case1.4 日常の中の特異点
目覚ましが鳴る。もう朝かとあくびを一つしながら事務所のソファーから身体を起こす。ブラインドの向こうから太陽光が差し込んでいる。良い天気だ。
「助手、起きたかい。コーヒーを淹れたから飲むと良い」
探偵もついさっき起きたようで、肩まで伸ばした黒髪はいつものハーフアップではなく、下ろしたままになっている。
強化ガラス製の机の上に置かれたコーヒーからは良い香りがしている。探偵の淹れたコーヒーは美味いのだ。何でも一時期コーヒーチェーン店で働いていたとか何とか。
閑話休題。置かれたコーヒーを飲む。うむ、美味い。ありがとう、あなたはそう探偵に言う。
「どうも。これから忙しくなるからね。くつろげる内にくつろいでおくと良い」
それもそう。今日はアガーテ氏に話を聞きに行くのだ。おそらく、面倒事に巻き込まれる。ゆっくり過ごせるのも今のうちだ。
「アガーテさんの居場所は分からない。長丁場になると思うけど、助手も着いてくるかい? 」
もちろん。とあなたはそう告げる。あなたも覚悟を決めたのだ。どんなことになろうとも、探偵について行くと。
「よし! じゃあそのコーヒーを飲み終わったら早速出発しようか」
了解した。あなたはそう言う。仕事の始まりである。
◆◆◆◆
「さて、アガーテさんを探すとしますか」
時刻は午前7時。探偵はいつも羽織っている黒のロングコートにモノクル、茶色のブーツ、そしてロングコートの下に小物が入った腰ポーチ。あなたもあなたでいつも通りの白いシャツに黒いズボン、そして大きめのリュックサックと学生の服装のような格好である。身長や相貌もあり、完全に学生のようだが、実際年齢は17で学生と言われてもあながち間違ってはいない。
夏の暑い日差しに照らされながらレンガの街を歩く。目指すは記録機関立ギルド、あなたが先日訪れた場所である。まずはアグネス氏に話を聞くためだ。無論、そこでアガーテ氏に出会えるのが理想ではあるのだが、人生そう上手くはいかないものだ。おそらく遭遇することはないだろう。
歩くこと数十分、記録機関立ギルドへとたどり着く。
あらかじめ《メール》でアグネス氏に用事があることを伝えていたのですでにアグネス氏はカウンターから出てきていた。《メール》や《テレフォン》は登録してある人物に対して連絡するのに使えるのだが、こうなるならアガーテ氏も登録しておくべきだったな、とあなたは後悔した。
「やあ、アグネスさん」
「どーもどーも、探偵さん。助手さんも。昨日は私の管轄のアガーテちゃんがお世話になったね」
手を振りながらこちらに応じるアグネス氏。あなたは先日世話になったが探偵がアグネス氏と会うのは久方ぶりである。雑談大好きな彼女からしたら色々話したいこともあるだろうが、早速本題に移ることにする。
「大したことはしてないさ。それはさておき、本題に移ろうか。アガーテさんの居場所に心当たりはあるかい? 」
「……それを知って、どうするつもりだい? 」
「確かめなくちゃならないことが出来た。だから、分かるなら教えて欲しい」
真剣な眼差しで語りかける探偵。あなたからもお願いする。どうか教えてくれないかと。
「はぁ……しょうがないな。地図を出そう。カウンターの前でちょっと待っていてくれたまえ」
そう言いカウンターの向こうへと行ったアグネス氏。一先ず第一関門は突破、と言ったところだろうか。探偵とあなたはアグネス氏に言われた通りにカウンターの前へと移動する。
しばらくして、タブレット型端末を持ってきたアグネス氏。それをカウンターに置き、話し始める。
「私たちが今いるのがここ、魔術都市第一区画。そしてアガーテちゃんがいるのはここ。放棄された第一廃墟都市の端の端。第七区画十二番地のここのビルの一階。そこが今の仮の家らしい。直線距離にして10キロぐらいだね。」
「第一廃墟都市……? 彼女は魔獣が闊歩している様なところに住んでいるのかい? 」
「そう。なんでも『身を守るために必要』なんだとか。よく分からないけどね」
「……なるほどね。ありがとう、アグネスさん。おかげで手掛かりが掴めそうだ。そうと決まれば早く行かなくちゃ。行くよ、助手」
はーい、と間延びした返事を返すあなた。仕事はまだ、始まったばかりである。
◆◆◆◆
電車を乗り継ぎ、そこから徒歩で第一廃墟都市を目指す。幸い、境界線──魔術都市と廃墟都市の境目は、薄いバリアのようなものが張られていて、魔力を持つ人間ならば簡単に通れるようになっている──までは最寄り駅から一時間ほどで到着した。そこから第七区画十二番地へと移動する。道中、何度か魔獣との遭遇戦が起きたが、探偵の固有魔術、《弾罪執行》で魔獣を消滅させることにより事なきを得ている。探偵はあなたよりも遥かに魔力量が多いので魔力切れの心配もない。
そのまま一時間ほど歩き、ついに第七区画十二番地の廃ビルへとたどり着いた。
「……ここだね。アガーテさんは居るかな」
分からない。だが進んでみないことには分からないだろう。いつも通りあなたが前衛、探偵が後衛と役割を割り振って探索を開始する。
旧時代的な錆びた鉄製のドアを開ける。軋んだ音が鳴り、視界が広がる。暗く、目を凝らさないと数メートル先すら見えない。あなたは《
「《コール・ブレイズ・キャノン・インジェクション》ッ! 」
突如、飛来する火炎魔術。あなたは《プリセット》で《コール・フォトン・シールド・クインテット・オーバーロード・スタートアップ》を起動し、前面に巨大な盾を展開することでそれを防ぐ。
あなたは叫び、侵入者が自分と探偵であることを伝えた。
「……探偵さんに、助手さん? どうしてここに……」
「やあ、アガーテさん。昨日ぶりだね。ちょっと聞きたいことがあってね、訪ねさせてもらったよ。ところで、どうやってそっちに行けば良いのかな? トラップがたくさん仕掛けられててどう行こうものかと」
「あー……えーと、そしたら、扉の向こうで待っていてもらっても良いですか? 私がそっちに向かいますので」
「分かった。ありがとう」
あなたと探偵は引き返し、錆びた鉄製のドアの向こう側へと移動する。大量に仕掛けられていたトラップ。おそらく爆発系だろう。踏めば下半身を持っていかれていた。最初に《ライト》で照らしておいて良かった、とあなたは一人考える。それにしてもまさかいきなり攻撃が飛んで来るとは思っておらず《プリセット》を使ってしまった。《プリセット》はどんな魔術でも一節で起動できる短縮魔術で、あらかじめ《
ちなみに固有魔術と言うのは一部の家系に伝わる魔術で、探偵の《弾罪執行》を始め、基本的に強力無比な魔術である。なんでもソロモン王との契約を結んだ際に同席した一部の人間がソロモン王から直々に授かったいくつかの魔術が原型なのだとか。その理屈で行くとソロモン王は全ての固有魔術を修めている事になる。恐ろしい話である。万が一にでも敵対したくはない。
なんて考えている間に、アガーテ氏がドアから出てきた。
「お待たせしました。……それで、話って言うのは」
「そうだね……君、何かしらの組織に追われてるんじゃないのかい? 」
探偵がそう尋ねる。すると、途端に表情が曇るアガーテ氏。これは、ほぼ間違いなくそうなのであろう。
「……どうして、それを」
「原核とアガーテさんについて調べている内に一悶着あってね。そこでアガーテさんが狙われてるんじゃないのか、って考えついた訳なのさ。で、どうだい? 合ってるのかい? 」
「……はい、合ってます。私の命は、あの人たちに狙われています」
ビンゴだ。探偵とあなたは目を合わせる。しかし、あの人たちとは一体誰なのだろうか。あなたはそれを尋ねる。
「誰なのか……ですか? ごめんなさい、そこまでは分かってなくて。でも、一つだけ手掛かりがあります。あの人たちは自分達の事を『マルコシアスの羽』と名乗っていました」
マルコシアスの羽。あなたは聞いたことがない。探偵はどうだろうかと探偵の方を見ると、険しい顔をしていた。
「……マルコシアスの羽、聞いたことがある」
「本当ですか!? 教えて下さい。あの人たちが一体、何なのか」
「いいとも。彼らは魔獣信仰を主にするカルト宗教の一つだ。カルトと言っても反社会的集団って意味だけどね。彼らの厄介な点は魔獣を信仰している、ってところに凝縮されている。これは噂程度の情報なんだけど、魔獣を探知するレーダーみたいなのを独自に開発してそれをもとに魔獣を捜索、そして探し出した魔獣を魔術都市へと連れ込みテロ活動を行う。文字通り危険な団体だ。それがなんでアガーテさんを狙っているのか分からないけど……」
「……なるほど、そう言うことでしたか」
一人合点がいったようで頷くアガーテ氏。あなたは話についていけてないが、一体どうして合点がいったのだろうか。あなたはアガーテ氏に尋ねる。
「……ええと、それにはまず私の生い立ちを説明しなくちゃいけないんですけど……私、実は──」
深く息を吸い込むアガーテ氏。なにやら深い理由があるらしい。興味深い、あなたはそう考えながら話を聞く。
「……私、魔獣なんです」
しかしそれは、そう簡単には理解できない事柄であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます