第16話 存在の最強
索敵を広げながら歩き続けても、向こう側の壁はまだまだ遠い。このコロシアムといわれるB5の半分までもうすぐだけど、一向に敵が現れない。しかし歩けば歩くほど嫌な予感だけが増える。戻った方がいいんだろうか。でも戻るなら脱出ゲートを使えばいいんだし……
「サノさん、目の前の空間が歪み始めました。気をつけて!」
アイトさんが警告すると同時に、数メートル先で光と風が渦を巻き始めた。ゲートを使って脱出した時と同じ現象だ。
僕はコンパウンドボウを掲げて矢を番える。右肘を肩より上げながら矢を引き絞り、歪んだ空間のど真ん中を狙う。
「サノさん、味方かもしれません。確認しなくて大丈夫ですか?」
「味方だったら謝る。ごめんなさい。そして死ね!」
眼の前のヤツは味方ではない、恐るべき存在だ。この鬼人ボディが全身で警鐘を鳴らしている。実体化した直後が、僕に与えられた最大のチャンス。ゆっくり相手の準備など待たない。やられる前にやる!
空間のゆらぎが消えた瞬間を狙って、僕は矢を放った。矢は実体化した物体の一番太い部分の真ん中に当たり、甲高い音を立てて突き刺さった。すぐさま二の矢を構え、さらに射る。もうこの時には輪郭がはっきりしているので、顔面ど真ん中を狙った。しかし相手はそれを察したのか、顔を捻って外された。いや、ど真ん中は外れたが、目の辺りに矢が刺さっていた。
まだ撃てる。三本目の矢を番える。どこを狙う?もう一度顔面か?いや、顔は小さいし外す可能性のほうが高い。ならば胸部のど真ん中だ――
しかし完全に実体化した相手は、体の位置を瞬間的に大きく動かした。その動作はむちゃくちゃ早く、僕の放った矢は少し掠っただけだった。
相手は蛇のような体をしていて、やはり蛇のようにウネウネと動きながらこちらに襲いかかってきた。僕は弓の構えを解き、広く開いている空間に向かって横っ飛びに躱す。そいつはそれ以上は追ってこず、一旦仕切り直しになった。
10メートルほどの距離を挟んで、お互いに睨み合う。身長2メートルの僕よりさらに1メートルは視線が高いそいつは、巨大な蛇の胴体に肩から上が人間の形をした怪物だった。頭と肩までが人間だけど、その下からは僕の胴を上回るほどの太さがある白銀色の大蛇だ。
頭部は女性に見えるけど、口にフェイススカーフのような防具をしていて、表情がわかるのは紫色に輝く目だけだ。ただ左目に矢が深く刺さっていて痛々しい。やったのは僕だけど。ちなみに最初に放った矢は胴体を斜めに貫通して刺さっていた。が、2本の矢を受けていても全然ダメージがないように見える。
肩には人の腕が生えているが、肘から先はまた蛇になっている。蛇の尻尾を切って人間の肘に貼り付けたような、なんとも蛇の怪物らしい両腕だ。本体の蛇と同じような形で腕の蛇も地面にとぐろを巻き眼が僕を睨んでいる。腕と胴体の蛇が絡まったりしないのかなと、どうでもいい事を考えてしまう。
「うそ、メデューサがなぜこんな所に……」
ああ良かった、やっぱりこいつの名称はヘビの怪物メデューサなんだ。こんな姿で名前がオットセイとかナマケモノとかだったら嫌だったので、ちょっとホッとした。
って、ちょっと待った。メデューサって遭遇したら絶対に逃げなさいってサギ女神がさんざん忠告してた敵だったはず。あの面倒くさがりがわざわざ忠告するって事は、まあそういう相手なんだろう。詐欺師が恐れるのは弁護士と警察官とメデューサだぜハハハってアイトさんに言ったら白い目で見られたっけ。
しかしだれだよB5は楽勝だって言ったやつ。絶対に許さないぞ。
「アイトさん、少し離れて。逃げてもいい。僕が相手するから、巻き込まれないようにして欲しい」
「何言ってるんですかサノさん!あれはメデューサです。一緒に逃げて下さい。危険すぎます」
「いやー、挨拶の代わりに矢を射っちゃったから、ちゃんと謝らないと。許してもらえたら僕も帰るよ」
「こんな時に冗談やめて下さい。ダメです戦っちゃ!いくらサノさんでも一人では勝てません!逃げて下さい!」
「勝つつもりはないよ。最後は逃げる。大丈夫、ちょっと試したい事があるだけだから。だからお願い。アイトさんは少し離れていて欲しい。」
「……本気なんですねサノさん。わかりました。遠くに居ます。絶対に死なないで下さい。何かあったらすぐに脱出ゲートで逃げて下さい。約束ですよ」
了解、大丈夫だよと言うと、アイトさんの気配が遠のく。さて、じゃあまずアイトさんに言った通りに謝らないと。
「こっちの会話を待っていてくれてありがとう。そして不意打ちしてごめん。この鬼人ボディがメデューサさんの事をものすごく警戒してたから、つい攻撃しちゃった」
メデューサは僕の言ったことを理解してくれたのか、首を軽くひねる。お、許してくれるのかな。
と思った瞬間、空気が燃えるようにゆらぎ、腕を広げたメデューサがこちらを睨む。だめだ、どうも怒ってらっしゃる。今度から不意打ちする時には気をつけないとな……
◇
ふぅぅぅぅ、と顔の防具に隠れているメデューサの口から息が吐かれる。両腕の蛇が床から離れて鎌首をもたげ、メデューサの体も大きくうねる。蛇の体をバネが縮むようにゆっくり引き絞って……
次の瞬間、体を伸ばしたメデューサは一気に僕に接近し、両腕の蛇も伸ばして噛み付いてきた。僕も先読みバックステップで後ろに大きく逃げたけど、メデューサの跳躍の方が圧倒的に長い。10メートルあった距離が一瞬で無くなってしまう。
カウンターを狙って長巻で腕を斬ろうとしたけど、信じられない事に刃に蛇が噛み付いて、動きを完全に止められてしまった。そのまま圧倒的な強い力で引っ張られて、僕は武器を奪われてしまった。油断は一切してなかったけど、こりゃ強い。圧倒的に強いわ。
メデューサは奪った長巻に腕の蛇を絡みつかせた。どうするのかと見守ってると、蛇がぎりぎりと絞め付け始め、あっという間に長巻の柄を砕いてしまった。そういえば大きな蛇はワニや人間を絞め殺すほどの力があるって聞いたことがあるな。パワーまで向こうが数段上か。体に巻き付かれたら確実にヤバい。
バラバラになった長巻の残骸を捨てると、再びメデューサは体を縮ませ、さっきと同じように飛び掛かってきた。僕はメデューサに見えないように両手にそれぞれ小柄を持ち、飛び掛かってくる瞬間に合わせて腕の蛇ではなく本体の顔面に投げつけた。不意を狙ったが、メデューサの両腕はすばやく姿勢を変えて僕の投げた小柄を噛み付きで止めていた。腕の蛇め、この投擲さえ止めるのか。
でも小柄だけで攻撃は終わりじゃない。僕はすぐさま右腕のブロウガンをメデューサの顔面に放つ。両腕が塞がってて防げまい。これなら当たると思ったが、メデューサは胴体をうねらせると、頭部の位置が一瞬で大きく動いて射線から外れてしまった。そうか、胴体が地面についているから、飛び掛かり中でもブレーキを掛けられるんだ。動きは直線的だから読めるけど、伸縮が早すぎて攻撃を当てるのは相当に難しそうだ。
「いや、すごいねメデューサさん。早いし強いし格好いいし。どうする?まだやる?」
返事はなかったが、その代わりに三度メデューサさんは長い胴体を縮ませた。そうですか、まだやりますか。
◇
アイトはその場を離れながら、必死に願う。
「サノさん、無理しないで。逃げて下さい」
メデューサはあまりに強く、第4世代のエーテルボディも単騎ではまったく歯が立たなかった。チームを組み、そのうちの何人かを犠牲にする戦法にてようやく撤退に追い込む事はできた。しかしメデューサの真の恐怖は、突然エリアに転移してくることだった。
予めメデューサに備えてチームを組んでいれば対応は可能だが、前触れも法則性もなく、メデューサはいろんなところから唐突に乱入してくる。他の敵と戦っている最中でさえ割り込んできて、時には敵味方の関係なく攻撃を仕掛けてくる。そのため探索は常にメデューサの登場を意識しながら、常に襲われる恐怖と隣り合わせとなった。
ただメデューサが今まで現れたフロアはすべてB7以降であった。今回、B5に乱入してきたのは初の事態であり、今後の探索には大きな修正が必要となってしまった。B2の一転したロボット防衛陣といい、このダンジョンはまだ私達を苦しめたいのだろうか……
最初に放たれた矢はメデューサの胴体と左目に当たっているのにダメージは見られない。サノさんは得意武器の長巻をすでに破壊され、小柄もブロウガンも防がれている。遠くからメデューサとサノとの戦いを見守るアイトであったが、どう見てもサノに勝機があるとは思えなかった。
無理して1対1で戦う必要もない。早く逃げて欲しい。
『一人でメデューサと戦った勇敢というか無謀な魂も居たわね』
マールが笑いながら語っていた事をアイトは思い出した。
◇
僕は小太刀を右手に構え、左手を添えて正眼に構える。三回目のメデューサの飛び込みに対し、自分の左手を右蛇に噛みつかせ、その間にもう一匹の蛇の口腔を狙って小太刀で突きを放った。犠牲にした左手は噛まれて上腕が少し折れ曲がったが、本命の小太刀は狙い通り蛇の上あごに突き刺さった。これでメデューサの両腕は封じた。間髪入れず髪の刺毛でメデューサの残る右目を狙う……が、髪の毛が届く前に、蛇の腕が暴れまわり、吹き飛ばされてしまった。
だめだ、どうしてもメデューサの腕が長すぎて本体への攻撃が一歩遅れてしまう。腕の蛇も2匹同時だと分が悪すぎる。ムカデの時と同じように、なんとか1匹ずつ相手にしないと……
起き上がりながらリペアキットを自分の左腕に使う。小太刀はメデューサの左手の蛇に刺さったままだったが、右手の蛇が器用にそれを抜き取ってしまった。胴体と左目にはコンパウンドボウの矢がいまだに刺さったままだけど、その状態でもメデューサはここまで動けるのか。こりゃ厄介だと思っていると、またメデューサは体を縮ませる。やれやれ、これで4度目か。僕は小柄を右手に構えた。
またさっきと同じメデューサの飛び込みが来る。僕は小柄をメデューサの顔面に向けて放つが、右腕の蛇に簡単に掴まれてしまう。そして左腕の蛇は口を大きく開けて僕の胴体に噛みつこうとしてきた。
僕は間近に迫る左手の蛇に右足で前蹴りを放った。蹴りは蛇に当たるどころか逆に右足ごと噛みつかれてしまう。僕の右足は膝まで完全に喰われ、さらにそのまま僕の足を咥えた蛇が首をあげ、僕は体ごと空中に持ち上がってしまった。すごい膂力だ。
空中で身動きが取れなくなった僕に向かって、先ほど小柄を防いだ右腕の蛇が、もうその小柄をすてて鎌首をもたげて近づいてくる。ふう、やっと1対1の状況になった。
右腕の蛇は僕の体に噛みつこうと迫ってくる。僕はメデューサから見えないようにこっそり左手で作っていたワイヤーの大きな輪っかを縄跳びのように前に投げて、右蛇の頭がその輪を通るようにした。右腕の蛇は僕の肩に噛みつくが、その間に僕も両腕でワイヤーを引き絞り蛇の首元を絞めつける。さらに力を込めて首元を絞めていくと、蛇の噛む力が弱まった。ここが勝負!
「うがぁ!」と両腕に限界の力を込めると、蛇の頭がぶった切れた。ワイヤーを握ってた指にもダメージがあったが、これで右腕の蛇は使えまい。蛇は顎を動かすせいか、首元だけは柔らかいのだ。飼ってたネコと蛇のバトルを見学しておいて良かった。ネコ大好き。
そのまま僕は飲まれた右足の刺毛を伸ばす。刺毛は蛇の頭部を貫通し、右足を咥えていた力が弱まる。脚を力任せに引き抜き、そのまま両足で挟んで蛇の首元を絞める。柔道の胴絞ってやつだ。弱点の首元を攻められて力が抜けたのか、空中に持ち上げられていた僕は胴絞の姿勢のまま地面に落下した。僕はあえて受け身を取らず、蛇の頭にワイヤーを巻き付けて、もう一度引き絞った。
地面の上で、両足とワイヤーの両方で絞められた左腕の蛇も、とうとう首元から切断された。蛇の噛みつきと無理な姿勢での胴絞で、僕の右足も限界が来ていたがなんとか立ち上がる。息切れしないこの体はホント便利だ。リペアキットを右足にも使いながら、ワイヤーを手繰り寄せて鎖鎌を掴む。
この攻防で両腕の蛇の頭を失ったメデューサは、それでも表情を変えず体をユラユラと揺らせており、右目もまだこちらを睨んだままだ。でも腕の蛇は力を失ったように床に横たわっている。
「もうその腕、使えないだろうから。ここで痛み分けって事で、撤退しない?」
僕がそう提案すると、メデューサは動きをピタリと止めた。ん?素直にこっちの言う事を聞いてくれるのかな?
そんな訳がなかった。
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