私たちのベーカリー
はくすや
春一番
二月の終わり。待ちに待った新居の内覧会。私は父母と兄と四人で新築高層マンションにやって来た。
八十平米の南向き高層階4LDK。現在の仮住まいよりは狭いけれどとても綺麗で見張らしも良い。新築に住むのが初めてだった私は感激していた。
「荷物を整理しないとな」父が言う。処分という意味だ。
古くなったり使わなくなったものは捨てる。仮住まいに移る際にも断捨離をしたが、そこに二年も住めばまた余計なものが増えるというものだ。
私たちは一通り新居を見た後、一階の店舗に足を踏み入れた。
駅近の一等地。ここに私たちのパン屋があった。祖父母の時代からある地元のパン屋さん「さくらベーカリー」。
私たち桜井家の名字からとった店名で、祖父母の時代は「桜井パン」と名乗っていた。父母が店を継いだ際に古くなった店舗を改装して店名も変更。
今の仮店舗はここから少し離れたところにあった。そこもまた私たちが移転したら取り壊され新しい建物が建つ。そうして再開発も段階的に進む。
「店も広くはないが機能的になったかな」
父はかつての「桜井パン」を思い起こしていたのかもしれない。
昭和の店に比べたら今風だと私は思う。わずかだがイートインスペースもある。
まだ何も器材はおいていないが私たちの頭の中には思い描いた絵が出来上がっていた。
綺麗に並べられた色とりどりのパン。それを美味しそうに眺め、どれにしようかと迷う常連の客。
すでに私の鼻腔にパンの匂いが充満していた。
兄もそうに違いない。鼻をひくひくとさせていた。
そしてまた、三つ目の店を構える父と母にはさらに感慨深いものがあっただろう。
「写真を撮っておこう」兄が言う。
十も年が離れた兄は今やパン屋の三代目になっていた。何かと写真を撮りたがる母とは良いコンビだ。
兄と母にとってはまだ器材がない店も立派な被写体だった。
そこに私たちは並んで立つ。
「さくらベーカリー!!!」
私たちは叫んだ。記念写真を撮る時の号令だ。
外では気恥ずかしい私も他人がいない店内では声をあげた。
何度も撮影する。
「店の外でも撮らなきゃな」兄が外へ出て行った。
私は父と母とともに外へ出た。
強い風にさらされる。私はスカートを押さえた。
「「おお! 春一番!!」」
兄と父は感激している。
私と母は顔を見合わせた。
ただのビル風だと思うけど。
私と母はその言葉を胸にしまい、静かに微笑んだ。
私たち四人はまた横一列に並んだ。
春はもう近い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます