第11話 絵里子

「絵里子‥」


「ハル‥くん?」


 俺は撮影ブースから少し離れたところで立ち尽くしていた。

 ほんの数分前まであやめと笑い合っていた場所は、心に再び古い傷を開かせる場所となっていた。

 絵里子との突然の再会は、俺の心に長い間押し込めていた記憶を引きずり出し、過去を思い出してしまっていた。



 ☆☆☆☆☆



「こんにちは! 新入生歓迎会に来てくれてありがとう。 私は柳田絵里子。 よろしくね! あなた、何学部?」


「ええと、経済学部です。あ、僕、高橋遥って言います」


「ハルくんだね! よろしく!」


「ハ!ハル‥」


「あ‥ごめんね! ちょっと馴れ馴れしかったかな‥」


「だ‥だ、大丈夫です‥話しかけて頂いてありがとうございます。 えっと、こういう大勢でのイベントはちょっと‥苦手で‥」


「そんなに堅くならないで! 大丈夫、こう見えて私も人見知りなんだから。 お互い様だね!」


「そうなんですか? 柳田さんはすごく社交的に見えるけど」


「ありがとう! でもね、実は新しい人と話すのはいつも緊張するんだ。 だから、ハルくんみたいに素直に言ってくれると、私も楽になるよ」


 そう言って彼女は楽しそうに笑った。

 芸術サークルの新人歓迎会で出会った1年先輩の柳田さん。


 人見知りというのは、僕を落ち着かせるための嘘だろう。

 生粋の人見知りである僕が言うから間違いない。

 人見知りの陰キャは、初対面で名前呼びなんて高度なテクニックは使えないのだ。

 周りを明るくする笑顔と、誰とでもすぐに打ち解けるあの社交性。

 陽キャのオーラ全開の彼女はみんなの注目の的だった。


「経済学部ってことは、私と同じだね!」


「そうなんですか!?」


「うん、そうだよ! 今度一緒に勉強しようか? 教えてあげるよ!」


 ドキ‥

 彼女はとても親切で、あまり人と喋るのが得意ではない僕にも気軽に話しかけてくれた。

 それが嬉しく、そしてとても楽しいと感じている自分に気付く。


 こうして僕たちは、一緒にいる時間が増えていった。

 マーケティングや、それにまつわる心理学など、お互いに興味のある分野が近かった僕たちは、同じ講義を受ける事も多く、そんな日々を過ごす中で親しくなっていった。


 それからしばらくして‥‥



「柳田さん、今日もありがとう。 おかげで勉強が進んだよ」


「どういたしまして」


 彼女は笑顔で応えてくれた。

 その表情をみて、僕はもっと近づきたいと思った。


「今日みたいに柳田さんと一緒に時間を過ごすの‥す‥すごく楽しいよ!」


「うん! 私もハルくんといると、時間があっという間に過ぎちゃう。 すごく楽しかったよ」


(今日こそ‥今日こそ言うんだ!)


 恐らく一目ぼれだった。

 最初に新人歓迎会で出会って、気さくに話しかけてくれた事が嬉しかった。

 心細い中で優しくしてくれた綺麗な先輩に対して、特別な感情を抱くのも仕方ない事だと思う。

 そして、それからも一緒に過ごす時間が本当に楽しかった。

 正直このままの関係でも良いと思っていた。


 でも‥‥もっと彼女の近くに居たい。もっと話したい。目を見つめていたい。その手を握りたい。そして抱きしめたい。

 そんな気持ちがどんどん溢れていた。


 持ち前の明るさと社交性で、柳田さんはどこに行っても人気がある。

 彼女の事を狙っている男が多いという話も噂が流れるほどに彼女は目立っている。

 そして、その話を聞いた時、自分の中に確かな焦りのようなモヤモヤした感情に気付いた。


 その時、きっと恋心なんだろうと自覚した。

 なんとなく気になっている親切な先輩から、どうしても他人に渡したくない特別な人になっていた。


 だから‥勇気を出して人生で初めての告白をすることにした。


「実は‥柳田さんに言いたいことがあって‥‥」


 柳田さんは興味深そうな表情でこちらを見ている。


「何? 何か秘密のお話?」


「うん、秘密っていうか、その…」


 心臓がうるさすぎる!

 勇気を出すと決めたのに、心臓が早鐘を打って、頭に血が上り、頭が真っ白になりそうになる。

 そして、告白に失敗したときのイメージだけが頭をよぎる。

 そもそも自分なんかが告白して受け入れてもらえるのか?

 柳田さんは誰にでも優しいから、同じ学部っていうだけで一緒に居てくれるだけじゃないのか?

 童貞の勘違いヤローなんて思われて、気持ち悪いと思われないだろうか。

 気まずくなって今の関係が崩れてしまうかもしれない。

 このままでも良いんじゃないか?

 今ならまだ引き返せる‥‥


 自分の中にどんどん言い訳があふれてくる。

 変化を恐れる心が、告白しない選択肢を取らせようとする。


 どれくらい考え込んでいたのか時間間隔も曖昧になっている中で、ふと目の前の柳田さんと目が合った。


(言うんだ!)


 その瞬間、弱気になる自分を叱咤するように、心の中で活を入れた。

 そして‥


「僕、柳田さんのことが好きになっちゃったみたいで。 一緒にいるとすごく幸せで、もっと色々なことを柳田さんと共有したいなって‥」


 緊張しすぎて相手の顔を見る事が出来ない。いつの間にか、また視線をそらしていたようだ。

 柳田さんはどんな表情をしているのだろう。


「ハルくん…それって、つまり…?」


 柳田さんが言葉を返す。

 当然だ。まだハッキリ伝えていない。

 でも、ここまで来たら引き下がれない!!

 そして僕は勇気を振り絞って柳田さんの顔を見た。


「柳田さんと付き合いたいなって思ってる! この気持ち、少しでも柳田さんに届いてるといいなって‥」


(言ったーーーー!!)


 伝える事が出来たという思いと、最後の方が尻つぼみだったのが自分らしいなんて、自虐的な考えが浮かぶ。

 少し現実逃避したい気分になってしまったのだ。


 そう‥僕が告白してすぐに、柳田さんは顔をそむけた。


(‥だ‥ダメだったのかな‥)


 恐らく数秒も経ってないはずだが、自分にとってはとてつもなく長い時間に思えた。

 間が空くことに恐怖を感じた僕は、とっさに誤魔化すための言葉を吐きだそうとする。


「ごめ‥「ハルくん、ありがとう。 私もね、実はハルくんのことが気になってたの。 だから、嬉しいよ。 ‥うん、私もハルくんと付き合いたいな」


 柳田さんは顔を赤らめながら、笑顔でそう言ってくれた。


(‥‥)


 少し思考が追い付かない。

 ‥つまりOKってこと!?


「本当に!? 嘘じゃない!?」


「え? 嘘だったの?」


 僕はつい今の自分の気持ちを言葉に出してしまった。

 柳田さんがいたずらっぽい笑顔で、こちらの様子を見ている。


「ほんと! 本当だよ!  ありがとう、柳田さん! これから、いっぱいいい思い出作ろう!!」


「うん!いっぱいデートしようね。 ハルくんとなら、どこに行っても楽しそう!」


 僕が焦りながら言うと、柳田さんはクスクス笑いながらも、僕を受け入れてくれた。

 そして、僕は人生で初めての彼女が出来たのだった。

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