姉が異世界レストランに勤めはじめました

あじ

姉が異世界レストランに勤めはじめました

クラウ町の冬は、氷のようだ。

家々は凍ったように静かになった。

風はないが、しんしんと雪が降ってきて、白い雪で何もかもを美しく覆いかくしてしまう。


裏路地には、いつも4人の孤児が身を寄せ合って、寒さをしのいでいた。


けれども、今日は2人しかいない。


長男のタテルは、冒険者という危険な仕事をやっていて、いつ戻ってくるかわからない。月に1度もどってくるか来ないかだった。


長女のタッタは、まだ幼い妹と弟のために町で働いていた。

辛い仕事しかないみたいで、いつも暗くよどんだ表情をして戻ってくる。


この前は顔に殴られた痣(あざ)が出来て戻ってきて、ヘシオールはぎょっとした。


「心配しないで、もう働かなくていいのよ。タテル兄さんを待ちましょう」


 とタッタは無理に笑っていたけれど、末妹のミエルが急に高熱を出して寝込んでしまい、薬を買うためにまた働きに出かけてしまった。


 それから丸1日、タッタは裏路地に戻って来ない。


「大丈夫、もうすぐ姉さんが戻ってくるよ」


などと気休めの言葉をかけ続けることしか、ヘシオールにはできなかった。


まだ幼すぎて、働くこともできなければ、冒険者ギルドに登録できる年齢でもない。


「それとも、兄さんの方が先に戻ってくるかなぁ?」


ヘシオールは、熱でぐったりしているミエルを抱き抱えて、悔し涙をこぼした。


まだ父や母と過ごしていた頃の記憶のある長男のタテルは、自分もまだ子供なのに、どちらの記憶もない弟のヘシオールのために、かならず冒険者のお守りやお土産を持ち帰ってきてくれた。


面白い冒険の話をいっぱい聞かせてくれて、父親のかわりとして、精一杯この家族を支えてくれていた。


自分は何もできない。

できるのは、せいぜい迷惑をかけないでいること。

 辛さに耐えて、弱音を吐かないでいる程度だった。


「げほっ! げほっ!」


ミエルがとつぜん咳き込みはじめて、ヘシオールは慌てて体を撫でさすった。


「ほら、水を飲んで」


新雪を溶かしておいた器をミエルの口につけて、水を飲ませてあげる。


この時期は川も凍っているし、よどんだ水溜まりのような水は、飲んではいけないと姉に言われていた。


雪がなければ、命をつなぐことは難しかったと思う。

なのでヘシオールは雪が好きだった。

天使とはこのような物を言うのだろう、と思っていた。

きっと空には神様がいるのだろうと想像しながら、空を見上げていた。


「げほっ! げほっ! うぅっ!」


ミエルは、ますます苦しそうに咳き込んでいた。

体がどんどん熱くなり、煙のようなものを吹きはじめた。


病気のことをよく知らないヘシオールにも、それが普通の状態ではないことがわかった。


「ミエル、お願い。元気になって」


ヘシオールは、家族のために迷惑をかけないことしかできない。

ミエルを守ることすらできない自分に、居場所などない気がした。

もしミエルがいなくなるのなら、自分もこの裏路地から遠く離れて、天国でもどこでも行くしかないと思っていた。


自分の生命をすこしでも分け与えるように、ぎゅっと力強く抱きしめて、ヘシオールは生まれてはじめて祈った。


「お願いします……助けて……ぼくはどうなってもいいです……兄さんと、姉さんと、妹を、どうか助けてください……」


はじめての祈りによって、いわゆるビギナーズラックという物が働いた。


それまで熱にうなされていたミエルは、目や口からかっと光を放ち、空高くまで炎の柱を吹き上げた。


「ああああぁぁぁーっ!!!!」


あたりの雪が溶けて、まわりだけぬかるんだ地面がむき出しになっていた。

あまりの眩しさに、ヘシオールはいっしゅん目を背けたが、すぐに妹のことを気づかった。


「ミエル、大丈夫だよ、怖くないよ」


「あれ……? ここは、どこ……?」


「いつもの裏路地だよ」


ミエルは、すみれ色の大きな目をぱちっと開き、ヘシオールの顔を見上げた。


「いつもの……裏路地……? あれ、私、トラックにはねられて、記憶喪失のまま路上で生活してた?」


ミエルは、どうも記憶がはっきりしないみたいだった。


ヘシオールが額を触ってみると、どうやら熱がひいている。


医術のことはよくわからないけれど、さっきのすごい光といっしょに、ミエルの体の熱も放出されたのだろうと思った。


「すごいよ、ミエル、さっきの魔法みたいだったよ。ひょっとしたら治癒魔法のスキル持ってるのかな?」


「魔法……スキル……うっ、頭が……」


「大丈夫? 雪解け水、飲む?」


「いえ、煮沸しないと、あんまり衛生上よくない気がするから、遠慮します……」


「ごめん、なに言ってるかよくわからないよ。もう少し寝てた方がいいね」


そう言って、ヘシオールはミエルをワラの上に寝かしつけた。


ぽーっ、とうるんだ目でヘシオールを見つめるミエル。

なにやら、独り言をつぶやいていた。


「あ、これ知ってる……異世界転生ってやつだ。私、詰んでる」


「うん、そうだね。イセカイテンセイだね。ほら、お食べ」


ヘシオールは、とにかく妹が無事だったことでほっとして、パンをちぎってあげようとしていた。


子ネコのように小さなミエルは、少ししか食べられない。


ミエルは、パンのかけらを口に含んで、しばらくもぐもぐやっていた。


もぐもぐもぐもぐ、もぐもぐもぐもぐ、もぐもぐもぐもぐもぐもぐ


次第に悲しげに顔をしかめ、涙声になってきた。


「固い……ゴムみたい……塩からいスープにひたして食べるやつだこれ……」


「ごめんね、スープはないんだ。火を使っちゃあぶないんだよ?」


「わかるけど、火ぐらい使えないとこの世界じゃ生きていけないわよ? あなた私よりお兄ちゃんなんだから、火のおこしかたぐらい知ってるでしょ?」


「いつも姉さんがやってくれるから見てるけど……姉さんが帰ってくるまで待とう」


「いいや、大丈夫、あなたならやれる。自信をもって。私が見ててあげるから、ほら、やってみて」


などと、ヘシオールを奮い立たせるミエル。

ヘシオールは、とりあえず火口石とワラを手に持って、どうしたらいいかしばらく頭の中でイメージしていた。


姉の真似をして、かちん、かちん、と打ち合わせてみるものの、彼の腕力では火花が出る気配もない。


「あいたっ!」


そのうち指をぶつけて、痛みで涙がでてきた。


「いたた。ごめん、無理っぽい」


「うん、いまの見て私にも無理だとわかった……無理言ってごめんね、お兄ちゃん」


妹に謝られてしまった。

優しい子に育ってよかった。

今度、姉さんに火のおこしかたを教えてもらおうと思うのだった。


ミエルは、口の中でパンをもぐもぐしながら、「まだ頭の整理が追いつかない」と言った。


「私、前世の記憶があるのよ。自分の名前とか、肝心なところはよく覚えていないけど。たぶん私はあなた達より、ずっとお姉さんだったわ」


「タッタ姉さんよりも?」


「もっと上」


「タテル兄さんよりも?」


「もっともっと上」


「不思議な夢だね」


「そう、この世界では、きっと夢と同じ価値しかないわね……こんな貧弱な体の、明日まで生きられるかわからないような、ストリートチルドレンに転生したって、一体なにができるっていうの……」


ミエルは、ヘシオールがキラキラ目を輝かせているのに気づくと、ぐりん、と顔をむけて言った。


「聞きたい? 異世界のお話」


「うん」


「なにがいいかしら。三びきの子ぶたとかがいいかしら」


ヘシオールにとっては、兄の聞かせてくれる冒険の話がゆいいつの娯楽だった。


ミエルの異世界の話はとても多彩で、想像のものとは思えないほど詳細だった。

誰もが知っている童話から、国取り合戦に、科学の話、過去や未来に行ったりする話。

ヘシオールは、たぶん半分も理解できなかっただろうけど、ミエルの話にどんどんのめり込んでいった。


「ぼくもその世界に行ってみたい」


ヘシオールは、まっすぐにミエルに言った。


「私もあなたを連れていきたい」


ミエルは、残念そうに言った。

けれど、彼女にはどうしようもないのだ。


しばらくして、裏路地にふわりと甘い香りがただよってきた。

パンの入ったバケットを手に提げた黒髪の女の子が、駆け足でやってきた。


「ごめん、昨日は帰れなかった。2人ともいい子にしてた?」


ヘシオールは、いっしゅんその子が誰なのか分からなかった。

服は洗い立てで、髪はつやつやで、体からはいいにおいまで漂ってくる。

まるで同じ裏路地に住んでいるとは思えないほど綺麗になっていたが、長女のタッタだ。


「タッタ姉さん。どうしたの?」


「新しいお仕事みつけたの。お金もたくさんもらえるし、すごく美味しいごはんも食べられるわ。これ、2人で食べなさい」


タッタが持っていたバケットには、焼きたてのパンが大量に詰めこまれていた。


昨日からひときれのパンしか食べていなかったヘシオールは、すぐにでも食べたかったけれど、ぶんぶん首を横にふった。


「だめなんだ。ミエルはスープがないとパンが食べられないんだよ。タッタ姉さん、スープの作り方を教えてよ」


タッタは、ヘシオールの頭を撫でて微笑んでいた。


「大丈夫よ、ヘシオール。そのパンは柔らかいから、スープがなくても食べられるわ」


「そうなの?」


「店長のお墨付きよ」


そう言って、まるで綿のようにふわふわのパンをちぎって、ミエルの口元に持っていった。


ミエルは、もそもそ、と口を動かしてパンを食べると、すみれ色の目を大きく見開いて、驚きの声をあげた。


「すごい、ふつうのパンだ。こんなの食べたことない。お姉ちゃん、どこで貰ってきたの?」


タッタは、にっこりと微笑んで、言った。


「レストラン『ジーニーズ』よ。私、そこで働くことになったの」


口をあんぐり開けたミエルは、パンをぽとっと落とした。


「……知ってる店だし……」


どうやら、ミエルの前世とけっこう縁があるお店だったらしい。


「タッタお姉ちゃん、私、その店知ってるよ。というか、常連だったまである。ひょっとして、異世界につながっちゃったのかも。異世界レストランだ」


「大変、ミエル、お医者さんのところに行きましょう」


「本当だってば。私、異世界からこの世界に転生したのよ。前世の記憶があるの」


「よしよし、怖い夢を見たのね。お姉ちゃんに任せなさい」


ミエルは、軽々と抱きかかえられて、そのまま医者のところまで連れていかれそうになるのだった。


「いやぁ~、お医者さんやだぁ~。この世界の治療法って、溢血(いっけつ)とかおまじないとか、その辺の迷信じゃない~。そんなの受けたくない~」


いやいや、と涙ながらに首をふるミエル。

異世界から来たわりに、世の中にやけに詳しいのは不思議だった。

そんな姉弟たちの前に、ひょろりと背の高い、痩せた冒険者が現れた。


「タテル兄さん! 帰ってきたんだ!」


長男のタテルのもとに、彼らは集まってきた。

孤児たちの大黒柱とも言える彼は、彼を慕う子供たちを前に、すこし疲れたような笑みを浮かべていた。


「お帰りなさい、タテル兄さん! 今回はどんな冒険してきたの?」


「ああ……後でたくさん聞かせてやるよ……タッタ、ちょっと大事な話があるんだ」


「なに? 兄さん」


「冒険者パーティーをクビになったんだ……役立たずスキルしか持ってないからさ。だから、しばらく荷物持ちの仕事はなしだ」


軽々とミエルを抱き上げながら、タテルは言った。

タッタは、信じられない、といった風に眉をつりあげた。


「そんな、誰よりも仕事熱心だった兄さんをクビにするなんて、ありえない。なにかの間違いよ!」


「そうじゃないんだ……あのパーティーはもともと『アイテム収納ボックス×8』しかなかった俺を拾って、育ててくれたんだ。

 将来的にはもっとたくさんのアイテムが収納できるぐらいに、成長すると信じて。

 けれども、いつまでたっても8より大きくなる事がなくて……」


「1個でも2個でも、『アイテム収納ボックス』があるだけで、立派な才能よ。兄さん、職場があわなかっただけだわ。きっと兄さんを必要とする人たちがいるはず」


「ああ……だと、いいがな……」


懸命に兄をはげますタッタ。

どうして兄が落ち込んでいるのかよく分からなくても、ヘシオールも気持ちは同じだった。


ミエルは、タテル兄に向かってなにやら短い指を伸ばし、四角い光の板を浮かび上がらせていた。


「うーん? 『アイテム収納ボックス×8』って、このゲームそんなのあった?」


すいすい、と空中でその板を操作して、じっと目をこらしている。


「『アイテム収納ボックス×∞』……8どころか∞無限大じゃない……! なにこれ……!?」


ミエルは、さまざまな情報が交錯して、混乱しているみたいだった。


「タテル兄さん! なんでいままで8しか使ってなかったの!? 無限に入るよ、これ!」


「おおミエル、しばらく見ないうちにたくさん喋るようになったな。

 というか兄さん3以上の数が数えられないから、自分じゃアイテム収納ボックスに何個はいってるかわからないんだ」


「アフリカの部族なの……!? そうか、兄さんもストリートチルドレンだった……!

 せめて2桁の計算ぐらいできるようになろうよ……! 兄さんはぜったい世の中の役に立つ逸材だよ……!

 ざまぁ系の主人公だよ……!」


短い両手を振り回して、わあわあわめいているミエル。

相変わらず兄や姉には何をいっているのかさっぱりわからないし、言いたいことは1ミリも通じていない。


けれども、全員がほっこりと笑顔を浮かべて、この小さな末妹の可愛らしい仕草を見守っていたのだった。


この子を守りたい。誰もがそう意思を固めていた。


将来有望な妹を見て、ヘシオールは、ため息をついたのだった。


「みんな、すごいなぁ……ミエルは頭がいいし、姉さんは異世界レストランで働くし、兄さんはアイテム収納ボックスを持ってるし……ぼくだけ何もないや」


しょんぼり肩を落としたヘシオール。

けれども、ミエルはぶんぶん首をふって、全力で彼を応援した。


「そんなはずはない! だって、長男はざまあ系主人公……!

 長女は異世界レストランの従業員……!

 そして私は異世界転生者……!

 これだけフラグが立ちまくっている家族なのに、あなたにだけ何もないなんて、あり得ないわ……!

 私達は、最強の家族よ! ……あ、そう言えば、うちってファミリーネームとかあったっけ? 貴族しかない?」


世界の理に通じるような深い知識を持っていながら、そういう簡単な知識は持ち合わせていないミエル。


長男のタテルは、これを機に教えておくべきだと考えたように、深くうなずいて言った。


「名字なんて貴族しか持たないから、ふつうは出身の村の名前を名乗るんだ。俺たちは『フラグ村』から来たから、フラグ姓を名乗ることになっている。

 俺は男性名だからフラグオ・タテルだ。

 ミエルは女の子だからフラグガ・ミエルになる」


いやな予感がしたミエルは、はっと息をひそめて言った。


「じゃあ、お姉ちゃんは、女の子だから、フラグガ・タッタ……小さい兄ちゃんは、男の子だから……」


ぐりん、と、ヘシオールの方をむくミエル。

ますます頼もしくなる妹に、ヘシオールは、こくり、とうなずいて言った。


「フラグオ・ヘシオールだ」


ミエルは、目を><印にして、「ぎゃふん!」と言った。


「フラグを……フラグをへし折るフラグが立っている……名前でネタバレしてるぅー!」


のちに全属性魔法のスキルを発現させ、人の名前を聞くだけで将来を予言したという、大賢者フラグガ・ミエルの幼き日の思い出だった。





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