なんや、そういうことか!

崔 梨遙(再)

1話完結:3100字

 大阪。僕は、仕事の区切りがいいところで、いつもより早く帰宅した。といっても、やっぱり定時は過ぎている。いつも帰るのが遅すぎるから、たまには早く帰ってみようと思ったのだ。とはいえ、早く帰っても特にすることが無い。ちょうど彼女もいない時だったので、僕は繁華街を通って駅に行くことにした。その時、何故か“何か起こるかな?”、と漠然とした期待があった。どうしてそんな期待をしたのかわからない。それは、予感だったのだろうか?

 

 何かが起こった。珍しく期待は裏切られなかった。


「お茶でもしませんか?」


 Oh! 女の子から逆ナンされた。30歳そこそこの僕よりは間違いなく若い。20代の前半か半ばか? 小柄でかわいい。身長は155センチあるかないか。最近、逆ナンが流行っていると聞いていたが、まさか僕が逆ナンされる日が来ようとは! 僕は感動した。しかも“お茶しませんか?”って、なんとベタな誘い方だろう? この娘(こ)は逆ナンに慣れていないのか?


「無理ですか?」

「いや、無理じゃない。お茶でも食事でも行こう」

「今日は、お茶だけでいいです」

「じゃあ、コーヒーでも飲もう」


 店に入って、2人ともアイスコーヒーを注文した。


「で、今日はどうして声をかけてくれたの?」

「優しそうな人だなって思ったからです」

「僕は崔。君は?」

「菜々子です」

「歳はいくつ?」

「23です」

「仕事は?」

「営業です」

「何の営業をしているの?」

「その時によります」

「どういうこと?」

「その時々で、売る物が変わります。この前はジュエリーでした。今回は毛皮のコートです」

「毎回、売れそうな物を仕入れて売っているの?」

「はい」

「何が売れるか考えるのが大変やね」

「それを考えるのは上司達なんで、私達は“売れ”と言われた物を売るだけです」

「仕事、楽しい?」

「わかりません」

「楽しいときもあれば、苦しいときもあるって感じなんかな?」

「そうですね」

「それで、菜々子ちゃんは僕に何を期待しているのかな?」


 この時点で、僕は薄々気付いていた。


「今度、毛皮のコートの展示、即売会があるので来てほしいんです」


 やっぱり!


「要するに、これってデート商法なんやね」

「デート商法って言わないでください」

「でも、営業活動やろ?」


 僕は、すっかり冷めてしまった。逆ナンかと思ったのに。


「来週の土日に展示会があるので来てください」


 菜々子からチラシを渡された。


「行ってもいいけど、僕は買わへんよ」

「来てくれるだけでいいんです」 

「考えとくわ」

「電話番号を教えてください」


 迷ったが、僕は電話番号を交換した。それからコーヒー代を支払って店を出て菜々子と別れた。期待が大きかったが、期待と同じだけガッカリした。


 その週の土曜日に、菜々子から呼び出された。あまり気が進まなかったが、駅前で待ち合わせた。


「お願いやから来てください」


と、切実な声が電話を通して聞こえて来たので、同情して会う気になったのだった。


「お待たせ」

「こんにちは」


 合流して、とりあえず店に入ってコーヒーを頼んだ。


「どないしたん? 泣きそうな声やったけど」

「泣きそうです」

「だから、どないしたん?」

「来週の展示会に来てくれる人がいないんです」

「行ったら買わされそうやもんな」

「私たち、そんな無理な営業はしてないんです」

「僕も買わへんよ」

「来てくれるだけでいいんです、来週、来てください」


 僕は再度、菜々子からチラシを渡された。僕は、


「転職した方がええと思うで」


と言って、コーヒー代を払って帰った。


 翌週の土曜日、僕は菜々子からの電話で目を覚ました。


「はい、崔です」

「菜々子です。お願いです、来てくれるだけでいいんです。買わなくてもいいです」

「ほんまに行くだけでええの?」

「はい」

「絶対に買わへんで」

「はい」

「じゃあ、行くわ」


 会場のビルに入ると、展示会場は8階なのに1階で菜々子が待っていた。涙目だった。菜々子の会社は、営業マンにどれだけのプレッシャーをかけているのだろうか? ブラック企業の臭いがプンプンしていた。菜々子がかわいいから、余計に同情してしまうのだが、こういう会社は採用基準にルックスという項目があるから、ルックスの良い人間しか採用しないのだろう。

 

 8階の展示会場へ行って、“やっぱりなぁ”と思った。名札をつけた男性と女性の営業マンたちが一生懸命毛皮のコートを売りこんでいるのだが、男女ともにルックスが良い。美人と男前ばかりだ。これぞ、デート商法の基本!


 菜々子が僕の手を引っ張って、黒いスーツで凜とした印象の美人営業マンのところに駆け寄った。僕も駆け足にならざるおえない。正直“面倒くさいなぁ”と思い始めていた。来たことを2秒で後悔した。


「課長、この人が崔さんです」

「あら、崔さん、こんにちは。石井(菜々子の苗字)の上司の相沢です。いつも石井がお世話になっております」

「こんにちは、崔です」

「座ってお話しましょうか」

「いえ、僕はすぐに帰りますから」

「まあ、そう言わずに」


 菜々子に引っ張られて応接コーナーへ。菜々子が僕を引っ張ったまま座ったので、仕方なく僕も座った。


「今回は、かなり質の良い毛皮が手に入りまして…」


 相沢さんは美人だが目が怖かった。とても気の強そうな人だった。


「あの、あんまり詳しい説明は要らないんですけど……買いませんので」

「まあ、そうおっしゃらずに」


 相沢さんは語り続けた。長い間語ってから、


「今回を機会に、1着毛皮のコートはいかがですか?」


と、締めくくられた。


「僕は、買いませんよ。最初から言ってるでしょう?」


 僕はもう一刻も早く帰りたかった。菜々子の泣き声に負けてここまで来たことを完全に後悔していた。


「じゃあ、崔さんは何をしに来たんですか?」

「その言い方、失礼ですね。来るだけでいいと言われたからきました」

「ですが、これをきっかけに……」

「買いません、帰ります」

「石井の努力に、ご褒美をあげてください」

「デート商法で“努力”と言われてもピンときません」

「デート商法じゃないです」

「石井さん、転職するなら電話ください。僕は求人広告の代理店に勤めていますから、紹介できる企業は多いですよ」

「そんなことを言っていたら、死ぬまで毛皮のコートを買えませんよ」


 相沢さんの最後の抵抗。


「だから、一生買いませんよ。興味が無いから。石井さんにも、そう言い続けていたんですよ」


 菜々子がすすり泣きを始めた。かわいそうだが、90万円の毛皮のコートを買うつもりは無い。


「石井ちゃんを泣かせて、あなた何も思わないの?」


相沢さんに怒られた。


「もし、石井さんが僕の彼女なら買っています。2回、一緒にコーヒーを飲んだだけの間柄で、90万の毛皮のコートは買いません。そういうことです。ここまで言えば流石にわかるでしょう? じゃあ、失礼します」


 早速、菜々子が上司に叱られている姿が視界に入った。



 僕は会場から去った。後味が悪かった。最初は逆ナンかと思って喜んだのに……。後味の悪い物語で申し訳ありません。後味が悪いからこそ、書きたくなったんです。皆様はこの物語、どう思われますか? 僕が悪いですか? ちなみに、その夜、僕はなかなか眠れませんでした。月曜からまた仕事を始めて忙しくなって、それからようやく少しずつ菜々子のことを忘れることが出来ました。でも、僕は次から逆ナンは全て断ります! 後でこんなにモヤモヤした気分になるくらいなら!



 補足


 この手のデート商法っぽい? 営業では

 女性に縁が無さそうな男をターゲットにします。

 ということは、僕は“女性に縁が無い”と思われたのです(笑)。

 そこ、不愉快でした(笑)。







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