47:縁

どんなに泣いても決して目を擦ってはいけない。

翌日腫れて酷い顔になってしまうから。

これは女優時代から守っている鉄則である。


例え親が死んだ後でも、舞台の上では他人を演じて笑えと。



涙は残らずロキに舐め取られてしまったので、その必要は無かったが。

あれから泣き顔を愛でられながら半裸に剥かれた身体を甚振られ、その欲望を受け止めたので腰が怠い。

よくもまぁ飽きもせずに。


初めてキスしてきた時も強引だったので今更か。

恋人同士とはいえ無理矢理の行為。


ベルトとリボンを解かれた腕が痛む。

長袖なので他人からは見えないが、きっと布の下で痕になっている筈。

レモンブロンドに留まっていた愛らしい蝶々は死んで、赤いベルベットが冷たく床の上。

乱れてしまった髪と制服を直しながらリヴィアンは今までのことを思い返す。



去年の冬に出逢って、夏に恋が始まった。

雪の夜にプロポーズされた。

今日、子供を孕んでほしいと言われた。


ああ、もう潮時だ。


正直なところ来てほしくなどなかったが、いつか来るとは最初から知っていたこと。

別れるならロキが他の少女に心変わりするか、こちらがそっと手を離す時だと思っていたのに。

こんな形で失恋するなんて。



「……リヴィ先輩、ごめんね」


すっかり仔犬に戻った顔でロキが頭を下げる。

謝罪は素直、もう遅いけれど。


嫉妬心は情欲と一緒に流れ出てしまったらしく、飽くまでも優しく身を寄せてきた。

縋る手で抱き締めると顔を寄せ、誓いのように唇を重ねてくる。

今キスを許した覚えはないのだが。



「でも他の男とお話するだけで嫌なんよ……

僕だけ見てて、愛して、リヴィ先輩の全部が欲しい」


照れもせず濃藍の目は真剣な光を宿す。

ロキが愛を口にするのは同じ言葉を求める時と決まっていた。

どうかリヴィアンからも「愛してる」が欲しいと。



これがヒロインならば、きっと赤い顔で頷くハッピーエンド。

先程の行為も乙女ゲームなら強引なラブシーンくらいの物に過ぎず、執着と快楽で絡め取られることを愛と信じ込むのだろう。


生憎だが、悪女の人生はそんなに安くない。



「……無理な話だわ」


冷え固まった声が一つ。

ロキを押し退けて、返事は拒否のみ。


カーテンの向こうへ出て行く時、もうリヴィアンは元通り冷酷無比な悪役としての退場だった。

泥々に淫らな姿を晒した後とは思えない足取りで。



本棚の迷路を抜けた先にはやっと数人が見えてきて、貸出本を入れる手提げと花束は偶然そこに居た友人へ預けてきた。

涙は乾いても顔も洗っていないので「どうかした?大丈夫?」と心配されたが有無を言わせない様子を察してか何とか受け取った。


これで良い、邪魔な物は置いて行かねば。


広い図書館内を探し回っていたようで、背後にロキもようやく追い付いた気配。

しかし決して振り返ってはいけない。



中央棟は一階が天井の高い講堂になっているので、そこの二階は一般的な建物の三階相当。

窓から見下ろす地上までは遠く。


低い本棚を踏み台に、ガラスの向こうへ身を投げた。



「リヴィ先輩……ッ!」


飛び降りた瞬間、ロキの呼び声と友人の悲鳴が聴こえたが風を切る音に消えてしまう。

御安心を、死ぬつもりなら足から落ちない。

羽の生えた魔物のように軽々と着地して、リヴィアンはそのまま女子寮へ帰って行った。

急いでも階段からでは追い付けない距離、まんまと彼から逃げ遂せた。



エナジーヴァンパイアにとって情交は食事。


ロキから大量の精液を摂取したお陰で、今の身体能力は常人の何倍も高くなっていた。

肌に掛けられるよりも体内で直に吐き出された方がより効果を発揮する。

種を殺して、全てを単なる糧にと。


その気になればロキの凶行を止めることは出来た。

生気を奪い去り、寿命を削り、鬱々とした闇に蹴り落とすことすら。


ジェッソの時のように。



愛した男を殺せなかったなんて言うつもりは無い。

それどころか、今まで重ねてきた異世界で恋の終わりは死別と決まっていた。

先にどちらかが死ぬか、相手を殺したことも自分が殺されたこともある。


強いて言うならば、雪女の「あなたはまだ若い、見逃してやろう」といったところ。

ただし、魔女だと吹聴したら次は無い。

二度目の命拾いの理由となる子供は居ないのだし。




さて、指導室へ来るようにと呼び出されたのは自室へ戻ってからだった。


勿論、用件は図書館から飛び降りたことの説教。

生徒のほとんど居ない放課後だったので目撃者自体は少ないが、荷物を預けた友人がパニックを起こして教師のもとへ駆け込んできたそうだ。

まずは怪我の有無を確認、訊かれた動機は適当に。


こちらに関しては粛々と済んだが、リヴィアンからも話はある。

呼吸を整えて静かに頭を下げた。

その為に泣き顔も洗って、身形もしっかり準備してきたのだ。



「この場を借りて、懺悔することがあります」


顔を上げろ、背筋を伸ばせ。

悪役としての心構え、自覚、美学を持て。


この恋から息の根を止めなくてはいけない。



「立場を利用して、勉強を教えている下級生に関係を迫りました」


空気が一変して張り詰める、この感覚は知っていた。

指導室の教師達がざわめき始める。

罵りでも何でもすれば良い、そんなものは慣れっこ。



流石に最初こそ指導室で騒ぎは起きたが、その後のことは意外なくらい静かだった。

限られた教師の間で内々に処理され他言無用。


成人と未成年ではあるがまだ学生、優等生同士、該当する男子に別室で事実確認を求めると「真剣に交際していた。本当に関係を迫ったのは自分の方だから違う、彼女は悪くない」と否定していることから判断が悩ましいところ。

これがもし反対に教師と生徒、問題児、被害者が泣いていたら大騒ぎになったろうが。


結局のところ「痴情の縺れ」としてリヴィアンに対するお咎めは予想以上に小さく済まされた。



とはいえ説教や処罰はそれなりに。

一応は加害者という形になるので、それとなく教師達から監視されるようになりロキとは図書館の件から一度も顔を合わせていない。


レモンブロンドの髪からはリボンが消えた。

自分で結ぶには子供過ぎる。



そして何より、春からの図書館勤務は辞退させてもらった。

「学生に手を出す自分のような者がここに残ってはいけない」と頭を下げて、卒業一ヶ月前からの職探し。

遅いスタートではあるが遅すぎはしない。

孤児院を兼ねているシーライト学園は就職支援が手厚く、例え悪い子だとしても身一つで放り投げたりなどしないのだ。


とりあえず別荘という住処ならあるので、そちらに身を寄せての生活か。

貴族も御用達の観光地だけにあの辺りは金回りも良く、市場でも職なら沢山ある。

あちらの図書館で司書見習いに応募する手も。


それにしてもロキと生活した匂いが色濃く残っているあの家かと思うと、流石にしばらくは心が痛むのでいっそ模様替えでもしようか。

忙しくしていた方が余計なことを考えずに済む。


そういう訳で、春からの生活は呑気に構えていたのだが。



「あの……グラスさん、是非あなたに来てほしいと勧誘が一件あるのだけど……」


この話が舞い込んだのは職探しを始めてから数日後。

声を掛けてきた教師の恐る恐るという態度が何だか気に掛かったが、どこからの申し出か尋ねてみれば納得した。


ディアマン王国に於いて、この名を聞けば泣く子も黙るというライト伯爵家。



当然の話、貴族とはいえ片田舎のグラス男爵家とは一切関わり無し。

だというのに声を掛けられるとは、リヴィアンが知らないだけで父の代辺りに何かあったのだろうか。


そもそもの始まりから説明すると、ここシーライト学園を創ったのは筆頭公爵ライト家である。


学び舎を備えた国一番の大きさを誇る立派な孤児院。

彼らの祖先には周辺国の教育機関にまで多大なる貢献を果たした偉人アレキサンド・ライト博士が居るだけに、複数の学校を経営している。

長い歴史の中でこの家は他にも様々な分野にて名を残す傑物が多く、三大公爵家の中でも別格。



そして王女を母に持つ現在の公爵家当主の実妹に当たり「女帝」と名高きリナ・ライトの授かった爵位が、ライト伯爵。

花街や闇市などの領地を治め、汚れ仕事を請け負い裏社会にも通じているという恐るべき一族である。


何というか、まるで。






「悪の組織みたい、とは私も思っていたんですよ」

「ね?僕、一度も嘘は吐いてませんって」


アーモンド形の目を細めた笑み一つ。

明るい瑠璃色の髪が揺れて、シダーウッドが香る。



悪役女優は絶対に怯まない。

わざわざリヴィアンを欲しがる理由も気になっていたし、受けて立とうと心躍らせて制服で面接へ。

馬車での迎えは驚くことに見慣れた顔。

なんと例の整えた髪にスーツ姿のダヤンであった。


どういうルートか知らないが、職場探しの話がライト伯爵家に仕えていた彼にまで流れてきたらしい。

ちょうど女性枠での人材を探していたというスカウト。


「グラスさん、適性あると思うんですよね……うちのボスとも合いそうな気がしてて」


それにしても談笑する上で「悪の組織」とぼかし、最後まで名前を言わなかったのはこういうことか。

守秘義務くらいあるだろう。

リヴィアンに対して大したことは喋っていないが、多少は不敬に当たることも。



「……ところで私、そちらにはどんなふうに話が伝わってるんでしょうか」


学園での素行により回ってくる職は左右される。

脛に傷持ちということは書類の時点で知られている筈だが、果たして如何様にか。


「後輩との交際トラブル、くらいには聞いてますよ。別れ話が泥沼化して卒業後も学園に残るのは気まずいから、司書を辞退したとか何とか」

「まぁ、大体そんなとこで……」

「あ、年下の男の子がお好みのようでしたらうちは期待しないで下さいね?」

「そこはお気遣いなく」


ダヤンとは軽口を叩き合う仲だったのでこれくらいは挨拶程度。

実情より大幅にマイルドな表現をされているようだが、問題の相手が毛も生え揃ってない中等部の美少年とは耳に入っているのかどうか。

好奇心で根掘り葉掘りされる覚悟もしていたので拍子抜け。


それから何より、別れ話の原因がダヤンだとは彼自身夢にも思うまい。

無駄にロキが嫉妬心を燃やしてしまった結果、卒業後の進路が彼に繋がってしまったとは何たる皮肉か。



仕事内容など関しては事前に書面で知らされていた。

一から十までしっかりした明記。

それも侍女などの使用人ではなく、組織の構成員として。


悪くないどころかどこよりも給料が良い。

確かにダヤンも卒業前に「待遇が一番良かった」と言っていた。

金の出所などは考えない方が良いのかどうか。

それにしても、本当にリヴィアンの何が買われてスカウトされているのかよく分からない。



そうこうしている間に到着したようだ。

学園から馬車に乗り、面接会場は伯爵家の屋敷。


「悪の組織」なんて言うものだから、つい特撮のセットでよくあるような基地を思い浮かべてしまったのだが流石に妄想し過ぎ。

見るからに実家の男爵家よりも大きく格式高そうな屋敷が聳え立っていた。

淡いグレーの煉瓦造りは落ち着きがありつつも閉鎖的な雰囲気で、どこか要塞を思わせる。

加えて警備の多さや物々しさも段違い。



「……どうぞ」


絨毯の敷かれた長い廊下を抜けた先、重々しい両開き扉。

ダヤンがノックすると気怠げな低い返事。


今生はシナリオを知らず自分の意志で動いているだけに、明日のことすら見えやしない。

ダヤンから繋がった縁の糸は思いもよらぬ方向へと伸びてリヴィアンと結び目を作る。

あの声の主こそが、後の夫になることなど知る由もなかった。

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