X章ep.14『奇跡≪サイン・ラストワード≫』
フィニスが持つ『破滅』の力。それは端的に言えばあらゆるものの消滅を意味する。オメガと渡り合うには同じこの力が必要となるが、それは他の攻撃が意味を成さないことが大きな理由だ。
『破滅』の力は黒い波動として糸を紡ぐよう身に纏わり付き、自在に形を変える。神斬刀の刃を覆うようにそれは渦を巻き、そして壬晴の腕に『穢れ』の侵食を表す模様を刻んでいった。
『ミハル、本当に良いのか……?』
ああ、どうしても護りたいものがあるんだ。
『……その力はお前を蝕む毒だぞ。ようやく侵食から解放されたというのに、また繰り返すのか?』
大丈夫だよ。もう僕は闇に呑み込まれたりなんかしない。
『……お前がその力を使い戦えば間違いなく死ぬ。それでもやるというのか?』
ありがとう、心配してくれて。
『そんなものではない。ただ、ありのままの事実を言っているだけだ』
それでもやるよ。僕は……大切な人達が生きるこの世界を、何がなんでも護りたいんだ。
内なる相棒との対話を終えた壬晴は、目先の敵オメガを見据える。
厄災の力を持つ六つの刻印が宙を舞う。オメガがあれらの力を掌握している以上、戦いは想像を遥かに超える熾烈なものになるだろう。それでも壬晴は負けられない理由がある。
この世界に生きるすべての人達のために、死力を尽くし強大なる敵に立ち向かう。
「行くぞ……オメガ、お前を此処で倒す」
刀を構え、壬晴はオメガへと駆け出した。
「破滅の力……今更それがどうした。たったそれだけの力で! どうするって言うのだ!」
オメガは雷鼓のように背面の宙に停止する刻印を手前へと移動させた。
「お前にはひとつずつ地獄を味わせてやるよ」
陰惨に呟いてオメガは『
「はぁあああ!!」
壬晴は旋風のように纏わせた黒い波動を天羽の能力と併合させ、突風として射出。『煉獄』と衝突すると、すべてを滅却せんとする炎と破滅の力が対消滅の構図を描いた。
『
「行け、『
灰色の刻印が真上に固定された。それは極太のレーザー砲を射出し、角度を変えながら壬晴を追尾する。『
壬晴は必死に『破壊光線』の射線から逃れるため地を駆け続ける。しかしオメガはそれを悠長に見てるだけでなかった。次なる刻印を真横に移動させると、その紫紺の輝きを暗闇に放つのだった。
「『
指定領域は全域。暗闇に一筋の銀線が疾るや否や、それらは拡張と展開速度をはやめ、間断なく隙間なく空間を斬り裂いていくのであった。回避不可、暗闇に幾星霜の星々のような斬撃が煌めき、壬晴を追い詰める。
「く……っ」
壬晴はオメガが先の戦いで展開してみせた防御膜を見様見真似で再現する。逃げ場のない攻撃を凌ぐには己の身を防御の膜で覆うしかないのだ。展開はほぼ一瞬であったが、壬晴の神経を擦り減らすには充分だった。あの攻撃は予備動作を必要とせず仕掛けられる。範囲を絞れば威力も増すだろう。絶えずあの技に留意しながら戦わなければならないのだ。
「ふん……お前が砕いたフレームの加護か。思っていたよりか威力が落ちているようだな」
オメガが口にした事実。『封印制度』の『神聖区域』はオメガが持つ厄災の力を弱体化してくれている。本来ならば更なる凶悪無比な威力を誇り、壬晴を一方的に暴殺していたことだろう。かつて頼りにしていた力は壬晴を生き存えさせてくれていた。
「うぉおおお!!」
防御膜を解いた壬晴は刀に波動を纏わせ、斬撃として飛ばした。それは直撃したかのように見えたが、オメガの目先に突如として出現した七つの刃により阻まれていた。十字架を模した七つの黒い剣、それはオメガの背面に浮遊する鉛色の刻印から放たれたものである。
「『
七つの剣がオメガを護る防御形態から、自動的に追尾し壬晴を穿ち抜くオールレンジ型へと変化する。
壬晴は刀身に黒い波動を纏わせ、降りかかる剣を真正面から叩き折っていくも、手数の多さに対処し切れず身を少しばかり斬り裂かれた。『聖なる剣』により受けた傷は決して治癒されることなく残る。それが『
「ぐぅ……」
蓄積される痛みと裂傷、そしてフィニスの力を使う対価たる『穢れ』の侵食が壬晴を苦しめる。『穢れ』は既に壬晴の首筋まで昇り詰めていた。この短期間の内にどれだけ力を行使したことか。
それでも壬晴はフィニスの力を使うのを辞めなかった。
「うぉああああ!!」
『聖なる剣』の最後の一振りを砕いた壬晴は刀に纏う波動をまたもや斬撃として飛ばした。特大の斬撃を前にオメガは一歩も動く気配がない。代わりに虚空に静止していた鈍色の刻印が黒い塊を吐き出した。それを形容するならブラックホールが相応しいだろうか。漆黒の小球体は乱回転し空気の歪みを発生させると、壬晴が放った斬撃を吸収して呑み込んだ。
「…………そんな」
壬晴の顔が絶望の色に染まる。
僅かな隙をついた、やっとの思いの攻撃も容易く無力化されてしまう。
「『
漆黒の小球体が斬撃を呑み込むとそのまま縮小し、やがて消滅した。
強欲と飢餓により略奪は生まれる。その力はすべてを呑み込み、無へと帰す、虚しき悪意の象徴だった。
「…………」
『穢れ』の侵食が止まない。顔に葉脈じみた模様を伸ばしていく。そして、やがては壬晴の肉体に『穢れ』が生み出す結晶たる装甲が纏わり付き始めた。顔半分が仮面に覆われ、黒い瞳に赤みが差し込んでいく。
壬晴は引き裂かれそうな心を懸命に繋ぎ止め、刀を握る手に力を再び込める。
「諦めない……」
そうして、宿敵を睨み据える壬晴に対し、当のオメガは思わず失笑を漏らした。オメガは無力にも足掻き続け、己の身を削る壬晴の頑張りが滑稽に映っている。理解に苦しむ、と言わんばかりに額を押さえながらオメガは声高らかに嘲笑った。
「はははっ、無駄無駄無駄ァ!! いい加減理解しろ!! お前がどれだけ頑張ったところで無駄だということをよ!! お前に何が出来る!? 何が護れる!? 今まで何を成し遂げた!? 一度でも満足に何かを護れたか!?」
口汚くオメガは壬晴を罵る。
「何も、出来なかったろうがぁあ!! テメェは何処まで行っても無能の疫病神なんだよ!! ミハルゥ!!」
オメガは錆色の刻印を完全に降ろすと、その中に手を入れて一振りのナイフを引き摺り出した。ただ何の変哲もないナイフのようだったが、オメガがどういうわけか己の掌に刃を突き刺すと、壬晴の右掌に激痛が走り、思わず神斬刀を手離してしまった。血は出てないが、麻痺して使い物にならなくなる。
「何だ、これは……」
壬晴は震える手を見詰めた。
「『
「……っ」
オメガはナイフで傷口を更に抉り、壬晴を更に痛みつけた。これは言葉通りの呪いだ。己の身に降りかかる苦痛が相手にも乗しかかる呪い。オメガの掌から夥しい量の血が流れる。更に、オメガは右腕を何度も刺し貫いては引き裂かれそうな苦痛を壬晴に与え続けた。
「オメガ……ッ」
「痛いか? 苦しいか? だったら諦めて死ね。どうせ、お前は何も出来ないんだからなぁ」
「……それでも」
壬晴は痛みに堪えながらオメガへと脚を進めた。だが、オメガ己の片脚にナイフを突き刺すと、壬晴の大腿筋が激痛と共に感覚を失う。踏み出した脚をもつれさせ倒れた壬晴は地面に身を擦らせた。
『
「……僕は、まだ……」
朦朧とする意識。肉体に受けたダメージと『穢れ』の侵食。そして魂に受けた傷が、壬晴をボロ雑巾のように仕立て上げる。
『穢れ』が凝固した黒い結晶が肉体から生え、肌は罅割れて血が滲み出る。瞳は赤く染まり、血涙が流れた。絶叫と嗤い声の幻聴が聞こえ、狂気に呑まれそうになるも、激痛に支配された体がそれを許さない。
「…………」
それでも立ち上がり、壬晴は神斬刀を手に取るとオメガへと迫った。立つのもやっとの覚束ない千鳥脚の歩行ではオメガには辿り着かないだろう。
「……ムカつく野郎だ」
オメガは舌打ちし、ルインの発射口を壬晴に向けた。
肩口、脇腹、左腕などオメガはわざと急所を外して壬晴を痛みつけた。壬晴は攻撃を受ける度に倒れ、そしてまた立ち上がる。少しずつオメガへと近付き、壬晴はやがて奴の手前まで迫ると、震える手で神斬刀を振り上げた。
「無駄だ」
オメガはデリーターを軽く振るって神斬刀を手から弾き飛ばすと、壬晴の心臓に刃を突き入れた。その正確無比な刺突は彼の臓器を損壊させ、致命へと至らせる。
壬晴は突き入れられた刃を一瞥しただけで歯牙にもかけなかった。ただ、そのまま手を伸ばしてオメガの襟首を掴むと、拳を硬めて殴り掛かる。せめてもの抵抗か、弱々しいその攻撃は避けるまでもなく、オメガは胸から刃を引き抜くと壬晴を蹴り飛ばし離れさせた。
壬晴は数歩たたらを踏んで退くと、血を吐いて膝をつく。心臓から溢れ出す鮮血が血溜まりを産んだ。
「終わったな……これで解ったろう? お前は無力なんだよ」
まるで介錯を承った処刑人のように、オメガはデリーターを片手に提げながら壬晴のもとに立った。
「フィニスの力を使ったところで、力の差は歴然だ」
無慈悲にオメガはデリーターを振り上げる。
「お前を処分した後、
迫る刃を前に、壬晴は瞳を閉じた。
こんなところで終わるのだろうか。
また、何も護れないままに。
…………。
自分は本当に何処まで行っても無力だ。
何も成し遂げることが出来ないのだから。
…………。
たとえそうだとしても、まだ心の中では諦めきれない。
ほんの少しだけでいい、立ち上がる力を僕に。
もう誰も傷付かなくてもいいように、優しい人が泣かなくてもいいように、オメガを倒し世界をあるべき姿に戻す。
『ミハル……あなたに、この力を授ける』
誰かの声……いや女神の声が壬晴のもとに届いた。
壬晴の前に一枚の結晶板が落ちる。
それはエドから託された無印のフレームだ。
何の効力も持たない、ただの空の器。
それがいま光を帯び『失われた力』を呼び戻すのだった。
壬晴は『失われた力』へと手を伸ばす。
「…………真名解放」
その囁きに呼応しフレームに刻印が新しく刻まれる。
それは天使が祈りを捧げる姿に似ていた。世界の平和を願う少女の祈祷だ。フレームは温かな虹色の輝きを放っていた。
「––––『
請願により、眩い光が辺りを包み込む。
それは深淵の沼も奈落の暗闇さえも吹き晴らし、光り輝く世界を生み出した。
「…………っ!」
オメガの驚懼が伝わる。
壬晴は立ち上がり、奴と再び対峙した。
傷も『穢れ』も完全に消え去っている。
この白く光り輝く世界に、壬晴は虹色の祝福を纏う。
「オメガ……決着をつけよう」
僕達はまだ、それでも奇跡があると信じている。
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