4話

 辻馬車を拾って、屋敷に帰宅したのは午後3時を過ぎた頃だった。


「まぁ! ミシェルお嬢様、随分お早いお帰りですね? いつもなら21時を過ぎていたではありませんか?」


メイドのサリーが驚きながら、迎えに現れた。


「ただいま、サリー。ええ、私は明日から自由の身よ。ところでお母様はどこにいるのかしら?」


「奥様なら書斎で請求書の計算をしております」


父は僅かばかりの従業員しか雇っていないので、母も仕事を手伝っていたのだ。


「分かったわ、教えてくれてありがとう」


「いえ、ところで何か良いことでもあったのですか? 何だかとても楽しそうに見えますよ?」


「そう? やっぱり分かる? さすがはサリーね。それではお母様の元へ行ってくるわ」


「はい、行ってらっしゃいませ」


サリーに見送られ、上機嫌で母の元へ向かった。



****


「お母様、ただいま戻りました」


ノックをして扉を開けると、机に向かって仕事をしていた母が驚いた様子で顔をあげる。


「まぁ、どうしたの。こんなに早く仕事から帰ってくるなんて初めてじゃない」


「ええ、そうです。実は、今日トビアスから婚約破棄を告げられたのです」


「何ですって!? それは本当の話なの!?」


「はい、本当です。トビアスは別に好きな女性が出来て、その方と結婚するそうです」


「な、なんてことなの……」


その話に母は身体を震わせた。


「やっと……やっと、あの男から婚約破棄を告げられたのね!?」


「はい、お母様! そうなんです!」


私と母は手を繋いで、喜びを分かち合った。


「これはビッグニュースね。すぐにダニエルが帰宅したら、報告しないと。それに今夜は無事に婚約破棄をしてもらえたお祝いをしなくちゃね」


「ありがとうございます。それでは今日から私がお母様の仕事を引き継がせていただきます」


「え? でもミシェルに仕事を頼んでも、いいのかしら?」


以前から母の負担を減らしてあげたいと考えていたのだが、自分の仕事が多忙すぎて手伝うことが出来ずにいた。

だからいつかトビアスから開放されたら、私が母の仕事を引き継ぎたいと考えていたのだ。


「はい、私にお任せください」


そして私は母から仕事を引き継ぎ、父が帰宅するまで経理の仕事を続けた――



****


――19時



「ミシェル、 お前がこの時間に家にいるとは珍しいこともあるじゃないか」


仕事から帰宅した父が迎えに現れた私を見て驚いた。


「聞いて下さい、お父様。実は、本日トビアスから婚約破棄を言い渡されたのです」


「何!? そうだったのか!? ついに……ついに、婚約破棄をしてもらえたのだな!?」


「はい、そうなのです。婚約破棄を言い渡された時は嬉しさのあまり、こみ上げてくる笑いを堪えるのが大変でした」


「そうだろう。何しろ5年間待ち望んでいた瞬間がようやく訪れたのだからな」


嬉しそうに笑う父。


普通なら一方的に婚約破棄をされた場合、怒るか嘆くかのどちらかだろう。

けれど、我が家の場合は違う。


ずっとトビアスとの婚約を破棄してもらうことを、遠回しにエイド伯爵にお願いしていたからだ。

けれど伯爵は私とトビアスの婚約破棄を認めてくれなかった。


そこで父はトビアスの女好きを利用し、エイド家の令息が恋人を募集しているという噂を流したのだ。

実際トビアスと交際する女性たちが現れたものの、彼女たちは誰も長続きすることは無かった。


無情に時が過ぎていくなか、ついにトビアスとの結婚の日取りが決まり、私は伯爵に命じられて結婚式の準備をしなければならなくなった。


いやいや、全ての準備が整った矢先。

ついに本日トビアスから婚約破棄を言い渡されたのだから、これほど嬉しいことは無かった。



――この日の夕食は、それは豪華なものだった。


良心は婚約破棄できたことをとても喜び、上機嫌だった。

両親と祝のワインを飲みながらトビアスのことを考えた。


きっと今頃トビアスは自分の失態に気付き、焦っているに違いないだろう――と。





 





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