42:逢引

一昨日は光沢が滑らかなカナリア色で溌剌と。

昨日は透け感のあるアクアブルーで涼やか。

今日は刺繍レースのアイボリーで清楚に。


旅行で習慣化して以来、それは帰ってからも毎朝続いていた。

確かにお洒落すると気分が高まるものなのだが、いちいち意識するのもロキくらいではなかろうか。

学園でも人目の無い場所は探せばあるもので、ひっそり隠れては身を任す。


これがランジェリーなら艶っぽいが、別に猥談ではない。

何のことかといえば、リヴィアンの三つ編みの先に留まるリボンの話である。



寮生は男女で建物が違っても食堂だけは同じ。

開いている時間内に足を運んでそれぞれ自由に食事を取るスタイルなので、その気になれば日に三度は顔を合わせる。

国で一番大きく環境や設備などしっかりした孤児院だけに、シーライト学園は初等部から高等部までと生徒の数が多い。

昼は一般の生徒も利用する場所だけに広い造りだが、時間帯によっては混雑時になり他人がどうしてたかなんて特に誰も気にせず。


朝食の席で待ち合わせして、二人連れ添って抜け出す先は階段下の倉庫。

ほとんど隠し部屋めいた場所なので食堂の職員でも滅多に入らず、普段は忘れられている。


中は閑散と冷気が保たれており、軽く掃除して積もった埃も追い出した。

半分地下になっているので窓は高く小さく、射し込む朝陽で優しい明るさ。

ちょっとした逢瀬にはお誂え向き。



「あぁ、可愛く出来たわぁ」

「ん、いつもありがとう……」


ここで毎朝リヴィアンの髪を編み、蝶々結びで完成。

そちらからやりたがったこととはいえロキも上達したものである。

ヘアケアに使われたラベンダーの香油。

彼の指先も艶々と染めて、淡くも薄紫色が匂い立つ。



「結びたいからリボンを持ってきてほしい」と言われたのは、旅行から帰ってすぐのこと。

いつの間にか櫛や鏡も加わり、夏が過ぎる頃には髪を梳かされるところから始まるようになってしまった。


それにしても随分とリボンが増えたものである。

旅行先で贈られた、あの星空刺繍のベルベットが始まりの一本。

以来リヴィアンに似合いそうな色を見つける度にロキが気軽に集めるようになり、今や幾つあるのやら。

子供の小遣いで買えるような物とはいえ、値段の問題ではないのでもう結構と遠慮しているのだが。


ちなみにその数多くのリボンを管理して、毎日違う色を選んでいるのはロキの方。

男の手で朝に生まれた蝶々は夜に散らされる。

そうして回収され、繰り返す生死。



「制服真っ黒で味気無いし、僕の手で先輩が可愛くなるの嬉しいんよ」


こんなことを言うロキの方がよっぽど可愛いのだが。

色艶の良い真っ直ぐ流れる銀髪。

優美な濃藍の目を細め、いつも眩しげにリヴィアンを見つめるのだ。


しかし、この容姿は飽くまでも盗品。

そうした認識だけに褒め言葉は素直に受け取れず。


「ロキ君、私に対するフィルター曇ってるから信用ならないわ……」

「えっ、何なんそれ?」

「寝起きのボサボサ頭ですら可愛いって言うじゃないの」

「あれはあれでフワフワしてて可愛いんよ」



女優だった頃もあるので、ヘアメイクを人任せにするのは慣れている。

それこそ役に合わせてお姫様から魔女まで七変化。


勿論、三つ編みなら自分で出来るのだが。

結局のところ引っ付きたい口実、少年の気持ちを分かっているので好きなようにさせて今に至る。

凝り性なのか向上心か、最近はヘアアレンジの本を読んでいることもあり。


「リヴィ先輩、今度は編み込みも練習してみたい」

「今度ね、もう戻らないと」


逢瀬があるので早めに来ているが、いつまでも戯れ合っているとそろそろ混み始める。

朝食は済ませたが人が増えると目撃される恐れもあり、一応は秘密の関係なので油断出来ず。

名残惜しくてもそろそろ時間切れ。



「あ、今朝まだチューしてなかったんね」


だというのに、子供っぽく振る舞われるとガードが緩んでしまう。

故意なのやら無意識なのやら。



身長はリヴィアンの方が高くても木箱に腰掛けている状態なら問題無い。

向かい合わせで膝に乗ってきて抱き着く形、そうして上を向かせて唇を重ねる。

平均より華奢なロキとはいえ、密度が違う男性の身体。

流石に重くて動けなくなるのだが決して不快でない。


仔犬が成犬になってからも変わらず甘えてくるような、そんな雰囲気。

良くないと思いつつ求められると応じてしまう。






「こんにちはリヴィ先輩、ここ空いてます?」

「……どうぞ」


その日、昼食には約束していなかったのだが。


それほど混んでいない食堂、長テーブルの空いていた向かい席。

偶然を装った他人行儀な声でロキが椅子を引いたものだから、白々しさにリヴィアンは笑いを噛み殺した。



しかし今はお互い連れが居るので、軽く挨拶のみ。

「心を許すような友人が居ない」とベルンシュタインに心配されていたが、それも半年前のこと。

ロキの隣には寮の同室だという男子が一人、名はアルネブ・ゼノタイムだったか。


攻略対象の友人は攻略対象とも限らず。

柔らかそうな茶髪にくりっと丸い目は可愛らしいが、可能性は薄そうである。


こちらの連れ、以前からロキとのことを冷やかしていた友人達に笑われて適当にあしらう。

去年まではダヤンとの仲を聞かれたものだったが、今回は本当に付き合っているので下手なことも言えず。

女子だけに色恋沙汰の勘が鋭い。



だというのにテーブル下、脚に何かが触れてきた。


顔を動かさないまま視線だけ移せば、正体はロキの爪先つまさき

上靴を脱いでリヴィアンの脛を撫でている。


これが単なる悪戯なら可愛いものだが。

どうやら器用なのは指先だけでないらしく、ハイソックスを下げようとしているので密かに焦った。

片脚だけ妙に涼しくて何となく不快。

テーブルを挟んだ向こう側、飽くまでも素知らぬ顔をしているのが忌々しい。



嘘でも「蹴らないで」と咎めようかと思いつつも、なるべく連れに気付かれたくなかった。

もうリヴィアンの方は食べ終わるのも秒読み。

ここは穏便に退散することにして、食後のコーヒーを一気に飲み干す。


まだ熱くて少し舌を火傷したが痩せ我慢して席を立つ。

椅子を戻す際に腰を屈めると、涼しい顔を保ったままさり気なく靴下の丈を引き上げた。


ロキだって単純な嫌がらせをしたかった訳ではない。

悪戯の理由は、リヴィアンのふくらはぎに残る赤い花。


誰が咲かせたかなんて、そんなの明白。



恋い慕われている実感なら重々にあるのだが、これは「溺愛」と言わない。


考えてみれば、溺愛とは位置関係が高い方から低い方への愛というニュアンスを受ける。

親から子、師から弟子、飼い主からペットになど。

過保護の意味合いもあるからであろう。


ついそう思ってしまう所為か、"彼女"はそうした願望が全く無い。

お伽噺は好きなのだが、昔からお姫様よりも魔女に惹かれてしまうのだ。

最初から王子様なんて要らない。



ロキの場合はリヴィアンに対して自ら深く信頼を寄せ、愛らしく従順に振る舞う。


要するに、気を抜くと主人と従僕の空気になってしまうのは何なのだろうか。

恋人同士が二人だけのロールプレイで遊ぶなんてよくあること。

それが彼の望みであり、彼女も愉しむので確かに問題は無いのだが。

こうして戯れ付いてきたと思いきや、突然甘噛みしてくるのは相変わらず。



テーブル下で相手の靴下を爪先で弄る悪戯は小説の一幕でも読んだことがあった。

あれは女王様と奴隷のような恋人関係が時を経て逆転する、愛と復讐の物語だったか。

もう随分と昔のことなので、あらすじすらうろ覚え。


ロキとリヴィアンもいつかそうなる道もあるのだろうか。

ゲームの世界から外れた関係だけに、辿る先は全く先が分からず未知。


しかし無理になぞらえて考えようとするのは危うい。

行き過ぎれば結局は雑念になり、正面にあるものを見る目を鈍らせてしまうだけ。

故に打ち払って、午後からのことを思う。



文句の一つでも言って早々と終わりにしたいところだが、今日は勉強会が無い日。

それは別としても図書館に行ったところで果たして会えるやら。

中等部と高等部の学校生活は擦れ違い。


ここは大人しく夕飯時を待とう。

きっとロキにとっても長く感じて、それこそが罰。






「リヴィ先輩、怒ってるん?」

「そう思うくらいなら、最初からやらなきゃ良かったのよ」

「むぅ……」

「…………」


基本的に無表情のリヴィアンは何を考えているか読ませない。

あの真っ暗な目で黙って見据えられれば、大抵の者は勝手に畏怖してしまう。



夕暮れの倉庫は随分と雰囲気が様変わり。

灯りを点けると外から見えてしまいそうで光源は沈みかけの太陽のみ。

片隅に溜まった闇が何とも陰鬱ではあるが、子供じゃあるまいし怖がったりせず。


髪を編む朝と違い、リボンを解くだけの夜は素っ気なくともすぐ済む。

愛らしい蝶々は呆気なくレース編みの蛇に戻る。



「リヴィ先輩、もう帰るん?」


アイボリーを巻き取った手で引き止めながら、寂しげな声一つ。


この後は男子と女子の寮に分かれる。

長い夜を越えて、明日の朝まで離れ離れだった。

リヴィアンが振り返れば、濃藍の目を潤ませて捨てられた仔犬の顔を向けてくる。


これが心優しいヒロインならば情に訴えられて有耶無耶に許すのだろう。

もしくは意地を張って無視して、一晩悔やむか苛立つか。

しかしここに居るのは悪役、そこまで甘くない。

そして暗褐色の目は、少年が秘めた本当の欲を見透かしていた。


怒らせて、叱られたかったのだ。

許すのはその後。



「お仕置きされたいなら後で来る?」

「はい……行きます」


リヴィアンの方が軽く屈んで目線を合わせてから告げると、一瞬震えたロキは泣きそうな顔。


物騒な言葉に怯えてしまっている訳でない。

返事に混じっていた吐息の熱は、むしろ反対の証。

こちらを見上げる目がもう期待で溶けかけ。

興奮するにはまだ早過ぎる。


とはいえ、お望み通りでは罰にならず。

さて、どうしてくれようか。



二つの寮を繋ぐ食堂は職員達が帰った後に閉まってしまう。

夜の校舎内も同じく無人。

確かに逢瀬の場としてありがちではあるが、ただ、それは忍び込めればの話。

鍵など持ってやしないし、入り込める隙間もあらず。


最初からそんな必要は無い。


鍵が掛かって好きなように過ごせて、他人の声や目を気にせず、横になれる場所ならあるじゃないか。

わざわざ抜け出さなくても良いのだ。


女子寮の三階、角の一人部屋。

リヴィアンのベッドならば邪魔が入らない。




早寝早起きと決まっている寮の消灯から一時間経過。

それでも夜中と呼ぶには少し浅い。

学園の敷地内から遠く、まだ眠らない民家や店も幾つか。


日暮れが早まって星空も季節が移り変わる。

別荘の屋根から見た夏の大三角に、秋の四辺形まで。



木々を揺らす風すら耳をざわめかせる静寂に、窓ガラスを叩く音。


ベッドサイドのランプで本を読んでいたリヴィアンは物語の世界からゆっくりと浮上した。

なかなか面白い話なので続きが気になるところだが、この読書は暇潰し。

栞を挟んで机に置くと、スリッパの足で掃き出し窓へ向かう。



「こんばんは」


開いたカーテンの向こう、少年はそこに居た。

夜風を浴びた銀髪は月を思わせる色。

隠れんぼのように身体を丸めながら、人差し指を唇に当てて悪戯小僧の表情。



洗濯用のベランダは小さめで、柵などではなく胸の辺りまで壁の一部が突き出た形。

こうしてしゃがみ込んでしまうと少年の姿は完全に潜み、外や隣の部屋からでも見えなくなる。


平均より小柄で身軽なロキだが運動神経は並。

外から登るにしても掴まるような所もほとんど無く、そこそこの高さ。

普通ならば、どうやって来たのかと疑問が浮かぶ。



それこそ魔法でも使わなければ。


何百年も前に魔女狩りが行われて以来、この世界では絶滅してしまったと言われている存在。



古来より、怪物は招かれねば入って来られない。

ロキに化けた何か別の者ではないかと錯覚しそうな一幕。

あまりにも静かで綺麗な夜だから。


「どうぞ」


歌で惹き付けられ、垂らされた長い髪を登るなら王子様とお姫様の作法。

怪物を喚ぶにはそんなもの要らない。

月を浴びながら目を細め、迷わず魔女は招き入れた。

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