X章ep.10『Player Variable Prayer』

 拒絶、それがルシアの出した最初の言葉だった。

 彼女の眼に映るものは己が生み出した生贄の供物と櫻井創一が造りし人工天使。決して受け入れることなど出来ない存在だった。それは己の罪の象徴であり、世から消し去るべきもの。このような再会は望んでいなかった。


「ルシア……」


 壬晴はゆっくりと足を一歩踏み出し、彼女の元へ近付く。


「お前なんかがルシアに近寄るな!」


 ルシアに近付くその行為を許さなかったレイブンが魔本を取り出し、結晶魔法の槍を撃たんと虚空に顕現させる。壬晴に怨みを懐く彼女に容赦はない。だが、その結晶魔法が撃たれるより前に、突如発生した重力の圧縮により粉々に破砕され、ガラス片が宙を舞った。


「おっと、手を出さないで頂戴ね。あなたはそこでジッとしててもらうわよ」


 美愛羽がフレームの力を行使し、彼女を妨害する。絶えず発動状態にされる超重力の捕縛により、レイブンの動きが抑制された。「く……っ」と歯噛みするレイブン。美愛羽を前に彼女は無力だった。ただ、何も出来ず、我らを鋭く睨むだけである。


「ミハルくん、フウラちゃん。後は頼んだわよ。私はその子とは話が済んでいる。今度はあなた達が話を聞いてあげる番よ」


 美愛羽が二人にウインクする。


「ありがとう、ミアハ」

「ミアハお姉さん。後は任せて」


 壬晴は巫雨蘭と共に端末を取り出し『PVPエリア』を展開させた。

 それはプレイヤーだけの領域を作り出すもの。

 邪魔立てするレイブンとそれを阻止する美愛羽の姿が視界から失せた。誰にも邪魔されることなく、二人はルシアの前に立つ。


「……PVPエリア」


 女神は二人を冷たく見下ろしていた。

 彼女と対峙し、暫くの長い沈黙があった。

 壬晴はこれまでの人生を振り返る。

 思い返せば、自分は数奇な運命のもとに生まれ、これまでの中で大切な多くを失った。


「この世界で僕はたくさんの思いをしてきた」


 ポツリと口を衝いて出た言葉にルシアの指先が微かに反応を示した。彼女はその言葉の意味をそのまま受け止めたのか、拳を強く握り締めて小さく震える。


「私のことを……怨んでるんだね。あなたが此処に来たのはそんな怨み言を言うためなの……?」


 ルシアの言葉に、壬晴はかぶりを振る。


「違うよ……怨んでない。僕はあなたを怨むことなんてできない」

「だったら…………どうして」


 壬晴は一度だけ巫雨蘭に視線を寄越した。

 彼女は壬晴の手を握る。


「あなたのことは、僕の中にいるフィニスが見せてくれた。何があったのか、どうしてこんなゲームを始めたのか、それから僕を造ったあなたの目的もすべて理解したよ」

「…………」

「ルシア……あなたは何も悪くなかった。此処に来たのは、あなたに対する怨みを晴らすためでも、あなたと戦うためでもない」


 ガチャリ、と二人の神斬刀が地面に落ちる。武装解除、壬晴と巫雨蘭は持っていた武装のすべてをその場に置いて、彼女と正面から話し合う姿勢を取った。ルシアを傷付けるつもりはない。確かに彼女はこの世界の枠組みではの存在だろう。

 だが、たとえラスボスであろうとも分かり合えるなら武器を手にしなくても、戦わなくてもいい道があるはずだ。優しい世界を願った彼女ならそう望むはず。

 なぜなら『女神の謁見』そのゲームクリアの条件はラスボスであるルシアと決してことなのだから。


「僕らはあなたのことを救いに来たんだよ」

「…………っ」


 ルシアは眼を伏せた。

 次第に彼女は両手で顔を覆い、そして泣き崩れた。


「どうして……、どうして……なの? 私はあなた達に赦されないことをしたのに。こんなの赦されるはずないのに! なのに、それなのにどうしてあなた達は!」


 彼女の慟哭が響く。


「私は世界を壊した! あなたに一生消えない呪いを託した! 偽物の世界を造って、みんなの魂を利用して人の命を弄ぶようなゲームを作って、たくさんの人を苦しませて死なせた! そんな私が赦されるはずないのに! それなのにどうして!?」


 その泣訴に壬晴は静かに応える。


「確かにあなたは僕を生み出してフィニスを託した。この呪いと共に消えてくれることを望んだんだと思う。あなたはきっとそうなるように僕を作り上げた」


 巫雨蘭が握る手が少しだけ強くなる。


「でもね、僕はこの世界に生まれて自分の意思で生きてきたよ。たくさんの人と出逢って、友達や家族みたいな居場所ができた。ツライこともあったけど、楽しいこともちゃんとあった」

「…………」

「僕はね、ルシア。この世界に生まれてきてよかったと思う」

「そんなの……」

「たとえ、あなたが僕を造ったとしても誰かと一緒にいることや今日食べようと思ったご飯のことまで決められたわけじゃない。人間として当たり前の幸せを味わうことができた」

「…………」

「ほんとうはとても幸せだったんだ。たくさんの人達に囲まれて生きてこれたことが何よりも嬉しかった。だから、生まれたこと後悔しない。あなたのことだって怨んだりなんかしないよ」


 壬晴は拙くも心の内をルシアに明かした。

 この世界に生まれてきて、たくさん辛い思いをしてきた。失うばかりだったけど、それでもやっぱり生きてきてよかったと思えるのだ。失った分、大切なものが増えたから。

 巫雨蘭は壬晴の手を離すとルシアの目の前まで歩いて行き、玉座から降りて膝をつく彼女と目線を合わせた。


「ルシア……私がわかる? 私はね、あなたの出来損ないだよ。この世界に生まれてくる予定がなかった存在。女神にも、天使にもなれない価値のない命。でもね、そんな私でも愛を知ることができた。生きる意味を教えてくれた人がいる」


 巫雨蘭はルシアにそう語りながら、壬晴に目線を一度だけ送る。


「あなたが作った命はね、たくさんの人達と出逢い、多くの幸せを運んでくれたんだよ。人を思いやり、大切にしてくれた。みんな、この人のことを好きでいた。私も、ミハルのことを誰よりも心の底から愛している」


 冷たい地面に手をつくルシアの、その上に巫雨蘭は己の手を重ねた。そうして彼女の手を取り、巫雨蘭は両手で包み込む。慈しみを湛えた瞳で彼女を見て、巫雨蘭は不器用だが精一杯の言葉を投げかけた。


「私もあなたのことを赦すよ。だから、もう悩んだり苦しんだりするのはやめて。そんなのは悲しすぎるもの」

「……でも、私は……償わないといけない。世界を救う、それが女神の使命……私は、じゃないと私は……生きてる資格なんて」


 自分をどれだけ責め続けたのだろうか。きっと計り知れないほどの罪の意識が彼女の心を蝕んできたのだろう。

 壬晴は頭を抱え蹲る彼女のもとに巫雨蘭と同じように歩み寄ると、膝を地面につけて目線を合わせた。もうひとつ伝えないといけない。から預かってきたメッセージを。


「ルシア……あなたの母親と会ったよ。あの人は僕らのことをずっと支えてくれたんだ。そして娘であるルシア、あなたのことを救ってほしいと託され、僕らはいま此処にいる」


 彼女の母親、エドのことを話し始めるとルシアは泣き腫らした顔を上げた。


「エドさんはね、キミに女神を継承させてしまったことを悔やんでいたよ。きっと怨まれているだろうって、娘を不幸にしてしまったと泣いていた」

「あの人が……お母さんが。そんなことを……」

「エドさんのことを赦してあげてくれないか。また親子としてやり直してあげて。あの人には娘であるキミが必要だよ」

「…………」


 未だ迷いがあり、答えの出せないルシアを巫雨蘭が優しく抱き締めた。そして彼女はルシアの今を語る。

 

「みんな、あなたの味方だよ。私達も、それからあなたが見つけた運営の人達もみんな。誰でもなくあなたが自分の力で手に入れた仲間なんだよ。もう、あなたはひとりなんかじゃないよ。ひとりで抱え込まなくていいの」

「カラスマさんやワタヌキ、コノエさんに子供達、みんなからキミを救ってほしいと頼まれたよ。とても良い人達だね。キミが選んだ仲間達は、みんな心優しくてキミのことを大事に思ってくれている」


 壬晴はルシアの肩に手を置いてコノエ達の秘めたる思いを言い聞かせた。


「ルシア……キミが抱える悲しみはもう終わりにしよう。僕らとこの世界を生きて行こう。キミにはもう居場所も大切と思える仲間がいるんだよ。何も心配しなくていいんだから」


 壬晴はそう言って笑顔を浮かべた。


「私は願っていいの……? 幸せも、あなた達の祈りも、そしてさえも……」


 壬晴と巫雨蘭はルシアの手を取って立たせた。


「願っていて、キミが信じられなかったものを。きっとこの世界にはまだ奇跡が残っているよ」

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