37:初夜

昼過ぎの玄関先で灯った情欲は、ベッドで盛りを迎えてから緩やかに鎮まった。

そのまま揃って一眠りしたら赤い空。

朝か夕か判別付かず、夢見心地で時計を確認した。


抱き合ったまま心地良く意識を手放したものだから、寝返りが打てなくて少しばかり身体が固まってしまった感覚。

鼻先に乱れた銀髪がくすぐったくて、リヴィアンの乳房を枕にしていたロキを起こした。

こうしていたら可愛いのだが。

生え揃った牙はやはりまだ幼く、仔犬の欠伸。


「リヴィ先輩、おはよ……」

「夕方だけどね……それと、お疲れ様でした」


ベッドサイドに置かれた洗面器の水とハンドタオルは身体を軽く拭くにもちょうど良い。

ミントとレモンのハーブティーを飲み干して一息。



新しく出した下着とシャツで肌を隠して、ベッドに転がる身体二つ。

窓を開けて吹き込んだ真夏の風が気怠さを撫でていく。


こうして深い仲になった以上、お互いに話すことは色々。

ピロートークは今まで明かさなかった身の上。

寮生は訳ありばかりなので、家庭に纏わることを避けるのが暗黙の掟だったのだ。


とはいえ口にするのは飽くまでもリヴィアン・グラスという少女の半生。

四年前の冬に馬車の事故で両親を失ったこと。

男爵家の生まれだったが、貴族籍を返上して実家なども売り払ったこと。

この別荘は唯一グラス家名義で残した土地であること。


矛盾点に注意しながら、説明し難い部分は伏せつつ。

とりあえずどこにも嘘は無い。



対するロキもそれなりにドラマあり。

アルジェント地方出身であること、名前の仔犬座は両親の趣味であること。

それは前にも聞いたが、占星術師の子供であることは初耳だった。


「あんまり大きい声では言えんけどなぁ……この国で魔法使いは危険視対象だし、占い師も胡散臭いとかイメージ良くないし」


何世紀も昔、天文学と占星術は同じ物とされてきた。

二つは枝分かれして魔女狩りの過去もあり、後者は非科学的な上に宗教が絡んだり国固有の物だったりとなかなか面倒臭い。

ロキの両親も表向きは天文学者だったが、占い師として裏の顔を持っていた。


「で、ロキ君は占い師にならなくて良いの?」

「いやぁ、医者の方が将来的に安定するので」


その両親も今は亡く、頼る者が居なければシビアにならざるを得ない。

自分の適性や興味や成績などと合わせて冷静かつ真剣に考えた結果、医者を目指すことにしたとのこと。

星は好きでも天体観測を趣味に留める程度。


ところで、こんな秘密をリヴィアンには明かすのか。

その厚い信頼は何なのだ。



「……ロキ君、私の何がそんなに好きなの」


そう、前から気掛かりだったこと。


昔々ラブロマンスを演じる時「人を好きになることに理由なんか無い」なんて臭い台詞を舞台で吐いたことを思い出した。

しかし実際のところ、向けられている側からすれば訳の分からない好意は怖い物でもある。

本来、愛とは多かれ少なかれ暴力性を含むのだ。


酔ったリヴィアンにキスしたことから始まった。

こんな美少年がそこまでして自分を欲しがるのは何故なのだろうか。



「リヴィ先輩は、クールな人なんね」

「ん……そう……?」


今、褒め言葉というより気を遣われたかもしれぬ。

暗い、愛想が無い、表情に乏しい。

これらを内包する意味でもあり自覚も重々、なので素直に受け取れず曖昧に返事をすると。


「だからちょっと笑うだけで、なんかもう、僕には凄い突き刺さるんよ……」


胸の辺りを押さえながらロキが呟いた。

恥ずかしげに、愛しげに。



勉強を教える仲から始まって、この半年で普通に友人と呼べる関係にまでなった。

心を許し始めた頃には意識せず笑みを見せることもあったと思う。


というのもロキの方から懐いてくれたから。

人間関係とは大抵が鏡。

親愛を示してくれるからこそ、リヴィアンの方も返すようになったのだ。

それなら「愛想笑いで周りと深く関わるのを避けている」という少年がすぐ心を開いたのは何故か。


何だか、これでは、まるで。



「本当は僕、ベルンシュタイン先生に紹介される前からリヴィ先輩のこと気になってたんよ」


初対面から既に好意を持たれていたとは流石に想定外だった。

知り合ったばかりの頃は特別に優しくしたつもりがないにも関わらず、懐いてきた本当の理由。


それにしても「ちょっと笑うだけで」とは、いつのことを指しているのだろう。

基本的にリヴィアンは無表情だが変わりにくいだけ。

それなりに親しい友人も居るので談笑することもあり、面白い本があればひっそり顔に出る。

どこから視線を送られていたかなんて分かるものか。



「先輩が可愛いことバレるから、そういう顔は僕だけが独り占めしたいな……ってことばっかり考えてて、これは"恋"で合ってると思うんよ。

今まで人を好きになったことなかったから分からなかったけど……」


確かに、もし可愛らしい顔立ちに柔和な容姿のリヴィアンが常に笑っていれば春の花。

借り物の身体なのでこうした客観的な見方は出来る。

そうしないのは素顔が無表情であることと、厄介事を避ける為。

特に太めの者がにこやかでいると、他人からやたらと包容力や明るさを求められることだし。


「全方向に笑顔を振り撒いてると、変な奴まで寄って来たり舐められたりするのよ」と一度目の人生でモデル業の友人も渋い顔で言っていた。



「ちょっと、待って……」


それは置いといて、今しがた聞き捨てならないことを言われた気がする。


ロキがキスすら未経験なのは察しが付いていた。

それどころか、まさか初恋までも奪ってしまったとは。


なるほど、ヒロインに該当しそうな女性の心当たりが無い筈である。

そして思っていた以上にリヴィアンは罪深いようだ。

大きい胸が好みなのか身体目当てではないかとも疑いを持っていただけに、申し訳なさがますます強くなってしまう。



「あと、人の匂いのことってあんまり指摘するもんじゃないと思うけど……リヴィ先輩、めちゃめちゃえ匂いするから堪らなくなるんよ……」


リヴィアンを抱き竦めて肩にロキの頭が寄り掛かる。

これまた恍惚と、熱っぽい囁き声で。


はて、ベースのラベンダーはむしろ安眠や落ち着く成分の筈なのだが。

催淫効果といえばイランイラン、ジャスミンなど。

他にブレンドしたアロマもそうした物は使ってないのに。

香りは時に媚薬となってしまう。

どういう訳だか、ロキには涎を垂らしそうな興奮作用を生んだらしい。



「そんなに気に入ったのなら、私のアロマミスト一本あげるけど……その前に、お風呂行かないとダメね」


そろそろ話題を変えようか。

また欲情されても応えられず、シャツを脱がされる前に手を取ってベッドから降りた。

全身で汗を掻いた後なのでハンドタオルでは足りなかったし。


階段を下りたら、まず大量の湯を沸かさねば。



相当古い家なので風呂という物は無く、タイル張りの洗濯室が浴室を兼ねていた。

バスタブ代わりの大きいたらいの中に裸で立って身体を洗い、バケツ一杯分の湯で泡を流して終わり。

髪も洗う時はもう一杯必要。


ゆったりとしたければすぐ近所に温泉もあるし、シャワー程度の場合はこれで充分。

こうした入浴法は前世の本で読んで知っていた。

「汚れた湯に全身で浸かる泡風呂よりも衛生的」だと書かれていた覚えも。


今日からは二人分なのでバケツ四杯。

沸騰するまで待つ必要は無いが、なかなか忙しい。



「一緒に入るのは有りなん?」

「無しね、狭すぎるし次のお湯沸かさないと」


両手の人差し指でバツを作って拒否。

ロキだけ一人残し、リヴィアンは「クール」に去る。

自給自足の家ではやることが多いのだ。




パッチワークのテーブルクロスに湯気の立つ皿。

お互いに湯を浴びた後、食卓に着いた。


湯を沸かす片手間に夕飯の支度。

スープの具材を鍋で炒め、水を加えて煮込めば完成。

湯上がりのロキには吹きこぼれの注意だけ頼んで入浴を交代した。


夏なのでトマトを使うミネストローネ、出汁はベーコン。

加えて焼いた卵とパンがあれば立派な食事。



「リヴィ先輩、料理出来たんね。美味しいわぁ……」

「人並みには」


ロキは感激しているが、リヴィアンからすれば得意だなんて大きいことは言えない。

何しろ料理のハードルはそれぞれ土俵が違い過ぎて「世界による」としか。


例えば野菜や肉を何時間も煮込んだり漉したりして作るコンソメスープが、現代では固形キューブ一つ。

調理器具に食材に味覚の違いにその他諸々、比べれば果てが無いのだ。

現代だとしても、日本で好まれる物が外国でも同じように喜ばれるとは限らないことだし。

ここは近代に近い乙女ゲームの世界なので食文化や歴史など混ざり合っており複雑。


ちなみにシーライト学園にも初等部から高等部まで調理実習はある。

自立する為の支援に手厚く、学生のうちに生活力を高めておくのも授業の一環。



「明日からはロキ君も手伝ってね」

「分かってますよ、僕はお客さんじゃないし」

「聞き分け良いわね……まぁ、そういう約束だったけど」

「この方が新婚っぽくて楽しそうだなぁと思うんよ」


そうして可愛らしく照れるものだから、誰が咎められようか。

初恋の相手との交際に旅行に初体験を一度に迎えたのだ。

少年が色惚けても無理あるまい。


夏というのは人を浮かれさせる季節でもある。

かく云うリヴィアンも例外でなく。

普段は感情に振り回されないにも関わらず、ゆっくりする為の旅であり秘密の隠れ家に自らロキを招待してしまった。

一人と二人は全く違い、予定を全て組み直すことになっても。


流された訳でなく、ちゃんと好きなのだという実感。

数日前までほんの子供だと思っていたのに。




食事と片付けの後、旅行最初の一晩はきっと大人同士なら酒盛りするところだろう。

規則正しく早寝早起き生活の寮から解放されたのだから羽目を外しがち。

夕寝した後なので夜更かししても平気ときた。


「私、もう今生は禁酒するわ……」

「あらまぁ、それ僕の所為?」


ロキの返事は腹立たしい程の白々しさ。

頬でも抓ってやろうかと思ったが、却って悦ばれそうなのでリヴィアンは沈黙で肯定するのみ。



食後の一杯、二人はグラスに暗紅色を並々と注ぎ合った。

この辺りは果物の名産地かつワイン工房もある。

ただし十代なので葡萄ジュース、これもそれなりに高品質ではあるが。

チーズの盛り合わせとクラッカーで雰囲気だけは味わいつつ。


この身体はどうやら酒に弱いことが発覚したので、今後は避けた方が無難。

サバランのシロップ程度で目眩がしてしまった。

未成年のロキも呑ませる訳にいかず。


それに、これから高い所へ上るなら酔っ払いなんて危険過ぎるのだ。



夏の天体観測なら8時から10時、葡萄ジュースは夜更けを待つまでの繋ぎ。

寝室にある明かり取りの高い窓は梯子を使えば外へ出られる。

少し冷えるが、三角屋根の上で星を見る予定。


今度はリヴィアンがロキに夏の大三角や蠍の心臓を教えてもらう番である。

この身体は頑丈なだけでなく視力も良いようで、一等星ならすぐに見つかるだろう。


ああ、何だか今夜は寝たくない気分。

酔ってもいないのに鼻歌を奏でながらリヴィアンは無意識に微笑んだ。



「あー、もう、だからその顔なんよ……」


あちらもまた酔ってもないのに染まった頬のロキが葡萄の香る溜息を吐いた。

負けを認めるような、胸が痛むような声で。

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