40:青空
列車から運ばれてきた観光客達が到着して、活気のある市場は昼過ぎから更に人が増えた。
この辺りは温泉だけでなく生活に密着した商店から洒落た服屋やレストランまで勢揃い、じっくり見ようと思えば丸一日でも足りぬ。
何の祭りと思ったらこの先の広場にサーカスが来ているそうなのだが、リヴィアンとロキの知ったことではない。
混雑を逆方向に擦り抜けて、早めの退散。
住人くらいしか通らないハイキングコースまで辿り着いて、やっと深呼吸をした。
生々しい緑の匂いが満ちて穏やかな気持ち。
家まではもう少し。
まだまだ夏の太陽は高く、一休みしてからでも時間はある。
リヴィアンは安堵したところだったのだが、どうやらロキの方は違った。
「……リヴィ先輩、僕もう我慢しなくても良え?」
反射的にお手洗いのことかと思ったが撤回。
繋いでいた手を緩め、掌に指先で丁寧に撫でてくる。
その骨張り、硬さ、長さ。
リヴィアンとは全く違う、紛うことなき男の物。
見上げてくる濃藍の目には熱が宿っていた。
睨むような、縋るような。
「今日のリヴィ先輩……首筋出てて無防備だし、湯上がりでやっぱり良え匂いするし、何なんもう……」
「勝手に欲情しといて、そっちこそ何なのよ……」
そこまで言うなら早く帰ろうか。
だからこそ駆け出そうとして手を引いてみたのだが、ロキは動かない。
「僕、今日はお外でシてみたい」
そう来たか。
もう片手に持っていた鞄が落ちて、抱き寄せられた身体。
剥き出しの首筋を甘噛された。
もし獣ならば一撃で仕留められているところ。
リヴィアンが痛みで瞬間的に強張った直後、鎮めるようにロキは歯型を執拗に舐めてくる。
自分で傷付けておきながら、非常に狡い舌。
しかし流される訳にはいかず、待ったを掛けた。
「こんな森の中、誰も見てないんに」
「いや、ご近所さん普通に通るわよ……」
これだから山の素人は。
思わず額に手刀を落とすところだった。
例えばこうして同じ場所に居ても、知識や経験などで見えている物が全く違う。
周りが木々で覆われていてもこれだけ足場が整備されているのだ、今はたまたま遭遇しないだけの話であって近隣住民の人通りは普通。
ロキからすれば旅の恥は掻き捨てだろうが、第二の住居を構えているリヴィアンの身にもなってほしい。
要望に答えられて、人目を気にしなくても良い、そんな都合の良い場所なんて。
「まぁ……あるには、あるわよ」
本宅と比べれば小さいが別荘もそれなりに立派な物。
家の裏はちょっとした林になっていて、ここら一帯もグラス家の敷地内である。
境界に高い垣根が張り巡らされており外から見えず。
庭に当たるのでよほどの不届き者でもない限り、人も獣も侵入してこられない。
リヴィアン一人で管理するには持て余していたが、初めて役に立つようだ。
それがまさか青姦とは思わなかったものの。
前世で秋のヨーロッパを旅行した時「公園には行くな」とガイドに警告されたことを思い出した。
枯れ葉に混じって使用済みの避妊具や危ない薬の注射器が落ちているので、踏んだら不味いと。
世界的に有名な観光地の森が夜には売春の温床になっていた、なんて実例もある。
あの時はこんなところで盛る人の気がしれないと思ったのに。
どうして無茶な欲求に応じるかといえば、何もリヴィアンが好色なだけではない。
胸に残っている先程の罪悪感が防御を緩めさせた。
身体だけ求められるような空気の方が気楽。
六度の人生で愛も恋も酸いも甘いも知っている、勿論。
とはいえロキのような相手は七度目で初めて。
崇拝という形ならば女優だった頃に沢山居た。
けれど、この少年はまた違う。
ここまで本気で尻尾を振って、腹を見せて、まるで歓喜を以て服従する仔犬。
他人には心を開かず当たり障りなくやり過ごしているくせに。
かと思えば、ふとした時に凄まじい色香で"彼女"の全てを欲深く求めてくる。
何かの目的があって媚びるだけならまだ分かるのに。
初恋は呪いとよく言ったものだ。
差し出されるのは純真無垢なる巨大な感情。
この綺麗な濃藍には一人きりしか映さない。
どうして"私"なの。
鞄だけ玄関先に置き去り、場所を変えて家の裏側へ。
雑草が高く伸びた箇所もあれど、砂利が敷かれて緑の少ない箇所もあるので足の踏み場はある。
露出は最低限、横になるどころか座れる切り株や岩なども無いので最初から最後まで立ったままになりそうだ。
一応虫除けのアロマを周辺に吹き付けて、鮮烈なペパーミントが匂い立つ。
リヴィアンが大木に背中を預けると、幹に片手を着いたロキが顔を近付けた。
こうなると挟まれて逃げ場が無くなる。
身長差は大体握り拳一つ分、銀髪を搔き上げて額にキスを落とすにはちょうど良いくらい。
あちらから唇を重ねてくる場合は背伸びが必要。
葡萄の後味が絡む舌。
喫茶店では冷たかった甘みが今は熱を呼ぶ。
目を閉じた薄闇に遠くの鳥と虫の声だけが響き、ますます静寂を深める。
ここで身体を重ねるとは、獣になるということか。
それにしてもリヴィアンに無防備だなんて言うロキこそ首元が広いのだが、自分は良いのやら。
襟から大きさまで緩めのトップスに、黒いタンクトップが覗く。
撫肩なので余計に下がりやすいのか。
一方ボトムスは細めなので窮屈になる前にと鈎を外した。
あちらから言い出しただけに、もう深いキスだけで反応が始まっている。
抱き着いても腕が余るので、こうするとロキの細さがよく判った。
それでも確かに引き締まった男の身体。
柔らかい女の身体は隙間なく吸い付いて一つになる。
夏の森林にも桜は咲く。
汗ばんだ白い首を少年が再び噛み、今度は薄紅の花が刻まれた。
「僕には、リヴィ先輩しか居ない……先輩だけ大好きなんよ……」
憎しみとは愛から生まれる物であり、ただ憎しみしか無い者から負の感情を受けても薄っぺらくて退屈。
多少は期待していたのだが、結局は単なる八つ当たりや遊びだった時は全く満たされずに「その程度?」と落胆の溜息を吐いたことすらあった。
"彼女"の闇は無数の髑髏を沈めた底無し沼。
深淵を持つマゾヒストは、時に青褪めた加害者を恐怖で震え上がらせる。
いつかロキの愛も反転するのだろうか。
この世界のことを何も知らないから、分からない。
結び合わされた縁のリボン。
その時、自分にとって絶望になるか愉悦になるか。
***
R18版は小説家になろうムーンライトにて「悪役専門の死にたがり女優ですが、知らない乙女ゲームで迷走してます」の方に掲載してます。
【R18】悪役専門の死にたがり女優ですが、知らない乙女ゲームで迷走してます
https://novel18.syosetu.com/n1787iv/
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