きゃんでぃタイム - 妹の恋愛虎の巻 妹と三人の魅力的な女性たちと過ごす、恋に臆病な兄の甘く切ない日々

きゃんでぃ

プロローグ

「ごめんなさい。私、別の人を好きになっちゃったの」


 彼女の声は、心地よい夜の風と一緒に、俺の耳元で囁く。

 俺は手を伸ばして彼女を引き止めようとするけれど、触れることができない。

 彼女の姿が霧のように消えていく中で、俺は何度も叫ぶ。


「待ってくれ...どうして...?」


 突然、彼女の声が途切れ、周りの景色が急速に暗転する。

 全てが静かになり、真っ暗な空間に俺一人だけが残された。



 その時、ハッと目を覚ました。

 枕元のデジタル時計が午前6時を告げている。


「夢…か…」


 安堵する間もなく、心臓はまだ高鳴りを止めない。

 深く息を吸い込んで、少しずつ現実に引き戻されていく。

 俺は枕を抱きしめ、もう一度深く目を閉じた。


 最近、あの時の夢をよく見る。

 大好きだった彼女の夢だ。


 (もう6年も経つのに‥‥)


 このマンションでの一人暮らしも、もうすぐ6年目。

 周囲は静かで、誰一人この部屋にはいない。

 一人でいるのが一番心地よい。

 少なくとも、誰にも傷つけられることはない。


 その静寂が、突如として破られた。

 インターホンが鳴り、俺はぎょっとする。


「こんな朝早くに誰だ? 」


 迷惑だな、と思いつつも、起き上がってインターホンを見に行く。


 画面に映るのは、女の子?

 インターホンのカメラに近づきすぎているのか、顔がはっきり見えない。


「はい? どなたですか?」


 俺が通話ボタンを押すと、画面の向こうの女の子がカメラから少し離れて明るく笑った。


「お兄ちゃん、おはよう! 驚かせちゃった?」


 その声に、心臓が一瞬で止まるような衝撃を受けた。

 あやめ...?  でも、なぜここに?


「あ、あやめ? どうしてここに?」


 ドアを開けると、そこにはいつもの明るい笑顔で立っているあやめがいた。


「えへへ、実はね、大学がこっちに決まっちゃって。 だからこれからお兄ちゃんと一緒に住むことにしたの! サプラ~イズ!」


 彼女は大きなスーツケースを引いて、まるでこれから始まる新しい生活にワクワクしているかのようだ。


 この突然の訪問に、俺はただ呆然としてしまう。

 彼女はいつもこんな感じだ。

 計画性がなく、突然のことばかり。


「それじゃあ、入れてもらっていい?」


 あやめがトレードマークのポニーテールをゆらしながら、にこにことスーツケースを引いて入ってくる。


「あ…ああ」


 俺はただただ部屋に入っていくあやめを見送るしかなかった。


「わぁ~! ここがお兄ちゃんのお部屋なんだね! お母さんの情報通り散らかってるね! これはお掃除の甲斐がありそうだよ~」


「ちょ…ちょっとまて! 少し片づけるから触るな!」


 変なものは無かったはずだ…だが、少し心配になる。

 って言うか、母さんなんで家の状況知ってるんだよ!

 と、母を思い浮かべると「お母さんは何でもお見通しよ〜」という声が聞こえてきそうだ。


「こっちの部屋は物置状態だね~」


 あやめが、無遠慮に部屋を見て回る。


「ふむふむ~。 女の人の影は無いなぁ~」


 あやめが一人でぶつぶつ独り言を言っているようだ。

 簡単に片付けを終えたので、一度落ち着いてあやめと話すことにした。


 二人暮らしを考えて借りた部屋だったので、余った部屋はある。

 しかし妹とはいえ、年頃の女の子と暮らすのは抵抗もある。

 それに、俺は一人が好きなんだ。

 あやめには悪いが、別で一人暮らしするように説得しよう。


「あのな、あや…」

「お兄ちゃん、これからよろしくね!」


 有無も言わさず、にこにことした笑顔のあやめが、続けてここに来た理由を話してくれた。


「ほんとはね‥‥お母さんがちょっと心配してて‥お兄ちゃんの声、元気なさそうだったって。 だからそれもあって様子を見に来たの」


(うーん。 そんなに元気のない所は見せてないつもりだったんだが‥‥)


 普段はほわほわした雰囲気の母さんだが、昔からエスパーなのでは?と疑いたくなるほど、人の気持ちに敏感な人だった。

 確かに最近は、仕事にも慣れて余裕が出来た事、そして先日学生時代の友達から、あの子の近況を聞いた事が重なり、また過去の記憶がフラッシュバックするようになってしまった。

 丁度その後くらいに電話をしたことがあるので、その時に何かを感じたのかもしれない。


 (もう、流石に割り切ったつもりだったんだけどな‥‥)


 一人で住むには少し広い部屋を見て思った。


「お兄ちゃん、お腹空いてない? コンビニでいろいろ買ってきたから、朝ごはん用意しようか?」


 考えにふけっていると、心配そうな表情をしていたあやめが、空気を変えるように提案してくれた。

 まだ何も食べてなくて、お腹が空いている事を思い出す。


「そうだな、ありがとう。 それじゃあお願いするよ」


「うん! じゃあ、キッチン借りるね!」


 俺がお願いすると、あやめはエコバッグからパンやサラダ、新鮮なフルーツを取り出し、キッチンに向かった。


 キッチンで彼女が調理を始める間、俺はリビングのテーブルを整えた。しばらく二人の間には静かな時間が流れた。

 しかし、あやめが調理をしながら、ふと口を開いた。


「お兄ちゃん、最近何か悩んでるの? さっきも言ったけどお母さんが心配してたよ」


 俺は一瞬たじろいだ。いつも明るくて前向きなあやめに心配をかけたくなかった。

 けれど、正直に話すべきか迷った。

 何年も前の失恋を未だに引きずっているなんて恥ずかしくて言えない。


「んー、大したことじゃないよ。 ただ、ちょっと色々あっただけ」


 なんと誤魔化せばいいか思いつかず、あやふやに返答する。

 あやめは一瞬悲しそうな顔になったが、すぐに明るく微笑んだ。


 「そうなんだ。 でもね、お兄ちゃんが何か困ってたら、わたし力になりたいなって。 だから、無理には聞かないけど、話したくなったらいつでも話してね!」


 彼女の言葉に、胸が熱くなるのを感じた。自分一人の問題だと思っていたことを、こんな風に受け止めてくれるあやめに感謝した。


「ありがとう、あやめ」


 彼女は嬉しそうに笑いながら、フレンチトーストとサラダを皿に盛りつけた。


「朝ごはん、できたよ! 食べよう!」


「そうだな。 頂きます!」


 心にまとわりつくような感情を抱えながらも、二人で朝食を食べる事で、少し気持ちが楽になるのを感じた。

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