X章ep.13『僕らは生きるために戦う』


 神が創りし人類最初の女性パンドラ。彼女に託された黄金の匣には、この世すべての厄災が封じ込められていた。

 中身を知らなかった彼女は好奇心により匣を開く。すると、そこから病気や呪いなどの悪意が飛び出し、地上の人間に不幸が広がった。

 蓋を閉じた時にはもう遅く、人間達は禍いと不幸がある世界で生きていかなければならなくなったのだ。

 だが、匣の底には唯一の『希望』だけが残されていた。


 

 櫻井創一のもとを離れ、自我を形成。自律的に行動し、破滅の意思のまま力を振り翳すオメガ。あの男の忘形見たる怪人が最後の敵として立ち憚るとは、何処までも因縁というものは奇妙に絡み付き、離れないものなのか。

 それでも運命を断ち切るため壬晴はオメガと戦う。これは己が成すべき最後の役割なのだ。


「気付いていたか? お前達が生きるあの世界が偽物だということを。滅んだこの世界に生きていていた人間の魂を、ただ一時的に保管するためだけに生み出された複製品でしかないということを。

お前の仲間も、運営の奴らも結局のところ一度は死んでいるようなものだ。あの女神は魂が持つ記録をそのまま再現したに過ぎない。何処までいっても、お前達は偽りの贋作でしかない!」


 凶悪なものへと変化したデリーターの斬撃とルインの砲撃。荒れ狂うオメガの攻撃を壬晴は必死に耐え忍ぶ。


「新世界に相応しい願いを持つ者を、善良で良質な魂を選別するこの遊戯も! 結局のところ女神の都合に振り回されたに過ぎん! お前達はあの女の罪を拭わせるためだけに、激しく傷付け合い! 奪い合い! そうして己の中の幸せを失ってきたんだろう!」


 オメガへと接近、神斬刀に渾身の力を込めた一撃がデリーターと正面から衝突する。過去の壬晴に託されていたマリスの駆除兵装は、オメガが醸し出す黒い波動により強化されていた。


「新しく世界が生まれ変わったとしても人はまた過ちを繰り返すぞ? お前も理解してるはずだ。人の悪意は尽きない。戦争や差別は消えることなく渦巻く。大人しく終末を受け入れろ。こんな醜い世界などなくしてしまえ」


 悪意が囁きかける。


「世界を滅ぼしてその先に何がある? お前の戯言なんて聞く価値はない!」


 壬晴は鍔迫り合いを解き、オメガから離れた。彼を追うルインの砲弾を回避しながら両腰の夫婦剣を手に『絶刃・勾玉手裏剣』を繰り出す。両サイドからの挟撃を仕掛ける二振りの剣は、オメガが展開する黒い防御膜に阻まれるのみならず、その膜に触れた瞬間に呆気なく朽ち果てるのだった。

 破滅の力……その力は驚異的である。壬晴は武装を失うことになったが、それでもオメガへと疾走しフレームの力を行使。『アブソーバ・エナジーブラスト』の爆発的な威力を膜に打ち当て、その障壁を突破。神斬刀・天羽の刺突をオメガへと奔らせる。


「…………っ」


 刺突はオメガの喉を貫く。慢心がそれを許してしまった。壬晴は手許を捻り、刃を引き抜くとオメガから即座に距離を取る。この程度で怪物は死に至るはずがない。穿たれた頸元は、オメガを構成する黒い繊維が糸を紡ぎ再生を果たす。


「へぇ、やるな……だが、フィニスの力を使わずに我を倒す気か? 破滅の力に、普通の攻撃が通用すると思ったか?」


 黒い血を吐き出しながらオメガが言う。


「悪いけど、こちらは容赦しねぇ。平和や奇跡など宣うお前には特別に地獄を見せてやる」


 ルシアから奪取した六芒星の刻印が刻まれたフレーム『封印制度シールド、システム・裏』。それは六つの厄災を封印したもの。壬晴が持つものの片割れであり、悪意の『穢れ』に黒く染まっている。黒い結晶板は悍ましい輝きを放っていた。


「させるか……っ」


 壬晴は即座に駆け出し、オメガからフレームを取り返さんと迫った。だが、奴が持つルインの砲弾が壬晴を引き戻す。

 オメガは六つの災厄が封じ込められた『封印制度・裏』を粉々に握り潰し、中に秘められた悪意らを放出させた。

 呆気に取られる壬晴と喜色満面の笑みを浮かべるオメガ。瞬く間に、PVPエリア全域が黒く染め上げられる。深淵か奈落の底に落とされたのだろうか、真っ暗な闇だけが視界に広がる。


「オメガ……お前は、何を……!」


 オメガはバラバラとなった結晶板の欠片を見せつけるように地に落とす。オメガの周りに六つの幾何学模様の刻印が浮上する。それらは真紅、灰色、紫紺など退廃的な色合いを壬晴に見せていた。

 闇だけが広がる領域に絶えず怨嗟の嘆きが轟く。足元に這い上がるのは悪寒だけではない。地獄に引き摺り込もうとする腕が伸びていた。死者の怨念が壬晴を連れて行こうとしがみつく。


「……『流転無窮るてんむぐう』!」


 風の護りを強め、壬晴は泥梨ないりに沈ませんとする腕を振り払う。己を律することが出来なければ気が触れてしまいそうになる光景だ。此処はまさしく地獄のようであった。


「せいぜい耐えろよ。この領域が解かれてしまえば、厄災はまた世界を包む。外にいるお前の仲間達を護りたくば頑張ることだな。まぁ、それもPVPエリアとやらの制限時間までの話だ……どちらにせよ、お前はもう終わりだよ」


 オメガの凶悪な嗤い声が体の芯に浸透する。


「とびきりの地獄を味わいながら死ね。もう、お前に出来ることはない。絶望し、泣き叫び、己の無力さを噛み締めながら無念のうちにその無駄な命を散らせぇ!」

「…………」


 響き渡るオメガの声に、壬晴は眼を伏せた。

 決意が必要だった。己を犠牲にする覚悟が。

 壬晴は暫し瞑目し、それからこれまでのことを思い返す。


『ミハルは自由に生きてね……』


 彼女の言葉、彼女の声が蘇る。

 真昼は壬晴を護るために『封印制度』のフレームを手に入れた。それは自分の命を顧みない行為だった。教会で自分を見付けてくれた時もそうだ。彼女のおかげで壬晴は今まで生きてこれた。


「ありがとう……今まで護ってくれて」


 壬晴はこれまで彼のことを護り続けた『封印制度』のフレームを手にする。きっとこんなことは正気ではないのだろう。胸に宿る痛みと震える手。肩を掴む悔恨の気持ちをどうにか振払い、壬晴は腕に目一杯の力を込めた。

 白い透過色の結晶板に罅が差し込む。そして、壬晴の思い出のフレームは儚く砕け散った。


「お前……まさか」


 オメガの動揺がその声音に滲んでいた。


「これで……もうお前を縛るものはない。この戦いは負けるわけにはいかないんだ。そして、あれらの災厄は此処でとめる」


 PVPエリアの展開により、解放された『封印制度』の刻印は空間内に留まり続ける。それは宙を舞い地に降り立つと、己の使命を全うするが如く『神聖区域』のフィールドを一人でに展開させた。

 それは意思を持たないはずの『封印制度』がせめて最後にと、壬晴へ齎した加護だろう。空間内の呪いを無力なものへと変え、這い寄る腕も怨嗟の声も消滅させた。だが、暗闇は晴れない。その闇の根源はオメガにある。


自棄ヤケにでもなったか……?」


 後先を顧みない壬晴の行動に、オメガの憫笑びんしょうが響く。


 まだ、負けていない……。

 『新世界の鍵』は既に誕生した。

 たとえ、此処で朽ち果てようと残された仲間達が必ず新世界を創り上げてくれるはずだ。だが、そのためには邪魔立てするオメガを此処で倒さなければならない。それが出来るのは唯一、自分のみ。

 奴と対等の力を持つ者は自分以外に他にいないのだから。

 

 壬晴は己の胸に手をあてて、内なる相棒に語りかける。


「……力を貸せ、フィニス」


 不倶戴天ふぐたいてんの敵を撃つべく、いま此処に封印の枷は解き放たれた。

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