32:七月十日

学園の中庭が雪に包まれていた日々はもう遠い昔のことのようだった。

幾つもの花が散っては枯れ、この時期には小さな太陽を思わせるマリーゴールドが群れを成して満開。

鮮やかなオレンジや黄色にも無数の雫を散らし、夏は輝きを増す。


生命の盛りを告げる強い陽射しを吸い込んでしまう、上下共に黒の制服。

この学園で過ごす夏は一際暑い気がする。

それも平日の話であり、今は皆一様に濡れても構わない恰好。

寮生達が集まって水遊びの真っ最中。

降り注ぐ光と水飛沫の煌めきで虹すら生まれそうだ。

なんて麗しい土曜日の午後か。



毎月一度、寮生達はレクリエーション日がある。

高等部から中等部が交代制で主導者になり、幼児から初等部までの生徒と遊んで親睦を深めるのだ。


今日は待ちに待った水鉄砲遊び。

何をやるか会議した時、何の気無しに意見を出してみたら皆の興味を引かれて採用されてしまった。

そして唯一作り方を知っているリヴィアンが実行隊長に任命されたのは当然の話でもあり。


現代なら水鉄砲作りにしてももっと手軽にペットボトルを利用する手もあったのだが。

無いなら無いで工夫次第、節のところから切り落とした竹でも出来る。

本来ヨーロッパ風のこの国でほとんど見られない植物だったのは昔の話。

約三十年前から東洋との貿易が盛んになり、和風庭園やパンダの飼育で植えられるようになった。

竹林は地茎を通じて侵略する速度で広がってしまうので手に入りやすい。


簡単に言えば注射器の要領。

筒になる竹の節面の中心に錐で穴を開け、布をきつく巻き付けた細い竹で水を押し出すのだ。

鋸だけは年長者に任せて、材料も作業工程も少なく済むので丁度良い。

室内活動が多い雨の日のうちに作っておき、やっと晴れたので子供達は楽しみにしていた。



しかしリヴィアンからすれば何となくもどかしい。

道具など使わなくても、水の扱いならばそれこそ自由自在だったこともあるのに。


元、水属性の魔法少女でしたから。



ある世界、ある国でのこと。

悪の組織の首領に完全敗北して捕らえられ、闇に染まった魔法少女が居た。


本来のシナリオでは何度も敵として主人公達の前に立ち塞がり、首領の子である恐ろしい怪物を産まされ、身も心も壊れて無惨な最期。

そんな悲劇のヒロインがいつの間にか房中術の使い手と入れ替わっていたことは誰も気付かず。

エナジーヴァンパイアは情交で密かに生気を吸って蓄え、種を残らず殺し、最後にはベッドで首領の全てを喰らい尽くした。

「私が跡を継ぐから安心して死になさい、愛する旦那様」と残酷に見下ろす目。

それはもう蕩けるような熱っぽさで微笑んで、心の底から生涯一の恐怖と絶望を味わい冷え切る彼を看取った。


というのも、この首領は酷い行為を重ねて傷付けながら「愛する花嫁」と甘く囁き続けていたのだ。

その言葉に縋るしかなかった魔法少女は盲目的に首領を愛するようになるが、全ては偽りであり魔物を産ませる為の嘘でしかあらず。


悪役が冷血であること自体は大いに結構、けれど、こんな三流の奴では駄目だ。

その怪物だって魔法少女を壊す為の役目を果たしたら、碌な見せ場も無いまま倒されることが決まっていたのだし。

ただでさえそんな退屈な展開だというのに首領の正体こそ転生者。

シナリオに書き換えて主人公達を含めた魔法少女全員を堕落させ、ひたすら子を産ませ続けるハーレムを築くエンディングを目論んでいたようだ。


ああ、彼らでは私を何一つとして満たせない。

企みを潰して主人公達が勝ったとしても、最後の敵が度量も美学も誇りも無い者では物語そのものの質が落ちてしまう。


斯くして、魔法少女を助けに来た筈の仲間達は威風堂々たる邪悪の女王と対峙する。

こうして葛藤と涙の末に全力で戦い、討ち滅ぼした。

それで良いのだ、この方がずっと面白い。


主人公の親友であり、水と闇の魔法少女であり、二代目首領ブルー・マリヌ。

華々しい死によって物語を閉じた"彼女"の人生の一つ。



そうして呆けていると、水飛沫が頬に飛んできて我に返った。

追想はこのくらいにしておこう。

今の自分はリヴィアン・グラス、乙女ゲームの悪役令嬢。


壁に的も用意してあったが、いつの間にか子供同士で水の掛け合いをする方が白熱中。

あまり近くで打ってはいけない、入れるのは綺麗な水だけなど、簡単なルールは今のところ守られている模様。

この国ではプール授業が無いので皆も水着を持っておらず、頭からずぶ濡れになりながらあちこちで笑い声が上がっている。

水資源が豊富な国だからこそ気兼ねなく遊べること。

それにしても発射一回分しか入らないので、補充に忙しなくなってしまう。



晴天に晒されていたタオルは太陽の匂いを吸い込んで柔らかく、少し冷えた身体を温かく包む。

こうして一息ついていると、視界の端にロキを見つけた。


久々に見たフード姿は寒さ対策の冬物でなく、飽くまでも防水の為。

何でも他人行儀な笑顔で受け流して怒らない上、気弱そうなので悪戯好きの子供達から的にされがち。

まともに顔から浴びせられても変わらず。

銀髪から雫を溢していると、初対面で雪の妖精かと思ってしまっただけにそのまま溶けて消えてしまいそうだった。

お節介を承知で乾いたタオルを差し出せば、リヴィアンに向かって仔犬の顔で笑う。



「リヴィ先輩、水鉄砲なんてよく知ってたんねぇ」


冬に出逢った少年はすっかり硬い芯が解けていた。

いつからかリヴィアンを愛称で呼ぶようになり、前より随分と砕けた口調。


ロキに勉強を教える関係になってから約半年。

伸び悩みもコツを掴み、もともと成績は良い方なので確実に上がっていった。

週二回、合間に何でもない話を挟みながら放課後は穏やかに過ぎていく。

図書館を後にしても、同じ寮に戻るだけなので帰り道も一緒なのだが。



「先輩、明日はどうするん?」

「そうね、街にでも行こうかと……」


明日は日曜、今度こそ自分の為に過ごす時間。

どうせなら学園の外で羽根を伸ばしたい。



寮は孤児院でもあり生活に必要な物ならば大抵が支給されていた。

例えば現に今は私服、契約している仕立て屋で新品から古着まで好きに選べるのだ。

領地だけでなく事業の経営も広いライト公爵家と繋がっていることもあり格安で済むらしい。

衣食住で困らず娯楽は図書館などがあるので、敷地内から出なくても不自由無く過ごせる。


とはいえここは静かな街外れ。

時々は賑やかな中心部にも行かねば退屈してしまう。

あちこち見るだけでも楽しめるが、買い物以外にも学園から許可されている店でなら小遣い稼ぎも出来る。



「僕も行ってえ?いつも勉強見てもらってるから、お茶とかお礼させて欲しいんよ」

「……良いけど、そんな気を遣う必要ないわよ。お茶するだけなら別に、普通で」


自分の為に過ごす時間のつもりだったのだが、気付くとこうして些細な口実が出来ては行動を共にすることが増えていた。

二人で出掛けるのも初めてではない。

今までは下級生と関わるにしても義務だったが、学年も性別も違えど接点を持とうと思えば幾つも作れる。

子供相手だけにガードが緩みがち。


リヴィアンに無防備なのはロキも同じ。

この半年間、のらくらしているだけでは流されてますます懐かれてしまった。


「上級生で頼れそうな相手」としてベルンシュタインから紹介されたのが縁なので、妙な信用を得ているようだ。

姉貴分や友人と思ってくれているのだろうか。

いっそ距離感を弁えず無遠慮に踏み込んでくるなら拒絶出来るのだが、飽くまでもロキは良い子。

問題はリヴィアンの方であり、常に「悪役」の自覚があるだけに相変わらずこうして好意を向けられると戸惑う。

受け答えは柔らかいのでクラスメイト達とも穏やかな交友関係を築いているらしく、折角の休日ならそちらと過ごせば良いだろうに。



ああ、それにしても明日は何を着ようか。


密かに悩むくらいにはリヴィアンも意識していた。

女子同士で遊ぶ時も勿論お洒落をするものだが、それとはまた少し違う。




大騒ぎの水遊びと後片付けを終えると、軽い疲労感を抱えて寮の自室に戻った。

濡れた服を脱ぎ捨てたリヴィアンは下着姿のままベッドに倒れ込む。

だらしない恰好でも咎めるような者など居らず。

進級してからというもの割り当てが変わって一人部屋になってしまった。


そもそも同性だけの空間ならそんなもの。

今までのルームメイト達とはそれなりに仲が良かったこともあり、二人や三人ずつで共同生活していた頃とそう変わらないが。

まず一つ挙げるとしたら、日課の外郎売は気兼ねせず練習出来るようになったか。

プライバシーが守られているにしても最低限、ベッドごとに厚めのカーテンで仕切りを作れる程度。


一度ベッドに寝転がってしまうと起きる時の腰は重い。

このまま眠る訳にもいかず、着替えついでで明日の為にクローゼットを漁り始めた。



手に取ってみたアップルグリーンのフレアワンピースはさらりとした触り心地。

クリーム色のセーラー襟とレースが甘い印象を加える。

パーソナルカラー診断の概念なんて無い世界だが、レモンブロンドに肌も白いリヴィアン・グラスは明るく華やかな色がフィットする。

似合うことと好みであることはまた別だが、両者を譲歩し合って選んだ一着。

グラマラスな身体つきだけに服選びで失敗すると要らない色気が出てしまうこともあり。


髪もいつもの三つ編みでは流石に味気ない。

下ろしていると広がってしまう癖っ毛なので、緩いハーフアップのお団子にしよう。

纏めるなら真鍮で出来た白い花の髪留めがある。



後輩とお茶しに行くだけだというのに、こうして考え込んでしまう時間は何なのだろう。

鏡の前、ふと我に返ると妙に気恥ずかしくなる。


そういえば、ロキとのことを前のルームメイト達に冷やかされたことがあったか。

恋愛に興味津々な年頃、あれだけの美少年なので囃し立てたくなるもだろうががやはりリヴィアンにとっては子供。


小波が立った気持ちを落ち着かせる為にもアロマミストのボトルを吹き付けた。

ラベンダーの香りが鼻腔を抜けた時、ちょうど思いつき一つ。


そうだ、明日行く店を決めた。

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