第16話 絵里子⑥

 春が過ぎ、汗ばむ季節になった。青空が広がり、街の至る所に咲く花々が美しいコントラストを描いている。

 そんな中、俺は久しぶりに絵里子とデートをするため、少し早めに家を出た。

 公園のベンチで彼女を待ちながら、緑豊かな風景に目をやると、自然と心が落ち着く。


 その頃には絵里子も内定をもらうことができていた。彼女の努力が実を結んだことを心から嬉しく思う。


 やがて、公園の入り口から絵里子の姿が見えた。

 彼女は明るい黄色のワンピースを着て、初夏の日差しの中で一段と輝いて見えた。


「ハルくん。 なんか久しぶりだね」と、彼女は少し照れたように微笑んで言った。


「そうだね。1ヶ月ぶりくらいかな?」


 俺も微笑み返しながら、彼女の顔をじっと見つめた。お互いの時間が合わなくなり、会える頻度が1ヶ月に1回程度まで減っていた。

 それでも、彼女の笑顔を見ると、そんな時間のギャップも一瞬で埋まる気がした。


「内定おめでとう! これで安心して卒業を迎えることができるね」


「ありがとう! ほんとにやっと肩の荷が下りた気がするよ」と彼女は笑顔を見せてくれた。その笑顔には、長い就職活動のプレッシャーから解放された安堵が感じられた。


「じゃあ、今日はお祝いということで、エスコートさせて頂きますね。 お嬢様」と、俺が冗談交じりに言うと、


「よろしくってよ」と、絵里子も少しふざけてのってきた。


(素敵な思い出が残る一日にしてあげたいな)


 心の中でそう誓いながら、俺たちは手を繋ぎ、穏やかな初夏の一日を過ごすために歩き出した。


 俺は久々のデートということもあり、綿密にデートコースを計画した。最後には少し奮発してホテルのディナーも予約してある。少し財布が寂しくなるが、折角のお祝いなので仕方ない。


 今日の予定は、ランチで絵里子の好きなイタリアンの店を予約した。

 その後、美術館、デザートが美味しいカフェ、映画、そして最後がホテルでのディナーだ。

 絵里子が好きなものを全て詰め込んだ一日にしてみた。


「とにかく、すごく楽しみにしてたんだ。 内定も決まったし、今日は存分に楽しもう」と、笑顔で絵里子に伝えた。


 ランチのイタリアンレストランでは、絵里子の好物であるトリュフを使ったパスタを注文した。

 店内は落ち着いた雰囲気で、心地よいジャズが流れていた。

 彼女の顔が明るくなるのを見て、僕も嬉しさを感じた。


「ハルくん、ありがとう」と絵里子が言うと、僕は少し照れながらも、「当たり前だよ。 大切な人の大切な日だからね」と返した。


 ランチを終えて、美術館に向かう道中、絵里子のスマートフォンが何度も震えた。

 彼女はためらいながらも、その度に画面をチラリと確認していた。

 僕はそれを気にすることなく、美術館の展示について話を続けた。


「この後の展示、すごく楽しみにしてるんだ。 特にあの画家のセクションはね」


 絵里子は「うん、私も楽しみ」と返事をしながら、またスマホに目を落とした。

 彼女の指が画面を素早くスワイプする姿が、少しだけ僕の心に引っかかった。


 カフェでデザートを楽しんでいると、またしても彼女のスマホが震えた。

 今回は、少し表情が曇り、真剣な様子でメッセージを読んでいる。


「大丈夫?」と僕が尋ねると、絵里子は苦笑いを浮かべる。


「ごめんね、ちょっと困ったことになっちゃって‥‥」


 どうやら、友達が40度近い高熱を出して困っているらしい。一人暮らしで、他に頼れる人もいなくて、絵里子に連絡が来たと説明してくれた。


「えっ、大変じゃない?大丈夫なの?」と心配になって聞いてみると、絵里子は少し考えながら、悩んでいるようだ。


「うん、ちょっと見てきたほうがいいかも‥‥」


「着いていこうか?」


「ううん、流石に男の人が急についてきたら友達もビックリしちゃうよ」


(まぁ、確かに、彼氏だからと高熱を出している彼女の友達の家に行くのは非常識か)


「ごめんね、今日はここまでにして、私、看病してくるね」と、申し訳なさそうに言った。


 俺は残念な気持ちと同時に、彼女の友達思いなところに感心した。


「大丈夫だよ、流石に放っておけないよね。 何か俺にできることがあれば言ってね」


「ありがとう、ハルくん。 ほんとにごめんね」


 彼女はそう言いながら席を立った。


 絵里子がタクシーに乗り込むのを見送った。


(自分も逆の立場だったら放っておけないだろうし、仕方ないよな‥)


 彼女が去った後、言い聞かせるように仕方ない理由を考え自分を納得させた。

 そして、ホテルの予約をキャンセルしてしばらく立ち尽くす。

 ぽつんと残された感じがして、少し寂しさがこみ上げてきた。


「さて、これからどうしようかな…」とひとり言を漏らしながら、僕は次の計画を立て直すことにした。今日は絵里子なしで過ごすことになるが、彼女のために何かできることを考えようと思った。



 次の日、絵里子から改めて謝罪の連絡をもらい、また後日一緒に遊びに行く約束をした。

 しかし就職活動が終わった事で、絵里子に少し時間が出来たのもつかの間、絵里子が内定をもらった企業へインターンシップで業務に従事する事になったらしい。

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