48:卒業
伯爵家から帰ると、すぐ学園に報告や手続きを済ませた。
別荘近辺での募集を調べていたところだが無駄になり、良い条件もあっただけに少しばかり残念。
リヴィアンの就職活動はこれにて終了。
要するに、ライト伯爵家と契約を交わしてきた。
卒業したら荷物を纏めて屋敷に身を寄せる。
それにしても、またもダヤンの後輩になるとは。
親しい相手が一人でも居れば安心感は格段に違い、むしろ楽しみですらある。
さて、今度こそ残り僅かな学園生活が自由になった。
決して退屈ではないにしろ。
巣立ちの準備を進めつつも朝から図書館に籠もり、夜はこっそり寮生の友人達とパジャマパーティー三昧なんて気楽な日々。
卒業前となれば何かと浮かれがち。
夜中に脱走されるより良いかと、騒ぎなどを起こさない限りは監視も緩かった。
今までのリヴィアンなら上手に優しく断るところだったが、ここに来て積極的な参加。
何故ってそんなの、夜の自室に居たくないからに決まっている。
消灯時刻から一時間、あのノックの音を聴かずに済むならば何でも良かった。
本当にロキが来ているのかは分からないが、カーテンを開けっ放しにしておいている点で察してほしい。
室内はベッドにすら誰も居ない真っ暗闇。
パジャマパーティーの日はそのまま友人の部屋で夜を明かすので不在である。
一応ベランダの外に「あなたがこれを読んでいるということは」から始まる手紙でも置いてやろうかとも思ったが、もうロキとの接触は避けねば。
例え雨や雪で空が荒れようとも駄目だ。
「扉を開けてはいけない」というお伽噺は幾らでもあるもので、何だか七匹の仔山羊の心境。
仔犬が狼にならなければ、もう少し長く続いただろうか。
招かれねば入ってこられない辺り、やはり怪物だったのかもしれない。
幼い頃はとびきり可愛くても、成獣になると手に負えなくなりやがて喰い殺されてしまう。
「あー……うぅ……」
朝食を済ませて自室に戻ると、リヴィアンはベッドの上で軽く伸びをしながら唸る。
女性二人ならシングルベッドでも身を寄せ合って横になれるが、多少は身体を縮こまらせることになるので翌日は眠い時も。
夜遊び自体はロキとも散々やったものだが寮で眠る時は一人きりだった。
他人同士の顔で朝を迎える為、自分のベッドへ帰らねば。
そういえば結局、ロキが使える魔法の正体は掴めず仕舞い。
大体の察しは付いているかもしれないが、魔女であるリヴィアンの持つ力が正確にどんなものなのか彼は知っているのかどうか。
エナジーヴァンパイアは種を殺すことも出来るので孕むか否かは自分で決められる。
ただし魔法に使える世界でのみ可能と限定されるが。
妊娠しなければ良いなど、そういう問題ではない。
あの時、ロキを突き動かしていたのは愛や情欲よりも支配欲。
物にしたい、壊したいと、目茶苦茶にされそうだった。
けれど"私"は悪女としてこの世界に来たのだ。
本物のリヴィアンを殺してまで立っている舞台、そう易々と他人に身を委ねたり出来るか。
もうこの心は魔物、母になる道など考えられぬ。
せめてロキが成人して医者として自立出来ていたらまた話は違う、別荘でのことがあるので二人での暮らし自体なら想像が容易い。
早朝のトレーニングから帰って迎え入れられる時、食事を作ってテーブルを囲む時、一つのベッドで眠る時、確かに幸福感はあった。
とはいえ現実的に考えて今は未成年の学生、正直なところ幸福になれる未来など描けない。
「子供の子供は作れない」の一言に尽きる。
社会人一年目で大きな腹を抱えろとでも言うのか。
結婚すれば責任を取れるというものでもなし。
恋人や夫婦間だとしても、この国では相手の合意が無い性行為も避妊をしないのは違法。
少なくともそうした認識が当然とされている。
孤児院にはその結果で生まれた子供達も多いのだ。
ロキだって知らないとは言わせない。
怒りや悲しみや失望も確かにあるが、それが全てであらず他にも諸々。
決して一色の感情だけではない。
胸に渦巻くマーブル模様は実に複雑だった。
別れの決定打は場所の問題もある。
異世界を巡る度に本を読み漁っている"彼女"にとって図書館とは聖地。
本一冊を粗末に扱われても無表情でいられなくなるというのに、あんなこと以ての外。
ここで切らねば、放課後の度カーテンの中で求めてくるようになる恐れもあった。
約一年、ロキとのことは後悔しまい。
愛していたのは動かぬ事実。
雪が降りそうな中庭、初めて出逢った時はほんの子供としか思っていなかったのに。
そう、キスされるまでは。
直後の告白を受け入れたのは自分の意志なので言い訳しない。
可愛い顔して相当な助平だったのは意外だったが。
それとも中等部などあんなものだろうか。
男のことは分かるのだが、男の子のことはよく分からない。
もしくはリヴィアン自身の所為か。
色々と許してしまったし、教え込んでしまった。
仮の話、性生活が控えめならあの時だって凶行にまでは至らなかったかもしれない。
夜は都合さえつけばロキが来ていた。
習慣化していただけにハードルは低くなり、嫉妬心でエンジンに火が着いてしまったのか。
突き詰めれば、止められなかったのは情欲に負けたのが原因でもある。
普通の女ならば死ぬよりも辛い傷を心に負う。
しかし魔物は襲われても怖くなどない、ただ一つ興味があった。
あの狂気すら帯びた妖艶な目。
果たしてロキは底無し沼の欲を埋めてくれるのかと。
結果からはっきり言えば、この身体になってから最も溺れた。
刹那的ながら満たされる感覚。
或いは、彼なら自分を殺せるかもしれない。
重々に分かっているが、それは一時の夢。
少年の望みは共に生きること。
向ける矢印が最初から違っていたのだろう、結局のところ。
どうして、ここに居ないの。
こんなにも恋しいのに。
もう終わったのだと何度言い聞かせても、リヴィアンの中で情欲は相変わらず素直に泣いていた。
いっそ繋がりが身体のみなら、どんなに溺れても躊躇いなく切り捨てられたのに。
お互いにさっさと忘れて、後腐れ無く。
ああ、心とは何と厄介な物か。
魔物に成り果てても愛は失わない。
この痛みを味わって、生きていることを実感する。
そして更なる数日が穏やかに過ぎて行き、高等部の卒業式も無事に終わった。
通いの生徒はこのまま帰宅するが、寮生は列車の関係や自室の片付けなどの事情で翌日に出発する者も多い。
リヴィアンもまた、馬車の迎えが来るまでは寮で待機。
図書館で知って手元にも起きたくなった本はタイトルをメモして、脱いだ制服は下取りへ、部屋も掃除を済ませて荷物も詰め終えた。
ラベンダーの精油で髪を纏め、今日はハーフアップで広がりを抑える。
約束の時間までもう少し。
しかし最後に一つだけ残っていることがある。
教師から渡された呼出状を取り出して、リヴィアンは溜息を吐いた。
御大層な言い方をしてしまったが何のことはないメモ一枚。
見覚えがあるのもそれもその筈、いつぞや受け取ったベルンシュタインからの紹介状と同じ用紙である。
「最後に一度だけロキと会ってくれ」と。
あれから食事も睡眠も減って、すっかり弱ってしまっているらしい。
もともと線の細い少年だけに進行は早い。
その彼が頭を下げて頼むのでもう見ていられず、あの時に指導室に居た教師達も折れたそうだ。
一対一の二人きりでなく監視として付き添うので、数分だけ時間が欲しいとのこと。
夜中に女子寮へ通っていた件や図書館での淫行の件を伏せている為だろうが、やはり学園側は事を小さく見ているらしい。
一応とはいえ加害者と被害者。
本来ならお互いの為にも、もう二度と会わせてなどいけないだろうに。
性善説を信条にしているだけに「こんなにも頼んでいるのだから」と、むしろリヴィアンの方が説かれてしまった。
もしどちらかがナイフを隠し持っていて、豹変したらどうするのやら。
だからこそ「別れ話は人目のあるところで」とよく言うのに。
もともと愛には多かれ少なかれ暴力性があり、女優だった"彼女"は熱狂的なファンの手で殺された。
そして魂を囚われて奈落の魔物として変わっていった末、ここに居るのに。
確かに、はっきりと別れを突き付けていなかったかもしれない。
こちらの認識としてはリヴィアンが先に失恋した訳だが、ロキからすれば愛を告げている時に突然逃げられてそれきり。
事を呑み込むにも順序というものがあり、苦しくて窒息しそうなら細かく砕いてやらねば。
こうして、リヴィアンは何となく重い腰を上げた。
好きな男に「さよなら」を言う為に。
指導室は簡素な机一つ、何とも味気ない空間。
ロキは既に着席しており傍らに教師が付き添っていた。
顔触れの中にはベルンシュタインも。
信頼があったこそ紹介したのだろうに、裏切ることになってしまったのは申し訳ない。
「……お久しぶりね」
それは兎も角、約一ヶ月ぶりにロキの顔を見た。
仔犬がすっかりウサギの目。
リヴィアンの方は落ち着いた物腰を崩さず着席。
あの時と逆転、沢山泣いたであろうロキの痛々しい表情を見て悠々と微笑む余裕すら。
そう、泣いた顔は可愛い、とても甘やか。
「っ……ごめんなさい……」
再び涙で息が詰まりそうな中、最初にロキが口にしたのは謝罪。
「何が?」
「だって、僕の所為で、司書さんになるの取り消されちゃって……」
違う、そこは割りとどうでも良いのだが。
とはいえ、教師も同席している場なので図書館の一件は言わなくて良い。
それに関してのことで謝罪を続けようとしていたので、しっかりと手で合図して制しておいた。
リヴィアンの方も蒸し返しは不要。
「ロキ君はお医者さんになるんだから、命を軽んじるようなこと言っては駄目よ」
込められた意味は二人にしか分からない言葉。
これだけで十分に伝わるだろう。
両手で足りない命を奪ってきておきながら何を偉そうなことを、と自分でも思いながら。
「僕、リヴィ先輩とはずっと一緒にいられると思ってたんよ……」
そんなの"私"だって、そうしたかった。
でも駄目だ。
「本当に好きなら、私は最初から一度も応じないでロキ君のこと待つべきだったのよ……大人と子供は恋愛してはいけないんだから」
飽くまでも年齢を言い訳に使うことにする。
どう足掻いても変えられない物。
本当は告白された時にそうして断るべきだった。
悪いのはこちらだったと思わせた方が傷も浅く済むだろう。
「ロキ君が大きくなったら、普通に他の子好きになるわよ」
「でも、僕、リヴィ先輩のことずっと好きなんよ……」
だと良いわね。
流石に酷なので、その返事は呑み込んだ。
ふと、ロキがポケットを探る仕草。
やはりナイフの出番だろうか。
なんて咄嗟に思ってしまったなど妄想し過ぎ。
当然のように、取り出されたのは一本のリボン。
艶々した銀色の光沢。
「最後に、髪に触っても良いですか?」
「……どうぞ」
そういえば髪に限らず、今まで触れる前にあまり許可を取ろうとしなかった。
大抵が事後承諾。
教師達も顔を見合わせつつ、了解が出た。
席を立ったロキがリヴィアンの後ろへ回って恭しくレモンブロンドに触れてくる。
そういえば、こんな手だった。
骨張った長い指、丁寧な触れ方、蝶々が生まれる衣擦れ音。
送り出す前に華を添えたいという訳か。
あれだけ大量のリボンを貰ったが全てロキが保管している為、リヴィアンが持っているのは紺藍色に星が散るデザインのみ。
夏の旅行で贈られた思い出と一緒に。
頭の後ろに蝶々一羽。
こちらからは見えないが、無事に羽化したようだ。
今度こそ最後の時間は終わり。
リヴィアンの肩に背後からロキが顔を埋めて、とうとう啜り泣く。
子供のように、いや、実際にまだ子供か。
「……っリヴィ先輩、僕のこと、忘れないで……無かったことにしないで」
"私"は忘れて欲しい。
やはりこれも言葉にするなら酷、きっと嫌だと返されるだけ。
それならば。
「だったら"私"のこと殺しに来なさいよ。
そうしたら奈落でも、何度生まれ変わっても、覚えててあげるから」
物騒な物言いにロキも教師達も面食らっていたが、リヴィアンは「時間なので」と優雅に立ち去る。
上手に隠していても自分の意志で汗は止められない。
動揺する時、吹き付けたアロマは混ざって匂いが変わってしまう。
仄かに残るラベンダーはそういう淡い色をしていた。
もう3月だというのにライト領は寒い。
朝から寂しい灰色が立ち込めていた空からはとうとう雪がちらつき始めた。
見慣れた景色は馬車の窓から流れ、もう振り返っても学園はあまりに遠い。
まだ地面に溶けていく真白はそのうち全てを凍り付かせ、やがて一色に染めてしまうのだろう。
五年前の雪の日、馬車の事故で両親を失ったリヴィアン・グラスにとっては深い心の傷。
しかし魔物と入れ替わった今、どうしても思い出すのはロキのことだった。
「毎日コーヒー淹れるのも、先輩の髪を編むのもずっと僕がやりたいわぁ」
雪の夜にプロポーズされた時、リヴィアンは返事をしなかった。
顔半分を隠した下弦の月によく似た、曖昧な笑みだけ。
言葉と共に真っ直ぐ向けられた濃藍の目。
それこそ仔犬のように、あんなにもひたむきに愛された記憶。
加虐心も被虐心も丁寧に撫でられた。
綺麗ではないところまで全てが欲しいと、貪欲に。
涙は暗褐色の目を潤ませても零れない。
ハンカチに吸われれば、もういつもの無表情。
この時、二人共まだ知らずにいた。
一緒に暮らすことは叶わずとも、この願いは思わぬ形で果たされることになると。
「別れは再会を甘くする」とは誰の言葉だったか。
時を飛ばして"現在"のロキとリヴィアンは互いに薄紫のリボンを結んでいた。
赤い糸の代わり、首輪の代わり。
どちらも要らないから所有の印は彼と彼女独自。
蝶々は美しく儚い。
だからこそ何度も生まれ変わって、確かに繋ぐ。
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