第23話 聖夜の空白

 クリスマスイブの夜。街は煌びやかなイルミネーションで彩られ、クリスマスソングが、恋人たちの時間を祝福しているような季節。


 しかし、そんな華やかな雰囲気とは裏腹に、俺の心は冷え切っていた。

 絵里子は、結局帰って来なかった。


「…仕方ないよな…」


 俺は呟くようにそう言い聞かせ、テーブルの上に置かれた小さなクリスマスケーキを見つめた。

 絵里子が帰りが遅くなると聞いていたので、俺もアルバイトを入れていた。

 それでも、少しでも一緒にクリスマス気分を味わいたいと思い、ケーキを買って待っていたのだ。


「最悪、明日の朝にでも食べれば良いか…」


 そう思いながらもソファーで毛布にくるまりながら、絵里子を待つ。

 今日はクリスマス商戦で忙しかった.。

 バイトで疲れていたこともあり、だんだん瞼が重くなって‥


「‥はっ!」


 気がついた時には、朝の5時だった。

 ハルは慌てて起き上がり、部屋を見渡したが、絵里子の姿はどこにもなかった。


「…まさか、このまま帰って来なかったのか…?」


 ハルの胸に不安がよぎる。

 スマートフォンを見ると、深夜に絵里子からメッセージが届いていた。


『ゴメン、イベントが盛り上がって終電逃しちゃった。他のメンバーとカラオケで朝までコースになっちゃった。もう寝てるよね? おやすみ』


 終電を逃したメンバーで、朝までカラオケをしていたらしい。


「…仕事だから仕方ないよな…」


 そう思うべきなのかもしれない。

 しかし、ハルの心は晴れない。


「…本当に、仕事だったんだろうか…?」


 クリスマスの夜に帰って来なかったことへの不信感、寂しさ、そして怒り。

 様々な感情がハルの心の中で渦巻いていた。

 バイトを休んで、絵里子に会いに行くことも考えた。

 しかし、部屋の家賃や入居の費用などで、かなりの貯金を使ってしまったため、現在は掛け持ちでアルバイトをしている。

 正直、休むのは金銭的にも厳しく、しかもクリスマスで人員が少ない時に、当日欠勤は申し訳ない。


「…仕方ない。今日は我慢しよう…」


 ハルはため息をつき、バイトに行く準備を始めた。

 絵里子のことが気になって仕方がなかったが、今は目の前の仕事に集中するしかなかった。


☆☆☆☆☆


 夜、バイトから帰ると、絵里子は部屋に戻っていた。


「ただいま…」


 絵里子の声は、少し疲れているように聞こえた。


「…おかえり」


 俺はつい冷めた声で返事をする。

 絵里子は、俺の様子に気づいたのか、「ごめんね、昨日は…」と謝ってきた。

 しかし、だが俺の怒りは収まらなかった。


「…絵里子、俺たちの約束はどうなったんだ?」


「…ごめん。 でも、仕事だったんだ…」


「…仕事? クリスマスの夜に、朝までカラオケって、どんな仕事なんだよ…?」


「…それは…」


 絵里子は言葉を濁す。


「…絵里子、正直に言ってくれ。 省吾って人と会ってたんじゃないのか…?」


 ハルの言葉に、絵里子は目を見開いた。


「…どうして…? どうして、そんなこと言うの…?」


「… それに、会社の近くで、他の男の人と仲良く話してるのも見た…」


「…え? それは…」


 絵里子は、言い返さずに何かを考えているのか口ごもっている。

 バイト中ずっともやもやしながら考えていた。

 思い返せば、絵里子の行動で少し違和感を感じる事は度々あった。


 以前のバレンタインでは、『バレンタインの夜どうする?』というメッセージを慌てたように削除していた。

 もしかして、あれは俺以外の誰かに送るつもりのものだったのでは無いか?

 それ以外にも新人歓迎会でいつのまにかいなくなっていたり、デート中にスマホを頻繁に気にしている事も多かった。

 去年の記念日に友達の看病に行っていたのも、もしかして省吾の所に?

 疑いだせばキリがなかった。


「…絵里子、俺に隠し事してないか…?」


 俺は震える声で聞いた。


「…違うよ! そんなことない…」


 絵里子は慌てて否定したが、俺の心には響いてこない。

 何が本当で何が嘘なのか考えるのも辛くなってきた。


「…もういいよ。 俺には、もう絵里子の気持ちが分からない…」


 俺はそう言い捨て、自分の部屋へと入っていった。


「…ハルくん…」


 後ろから絵里子の声が聞こえた気がしたが、今は聞く気にもなれなかった。

 そして、クリスマスの夜。

 同じ部屋にいながら、まるで別々の世界にいるようだった。


 その後、年末年始の休みに入るまでの数日間、絵里子とはほとんど口を利かなくなった。

 リビングで顔を合わせても、目を合わせようとはせず、会話も必要最低限のことだけ。

 部屋の空気は、冷え切った冬の空気よりも、冷たく重苦しいものだった。


 あの日以来、疑心暗鬼のまま過ごすことになった俺。絵里子に話を聞こうとも思ったが、口を開けば問いただすような言葉しか出てこない。

 それに対して絵里子は「誤解だよ」や「そんなことない」と否定はしていた。しかし、今の心境でその言葉を信じるのはとても難しかった。

 信じたいという気持ちと、信じれないというジレンマを自分の中に感じた俺は、問いただす事さえしなくなっていた。


 そして、年末年始の休みに入り、絵里子が実家に帰る事になった。


「…少し、実家でゆっくりしてくる」


 そう言った絵里子の声は、どこか寂しそうに聞こえた。

 俺は、何も言わずに頷いた。

 絵里子が荷造りをしている間も、俺は自分の部屋から出ようとしなかった。

 絵里子がスーツケースを持って、玄関を出る。


「…じゃあ、行ってくるね」


「…ああ」


 それが、二人の今年最後の会話になった。

 絵里子は、重い足取りでマンションを出て行った。

 振り返ることもなく、ただ前だけを見て歩いていく彼女の後ろ姿は、どこか悲しげで、心をさらに締め付けた。


(…絵里子…)


 心の中で彼女の名前を呼んだ。


 しかし、その声は、彼女には届かなかった。

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