厄災と鍵守と守り人は

イヌガミトウマ

プロローグ

 十年に一度、『鍵守』と呼ばれる神官によって厄災が鎮められる。

 もしも厄災が解き放たれれば、世界は七日間で滅びる。現に一〇〇〇年前、厄災により世界は滅び、人間の半数以上が命を落とし、人間が建造したもの、文化、文明を崩壊させた。


 次の厄災の年である三年後に、新たな『鍵守』、そして、それを守り厄災の発生する約束の地まで共に旅をする『守り人』が決まる。


【Ω≈åß∂¬ƒ˚∆∑ø¬˚ß˚ƒå∑ø……えっと……】

「痛いっ」

「ファリン!なぜ詠唱を覚えられないんだ!愚か者め」


 涙を浮かべる少女の両腕にはミミズ腫れが浮き上がっている。

 長く真っ直ぐだがそよ風にも浮き上がるような髪に、神官見習いの法衣を纏う少女ファリン・ルーンヴェイル。

 この国を司るケハイデス教団の御三家として君臨する一族の娘は、虐待さながらの修行をしている。


「ここの魔導蝋燭すべてに光を灯すまでは、修練室から出てくるな!」


 冷たい御影石の床に膝をつき蹲り泣くファリンを残して、高位神官は部屋を出る。


 時を同じくして、漁師の息子アルムは嵐に巻き込まれ、今にもその体を、命と共に海へ落とそうとしていた。


  ――ああ。

 痛い。

 雨が痛い。

 風が暴れているっ。

 

 ――父さんが齧りつくように舵に身体を寄せている。帆を降ろそうとして藻掻いている父の親友ゼルガーさんもかろうじて視界の端に映る。けれど顔を上げてはいられない。銃弾のように風雨が身体を叩き続けていた。足下も波に遊ばれるように揺られてまるでおぼつかない。すこしでも支えを失えば僕の身体は簡単に投げ出されてしまうだろう。

 荒れ狂う海へ。

 

「っ。父さん!」

 

 風で言葉が掻き消されてしまうことは分かっていた。それでも叫んでしまうのはどうしようもなく寒くて、なにより怖いからだった。

 

「アルム! しっかりつかまるんだ!」

 

 僕の言葉はきっと届いていない。それでも父さんの言葉は耳に届いた。僕はまた顔を上げる。

 ――瞬間に光が爆ぜた。

 真っ白に染まる視界……暗転する。なにも見えなくなる。悲鳴さえ上げられない。でも声だけは聞こえる。風に消されることのない、父さんの力強い叫びだけは。

 

「アル――」

 ああ。

 それを最後に身体を叩く雨の響きが消えていく。耳朶を打つ風の嘆きが溶けていく。静寂に。落ち着きに。……心地よさに。


 次に目を覚ますと砂浜だった。

 空があって波に触れる。自分が砂浜に打ち上げられていることに気がついた。体中に痛みが走り、立ち上がることもままならない。

 

「父さん……ゼルガーさん……」

 

 乾いた唇から出る細い声には、誰も答えてはくれなかった。

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