X章ep.19『キミが笑う風景』

 都心の一角に聳える老舗の喫茶店、名前は『Feliz《フェリス》』幸福を意味するそうだ。

 煉瓦造りの外観にアンティークな店内が特徴の、知る人ぞ知る憩いの場。仄かに漂う珈琲の香りに誘われる者も多いだろう。

 此処は愛妻に先立たれた店主がひとりで運営していた店だったが、最近では若い女性スタッフを雇ったらしく、彼女はこの店の看板娘として評判が良かった。来客曰く、笑顔と愛想が良くて女神のような子であると。ただし、彼女が淹れる珈琲は『愛情たっぷり、美味しさ控えめ』とすこぶる酷評であった。


「うぇ〜、ルシアちゃんが淹れる珈琲マズマズね」

「酸味がキツイのに味が薄いのは何でかな?」


 喫茶店フェリスの常連であるムツキとサツキの双子が文句を言っている。


「おかしいなぁ、コノエおじさまから教えてもらった通りに淹れたのに……どうしてだろ?」


 不思議そうに首を傾げているのは件の看板娘だった。スタッフ専用のエプロンと制服に身を包んだ白銀の髪の麗人。その玲瓏れいろうな美貌に惹かれる者は多く、そして笑顔で出された珈琲に顔を酸っぱくさせる者もしばしば。

 元女神のルシアはコノエが経営する喫茶店で見習いとして働いていた。彼女に会いに来るのは彼女目当ての客層だけでなく、こうして幹部だった者達も顔見せに訪れる。


「そもそも珈琲なんてマズイものでしょ。ハロ、そんなのよりミルクティーの方がいいな」

「はん、お子ちゃまのお前にゃ珈琲の味なんてわかんねーだろ。まぁ、それを差し引いてもお姫様が淹れたこれは激マズだけどな」


 カウンターに同席するのはハロとナナセ。同じく幹部だった二人である。ハロは中学に進級し、少しだけ身長が伸びていたがまだまだ精神年齢が幼く子供っぽかった。

 ナナセは仕事の休憩時間を縫って此処に来たらしく、皺のない高級ダークスーツに髪をバレッタで後ろに束ねたキャリアウーマンの出立ちであった。新世界で悪質なブラック起業から超絶ホワイト企業への転職に成功し、心と財布に余裕のある生活を送っているらしい。


「もう、ナナセさんまで……コノエおじさまはどう思う?」

「うぅむ、まだまだ努力が必要ですかな」


 そうルシアに水を向けられたコノエは言いにくそうに口をもごもごしていた。

 たまにカラスマやレイブンの二人も来てくれる。幹部の中でも重要な立ち位置にいた優秀な二人だが、この新世界でも変わらず現職の仕事を頑張っているようだ。

 カラスマは公安警察で実績を積み重ね、レイブンは教師として教鞭を振るっている。余談であるが、二人ともルシアの珈琲を不味いと一喝していたらしく、あまり立ち寄ることがないのだ。


「でも、お母さんは美味しいって言ってくれるよ? ねっ?」


 ルシアが手を向けた先に、占い師めいた怪しげな黒装束の女性がいた。長く伸びた白髪に白蠟のような肌。それは彼女ルシアの母親であるエドだった。

 先程から皆の様子を静かに眺め、微笑んでいるだけだったエド。彼女の手元にある珈琲もルシアが淹れたものだが、文句ひとつ言うことなく口にしている。酒浸りだった彼女はもうすっかり断酒し、最近ではコーヒー通を自称するようになっていた。

 娘に会いに行く口実が欲しいだけなのかもしれないが、彼女も此処の常連として板についていた。


「ええ、そうよ。こんな美味しいものは初めてだわ」


 と言いつつも、エドの口端から痩せ我慢の黒い液体が苦々しく溢れていた。

 そんなエドの様子に元幹部達が呆れたような顔を浮かべる。ルシアの母親と聞いて素晴らしい人格の女性を皆が想像したのだが、蓋を開けてみればこれだ。

 出逢った当初はかなり酒癖が悪く、適当な人柄でルシアからも煙たがられていた程だ。あのコノエが難色を示す程なので相当だと思ってほしい。だが、みんなの仲介もあってルシアとエドは親子の関係を修復し、一緒に暮らすことはなくとも、こうして時々は顔を合わせるようになった。


「ほらね、私は悪くない」


 そう言ってルシアは眩しい程の笑顔を振り撒いた。

 そうして自覚なく毒物のような珈琲を提供するのは辞めにしてもらいたいが、誰もが強く言えないでいる。

 

 何はともあれ、今のルシアが幸せそうで良かったと思う。

 彼女が笑う風景が、彼らの見たかった世界でもあるのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る