寂しかった、みんな

宙色紅葉(そらいろもみじ) 毎日投稿中

寂しかった、みんな

 清川が小学校高学年くらいの頃の話だ。

 帰宅すると、清川は自室においてある大量のぬいぐるみに小さく「ただいま」を言い、ランドセルを学習机に乗せた。

 そして洗面台へ向かい、手を洗うと無言でテレビをつけてカラフルな画面に意識を集中させ始めた。

 アニメやドラマの時は楽しそうにテレビを見るのだが、時間が経ってテレビ番組がニュースばかりになると極端につまらなさそうな表情になる。

 しかし、それでもずっと清川はテレビ画面を眺め続けていた。

「藍、それ、面白いですか?」

 ニュースキャスターと字幕を映す瞳が酷く寂しそうで、伝わらないと分かっているのに守護者は声をかけてしまった。

 当然、清川は何も答えない。

 どうやら清川は無音が嫌なだけのようで、内容に興味がなくともテレビが音を鳴らしてさえいれば、それで構わないらしい。

 午後のニュースをつけたまま、小学校の図書館から借りてきたオススメの本を読んで、読み終わったら今度は可愛らしい手帳に記録を付け始めた。

 読み始めた日付と読み終わった日付。

 本の題名と作者。

 それにあらすじと簡単な感想が書かれている。

 長年書き溜めている記録は少しずつ完成度が上がっていて、随分と量も増えている。

 手帳自体、五冊目だ。

 清川は手帳を読み返して満足そうに頷いた。

「藍、良かったですね。藍がたくさん本を読んできた証ですからね。大切にしましょうね」

 嬉しそうな清川を見ていると守護者からも笑みがこぼれる。

 モフモフと長い髪で清川の頭を撫でた。

 それから清川は宿題を済ませ、冷たいままのコンビニ弁当を食べ、風呂に入ると適当に暇をつぶし、頃合いを見てベッドに横になった。

 清川はずっと静かでベッドに寝転がるまでの間、テレビの音だけが室内を賑やかしていた。

 まだ九時だが、清川はもう眠ってしまうつもりらしい。

 確かに小学生は早く眠ることを推奨されているが、清川が早くに眠るのは学校の教員や母親にそのように言い聞かされているからではなかった。

 清川が早くに眠るのは、睡眠にタイムマシーンのような性質を見出しているからだ。

 この頃の清川は過去のトラウマなどを完全に忘れ去っていたが、それでも小学生の子供が独りぼっちで夜を過ごすのはなかなか苦しい事だった。

 引っ込み思案で気の弱い清川には学校に友人などいなかったし、根が真面目で怖がりなので悪い子の集団に混ざって夜遊びなどできるはずもない。

 健康優良児で良い子な清川にとって、寂しさを脱却する唯一の方法はベッドの中で丸まってひたすらに眠ることだった。

 布の塊の中でぬくぬくと温かくなっていても、独りきりの寂しさや心臓をせり上がる気味の悪い不安に襲われ、苦しめられることも少なくない。

 だが、それでも睡眠は清川の味方だった。

 というより、睡眠くらいしか救ってくれるものがなかった。

 この日の清川も毛布の中でグズグズと涙を流し、泣き疲れて眠った。

 守護者は何もしてやれない自分がふがいなくて、ずっと泣いていた清川に心を痛めていた。

 せめて、せめて彼女に優しさを与えられないだろうか。

 守護者は清川が熟睡し始めたのを確認すると、そっと毛布を捲って頬に残る涙を優しくハンカチで拭った。

 そして、宙を抱く腕に白い鳥のぬいぐるみを一つ抱かせて毛布を掛け直すと、ポンポンと頭を撫でてやる。

 少しだけ安心したように頬を緩める清川を見守ってから戸締りをしていると、清川の母、瑠璃が帰って来た。

 瑠璃はドサドサとリビングのソファーに荷物を置き、洗面台で手を洗うと真直ぐに清川の部屋を訪れた。

 そしてサラリと頭を撫でると曖昧に微笑んでリビングに戻り、缶チューハイ片手にコンビニで買ってきた総菜をつまむ。

 そうして夕食を終えるとシャワーを浴び、疲れ切った体をベッドまで引きずっていくと数分もせずに眠りについた。

 テーブルにはゴミが散らかっている。

 守護者は寂しそうに部屋を片付け、瑠璃の元へ行くとずり落ちた毛布を掛け直してやった。

 瑠璃は生来、不器用な人だった。

 感情を表に出すのが苦手な彼女は、子供に強い愛情を感じていても上手く示すことができなかったのだ。

 それでも生活に余裕があった頃は清川とも長い時間、接していられたし、彼女の無邪気な笑顔を見れば瑠璃も自然と笑顔になれた。

「お母さん、藍が大好きよ」

 優しく笑ってギュッと抱きしめ、疑う余地のない愛情をかけることができていた。

 しかし、夫が無くなって自分が必死に働くようになると、疲れてしまって家では体を休めることが優先になる。

 せめて清川にはお金で苦しい思いをさせないように。

 そう思って残業代で給料を増やし、夜遅くまで働いていると今度は清川との生活がすれ違うようになった。

 瑠璃が帰ってくる頃には清川はとっくに眠っているし、以前までは彼女のために握っていたおにぎりも、

「お母さん、私もう五年生だから、自分で朝ご飯作れるよ。大丈夫だよ」

 と、優しく笑ってくれるのに甘えて作れていない。

 行ってきますと行ってらっしゃい。

 これが、瑠璃がパッと思いつく清川との会話だった。

 会話ですらない、ただの挨拶だった。

 酷く寂しい生活だが、清川は文句も言わずに「いつもお疲れ様」と笑ってくれる。

 我慢強い清川の優しさが温かくて、けれど、だからこそ余計に寂しい思いをさせるのが辛かった。

 学校での生活や交友関係が気になるものの、ほんの少しだって聞けやしない。

 互いを思っているはずなのに、本来なら二人を温める優しさが氷を生んだ。

 そして、そんな不器用な親子を見つめ、誰よりも苦しんだのは守護者だった。

 清川の幸せは瑠璃との関係が直接的に関わっているのだから。

 誰よりも大切に扱い、最優先している存在は清川だが、気が付けば瑠璃も守護者の保護対象になっていたのだから。

 二人の幸せな姿を見たいというのが、いつの日か守護者に芽生えたささやかな願いだ。

 瑠璃の部屋から清川の部屋に帰って来た守護者が彼女の頭を何度も撫でる。

「藍、さきほど瑠璃さんがいらっしゃいましたよ。瑠璃さんは藍のことが大好きなのです。優しく頭を撫でて、微笑んでいらっしゃいましたよ。昨日は藍の名前の由来を語っていました。一昨日は藍を心配して、ほんの少しだけ涙を流していました。瑠璃さんは、藍のことを愛しているのです。大切なのですよ」

 穏やかな声で誰よりも優しく語った。

 伝わらない言葉を何度も紡ぎ続けた。

 聞こえなくても、少しでも清川の心が安らぐようにと祈りながら。


 現在、清川は守護者の存在を知り、自分を守ってくれる肉親のような存在として受け入れ、大切に思っている。

 清川が最も信頼し、頼りたいと思っているのも守護者だ。

 もちろん母親のことも大切に思っているし感謝もしているのだが、いかんせん彼女とは長い間、心理的にも物理的にも距離があったため遠慮しがちで、なんだか素直に頼るつもりになれなかったのだ。

 そんな清川の至福のひと時は家で守護者と筆談することだ。

 学校での出来事や最近読んだ本など話題は様々だが、たまに瑠璃の話をすることもある。

 守護者の口から語られる瑠璃は温かく、自分の視点から見る母親と他者の視点から見る母親は違う姿をしているのだと教えてくれる。

 母親が夜中にひっそりと頭を撫でていたと聞いた時には、

『起こしてくれても良かったのにな』

 なんて、ちょっぴり恨めしく思ったのだが。

 それでも、やっぱり清川は嬉しくて瞳を輝かせる。

 守護者の話を聞くたびに、自分は母親から愛されていたんだと実感できた、

「あのね、私、もっと、お母さんとお喋りしてみたいな。また、おにぎりを作ったら、お母さん、喜んでくれるかな?」

 キラキラと笑う清川に守護者の持つ白い鳥のぬいぐるみがコクリ、コクリと大袈裟に頷く。

『ええ、瑠璃さんも喜ぶと思います。藍が金森さんたちの話をしたあの日の夜中、瑠璃さんは凄く嬉しそうに、仏壇に手を合わせていましたから』

 残しておいたおにぎりを一つ仏壇に供え、手を合わせていた瑠璃は一言も言葉を発さなかった。

 だが、脳内では明るく変わりつつある清川と彼女を取り巻く環境の変化を夫に報告したのだろう。

 きっと、弾んだ声で天国の旦那と会話をしたはずだ。

 守護者は静かで長い瑠璃の祈りを優しく見守っていた。

 ぬいぐるみを器用に動かして文字を書き、当時の瑠璃の様子を伝えると「本当に!?」と清川が嬉しそうにはしゃぐ。

 ひょんなことから関り合えるようになった清川。

 今では身体だけでなく心も守ってやれる。

 ずっともどかしくて辛かった寂しい親子関係に軌道修正を加えてやれる。

 万が一、清川が苦しい目に遭っても抱き締めてやれる。

 清川はもう、一人ではない。

 手に入った事実が嬉しくてたまらず、守護者は誰よりも幸せそうに微笑んでいた。

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