遣いだった。

 しかしこれが、女子からするとレアケースであるということを、学生生活の中で知っていくのである。


 翌日になると、何人かの女子が明楽の方を気にしている風だった。嫌な視線ではなかったが、居心地の悪さを感じていた。

 女子の間で、あったことは筒抜けである。ひとりに対して働きかけると、まずその女子が属するグループには共有されている。良いことも、悪いことも。

 この時。明楽は既に、女子の間で優良物件として目をつけられていた。

 そのことに焦った隣の席の女子は、早々に明楽に告白をした。顔が良いせいで幼少期から告白には慣れていた明楽だったが、その時はフリーだったので告白を受け入れた。

 中学生にして彼女持ちである明楽は、女顔の弱そうな奴から一転、男子の間でカースト上位の存在となった。

 そして男子同士で女子についての談義を重ねる内に気づく。女きょうだいがいる男子といない男子では、明らかに女子に対する解像度が違った。

 女きょうだいがいる男子は、女が女であるというだけで、人間であることを知っている。そして特に姉とはどこの家庭でも割と理不尽な存在であるということも知った。

 しかし女きょうだいがいない男子にとって、女は人間というより、幻想だけで作られた妖精のような存在だった。お前たちにも母親はいるだろうに、と明楽は思ったが、母親は母親という生き物であって、自分たちとは別種の何かなのだ。

 それを言ったら、明楽にとっても姉は姉であって、女というカテゴライズをしていないのだが。親よりは近しい存在であることは確かだった。

 とにかく、女の扱いという一点において、そこには各段の差があった。顔の良さも手伝って、明楽は中学の間、彼女が途切れることはなかった。


 高校生になっても、その快進撃は続いた。

 高校生にもなると、男子は背が伸びて、筋肉質になり、男らしい男がモテるようになってくる。

 スポーツが得意な男子などがカースト上位の代表だ。

 特に女子高生は承認欲求が一番肥大する時期であり、他者へのマウント、ステータスを重要視する。

 年上の男を好むようになり、大人っぽい包容力のある男、何でも奢ってくれる社会人に魅力を感じるようになる。

 こうなると、いくら顔が可愛い明楽でも不利だった。弟のような存在として位置づけられてしまうからだ。

 

 しかし明楽は賢かった。勉強はそれほどできるわけではないが、社会での立ち回りというものを理解していた。姉の存在、そして付き合った過去の女たちから、自分の特性の活かし方を既に知っていた。

 

 男らしくありたい、などと見栄を張るのは馬鹿のすることだ。

 男らしくあろうとすればするほど、男は与える側にならなければならない。

 奢ってやる。助けてやる。守ってやる。男らしい男に期待される行動は奉仕であり、弱ったところを見せれば落胆される。

 対して、可愛い存在というのは、基本的に与えられる側だ。

 世話をされて、助けられて、守られて。笑顔ひとつで、庇護欲を掻き立て母性本能を刺激する。それだけで、勝手に向こうがやってくれる。

 この方法は年上にこそよく効くので、明楽のターゲットは先輩や女子大生だった。

 三年の先輩は勉強の面倒をよく見てくれたし、試験に出やすい問題なども毎回教えてくれた。部活の先輩も明楽にいいようによく都合をつけてくれた。

 女子大生の彼女はデートに行けば必ず全額出してくれたし、ひとり暮らしの彼女は親に気を遣うこともなく家に上がり込めた。

 彼女たちは、明楽が可愛く甘えて見せれば、だいたいのことは許してくれた。

 高校生にして、明楽は人生とはちょろいものだと思っていた。

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